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私刑と正義について [その他]

いじめや事件の加害者とされる人や、その家族等に対する、インターネット上などの私刑。
この手の〚正義感〛が個人的にどうにもやりきれない。

いじめられて自殺に追い込まれた方や被害者を悼む気持ちは分かる。
いじめをした人や加害者を憎む気持ちも分かる。
今後いじめや事件が起こらないようにと願う気持ちも分かる。
そういった思いを他人と共有したい気持ちだって、理解できる。

ただね、そこから、「正義の味方たる俺が悪い加害者とその関係者を罰さなきゃ!」という
行動が、どうしても導き出せないんだよな。

しかもネット上で。しかも匿名で。
しかも、「死ね」や「クズ」とか言った、正義の味方にふさわしくない言動で。

ちょっと突飛な言い方だけど、他人をいじめている人で、自分を悪の権化とみなしている人は
ほとんどいなくて、きっと正義の味方だと自己認識している場合が多いと思うんだよ。

だから、自分が正義の立場にいると思ったときは危ない。
その思いに基づく行動には、自分が、新たな加害者となっている可能性がある。
だから、言動にブレーキをかけた方がよいと自分としては思っている。

そして、いじめなどをを憎むんであれば、メディアで取り上げられた事件に憤りを感じて知らない
誰かを罰するよりも、自分が身の周りの誰かをいじめていないかどうかを反省したり、
自分の周りで苛められている人にどうにか手を差し伸べてあげたりする方が、
よっぽど救いが多いんじゃないかと思うわけで。

他人を断罪して正義に酔うのは、酒に酔うのと同じくらい迷惑なことだってある。

どうしても知らない誰かを罰したいのであれば、正々堂々と名前を名乗って責任を取れる
ようにするのが、正義の味方のせめてもの矜恃ではないかと、やはり個人的には思って
しまうのである。

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相次ぐ性犯罪の無罪判決と、司法報道の役割 [事件]

各地の地裁で、性犯罪で起訴された事件の無罪判決が続き、反響を呼んでいる。

具体的には、3月12日福岡地裁久留米支部が、被害者が「抗拒不能」と認められても、それに「乗じた」行為でなければ、準強制性交罪は成立しないとして言い渡した無罪判決や、3月26日に名古屋地裁岡崎支部で言い渡された19歳だった実の娘への2件の準強制性交罪に問われた事件の無罪判決など。

このような無罪判決に対し、インターネット上のみならず、具体的なデモを通じての抗議が相次いだ。

確かに、非道な犯罪を犯した人物は法によって裁かれるべきだと思うし、それができない無罪判決に強い憤りを覚えるのも理解できる。もしかしたら、現行法の犯罪の構成要件の定め方に問題があるのかもしれない。

ただ、結論に抗議したい気持ちは当然であるにせよ、今回の各判決が、どのような過程で無罪を導いたのかが、きちんと解説されている報道や意見は多くないように思える。具体的には、検察がどのような証拠を用い、どのような立証を試みたのか。弁護側はそれに対してどのような反証を加えたのか。裁判所がどのような証拠を採用して、どのような事実を認定して、無罪判決に至ったのか。そして、裁判所の判断は、同種の事件における判断と比べ、特に被告人に優しい判断だったのか。等の諸点である。

これらの諸点が大切なのは、それによって今後とるべき対策は異なるからだ。

これが例えば、検察官の主張・立証にミスがあったり、弁護側の弁護活動が優れていたりと、事件個別の要素であるのかもしれない。また、他の事件の判決と比較した場合、裁判所の判断が異例だったのかもしれない。これらはいずれも、その事件の上訴審で、改めて検察側と弁護側の主張と反論で解決すべき問題だと思われる。

また、今回の判決が、検察のミスや弁護側の極端なグッジョブがなく、また他の同種の判決と比べても判断基準に大きな齟齬はないのならば、現行刑法の構成要件上の限界なのかもしれない。その場合は、刑法の条文を変えるべきとの意見が出るのもありうるだろう。

もしくは、この種の性犯罪事件が、他の事件と比べて明らかに無罪となるケースが多いのであれば、裁判所が検察に求める立証基準や、そもそも検察が起訴すべき判断の基準も考え直さなければいけないのかもしれない。どんなに犯罪が疑われる人であっても、裁判で無罪になる可能性が高い人を無理やり起訴するのは、好ましくないと思われる。

重要なのは、報道からだと結論しかわからない、ということだ。

無罪判決それ自体の問題や、それが孕む制度上の問題について議論をするには、判決文自体はもちろん、裁判において提出された証拠や、それに対する主張や立証、そして反論、加えて、同種事案との比較や刑事事件全体における事件の位置づけなど、広範囲な情報が必要だと思う。そういった情報が無ければ、まさに暗闇の中を手探りで進むようなもので、的を射た意見など考えられるはずもない。これは、一般人はもちろん、事件に対する詳細な情報を知らない法律の専門家も、同じような境遇にあると言える。

結果、第一報の結論に対する感情的な条件反射に基づき、各自が自分の言いたいことを言いたいように垂れ流すだけになり、具体的かつ建設的な議論や問題提起がされることなく、ニュースは感情とともに消費されて終わってしまう。一か月もすれば、みんなが忘れ果ててしまうことになるだろう。

性犯罪に対する無罪判決というある意味センセーショナルな結論を、世の中の制度や運用をより合理的なものにするための議論に変えるには、判断材料となる、よりきちんとした情報が不可欠だ。そのために、専門家と人々の間の橋渡しである司法報道の果たす役割は大きい。実際、法律の専門家であっても、個別具体的な事件の内容についてまで詳しいとは限らず、個別の事件を取材して記事を書く司法報道の役割は、専門家とは異なる意味で重要だと思う。

しかし、司法報道が現状その役割を適切に果たしているとは、言い難いのではなかろうか。

司法報道の役割は、単にセンセーショナルな結論をセンセーショナルに煽るだけでは全く足りないと思うし、もしそれで足りるとするならば、何も専門の司法記者など不要だとすら思う。もし、司法報道が何らかの価値を持つとするならば、専門家と一般人との間の知識や理解のギャップを埋め、司法制度やその運用の改善に向けた議論を促す視点を提供することであろう。

そのためには、刑事司法を専門としない人に対する判決文およびそこで使われている用語の解説に加え、緻密な取材に基づく事実関係の紹介、および、公判で実際に提出された証拠やそれに基づく主張や立証のポイントなどを分かりやすく伝える努力が求められていると思うのである。

今回の無罪判決を見るように、司法制度に関する人々の関心は決して低くないと思う。司法報道のさらなる改善を期待したいところである。

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春、河原友達の季節 [日常]

一年に一度、ゴールデンウィークのある一日、一人、河原でぐずぐず飲み合う友達がいる。

年齢は僕の2~3つくらい下、元々は新宿ゴールデン街の酔客だった彼。その後結婚し娘さんをこさえてからは、酒場街からは足を洗い、まっとうな暮らしを営んでいたはずだった。

そんなある春の休日、僕が赤羽のまるます家で昼酒を嗜んでいると、彼から連絡が。これから一緒に飲めないか、という。赤羽まで来てくれるならと答えると、小一時間後には合流。たまたま、アド街ック天国か何かで赤羽岩淵を特集していたこともあり、その辺を散策しているうちに、荒川の土手が見えてきた。見上げれば、空はどこまでも青い。セブンイレブンで、ビールやら、北区の酒丸真正宗やら、肴やらを買い、荒川のほとりに腰掛け、対岸の埼玉県を見ながら二人、日が暮れるまで四方山話をすることに。

これが、その後恒例となる河原会のきっかけだった。

翌年、桜の花が咲く頃、どこかの河原で飲みたいという連絡が彼からあり、隅田川をチョイス。両国辺りから隅田川に出て、ベンチに掛け、ぐずぐずと飲み始める。その日も天候に恵まれ、見上げれば抜けるような青空、川に目をやれば水上バスが川面を白く波立てて行き来。春のうららの、とはよくぞ言ったものであり、川風も心地よい。

だが、そんな好事にこそ魔が潜むもので。

一通り飲み食いを終え、場所を変えようと、隅田川を遡って吾妻橋に出ようとする。付近にゴミ箱が無かったため、僕が食べ残し飲み残しのビニル袋を持ち、彼がゴミの袋を持ってくれた。川上方向に歩き出してすぐ、彼の手からゴミ袋が飛んでいった。白いビニル袋は青空に流麗な放物線を描き、停泊していた屋形船のタグボートに着地。なんてことしやがる!と思ったときには、屋形船関係と思しき若者二人に詰め寄られ、叱られ、土下座土下座のようなほうほうの体でその場を逃れたのである。隅田川の乱。

以降、河原会は完全にゴールデンウィークの恒例となり、江戸川、多摩川、神田川(井の頭公園)を大きなトラブルも無く制した。

そして、平成最後の2019年春、例によって例のごとく、彼から連絡が来た。今年は目黒川の予定だ。友人ではあるが、実は、この河原会以外で連絡を取り合うことはほとんどなくなってしまった。そんな、一年に一度だけ連絡を取り、会うという淡い友人関係。友達の詳しい定義は知らないが、とある中年男性にも、このような友達がいたって罰は当たらないだろうと思う、今日この頃なんである。

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【読書】戦略家ニクソン~政治家の人間的考察~ [読書]

『戦略家ニクソン~政治家の人間的考察~』読了。

面白かった。

アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連率いる社会主義陣営、
世界を二分する冷戦の只中、1972年。

アメリカ合衆国大統領ニクソンは突如訪中し、
社会主義陣営のはずである中国と外交関係を結ぶことを表明。

これによってソ連は、アメリカと中国の二正面作戦を
強いられることになり、戦略的に厳しい立場へと追いやられた。

そしてドラスティックなアメリカのこの外交政策の転換は、
日本に大きなショックを与え、狂騒的ともいえる、
「日中友好ブーム」がやってくる。

パンダとか。

本書は、このアメリカにおける外交政策の大転換について、
ニクソンの個人的資質の形成と絡め、簡潔にまとめてある。

中ソ対立、ベトナム戦争、極東における勢力均衡、
アメリカの相対的な地位の低下、日本の経済的な台頭etc・・・。

アメリカをめぐる様々な状況下、それまでの政治経歴の中で
固めてきた米中対話という戦略を胸に秘め、1969年、ニクソンは、
大統領に就任する。

そして、中国に様々な外交的なシグナルを送り、
感触を探るとともにその地ならしを進めた。

それらのシグナルが、非常に心憎い。

・中国向け旅行制限の緩和
・ベトナムからのアメリカ地上部隊の撤退を宣言
・パキスタン、ルーマニア首脳を仲介とした中国への打診

そして何よりは、

・いわゆる「核抜き」での沖縄の日本への返還

これらは、一つ一つを見れば独立の政策である。

しかし、これらをつなげて後知恵的に見れば、
当時ソ連との関係悪化に苦慮していた中国への、
関係改善のシグナルということになる。

もっと具体的にいえば、

「アジアでは、アメリカは中国と軍事衝突を起こす気はない」

だから、敵対関係をやめよう、ということを示す。

当時そのことに気づいていた有識者はほとんどいない。
ただ、これらシグナルの意味を正確に理解する人物が、中国にいた。

周恩来首相。

イデオロギーを無視したパワーポリティクスの発想で、
ニクソン訪中をクライマックスとする米中接近が、
水面下で着々と準備される。

ところで、当時の日本。

その外交的懸案はアメリカからの「沖縄返還」だった。
そして日本から見た最大の論点は、「核抜き本土並み」の返還。

中国との接近を視野に入れている以上、
アメリカにとって「核抜き」は既定路線だったといってよい。

その意図に気がつかなかった日本は、「核抜き」をアメリカに
認めさせる??ために、貿易交渉などで譲歩を強いられる。

また最近明らかになった、核持ち込みのいわゆる「密約」も、
米中接近を念頭に置くと様相が変わる。

それは、日本の世論に配慮するためのものではなく、
中国を刺激しないためのものである、という結論に至るだろう。

むしろアメリカは中国をだましたのである。

要は、沖縄返還、日本にとっては一大事だが、
アメリカにとっては対中国のためのカードに過ぎなかった、
ということ。

日本がお人よしなのか、アメリカが狡賢いのか。

ともあれ、日本の外交は、もしくは日本人の世論は、日本にとっての
トップイシューが相手にとってもそうであるという「幸せな思い込み」
に浸る傾向があるのではないか。

そこから脱するには、相手国の国益から見て、
日本の主張を吟味する必要があろう。

そのためには、もし自分が相手国の首脳だったら、
その国益を守るためにどうするかということを、
想像してみるのがよいと思う。

その国の外交環境や、地政学的な位置、国内情勢、これまでの歴史、
首脳同士の関係等々、知識と想像力を駆使してみる。

日本外交、ひいては日本人に欠けているのは、この種の、
想像力を駆使した遊びではなかろうか。


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ある休日、イタリアワインとの日常 [日常]

休日、文庫本をポケットに入れて訪れるはサイゼリヤ。
最寄り駅近くにあるのである。

サイゼリヤと言えばイタリアワイン。
知人友人と1500mlのマグナムボトルではしゃぐのも楽しいが、
一人なので控えめに、250mlの赤のデカンタで。

お気に入りのつまみは、ホウレン草のソテーと、
半熟卵の乗った、柔らか青豆の温サラダ。

聞くとも無く耳に入るのは、若人連中のはしゃぎ声と 、
そして垂れ流される中年マダム方のおしゃべり。

それは、午後のサイゼリアのごくごく一般的な風景でして。

文庫本に集中すれば、1972年。

『ロマネ・コンティ1935年』(開高健)の稠密な文章に導かれ、
今にも、ビンテージワインの封が開けられようとしていた。

イタリアワインを飲みながら、フランスワインの粋を読む。

完璧に注がれたそのワインを飲んだ瞬間、
「小説家」と「重役」の二人は、激しい失望に囚われる。

要は、美味くなかったのだ。

ロマネコンティがこのような味になった背景に様々な思いを馳せつつ、
「小説家」は心中沸き起こる過去の逢瀬の記憶に身を浸す。

逢瀬の記憶と無残な老成を遂げたワインの味が縦横に絡まりつつ文章は進み、
ロマネコンティのグラスが澱だらけになったころ。

「小説家」と「重役」はその場を立ち去った。

文庫本から目を上げると、夕暮れ時のサイゼリヤの喧騒が。
テーブルには、グラス半分ほどの赤ワイン。

澱も何も出てこない赤ワインを飲み干して、598円の勘定を支払い、
僕はサイゼリヤを後にした。

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