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満州寸考 [読書]

『甘粕正彦 乱心の曠野』(佐野眞一 新潮文庫)読了。

内務省と陸軍との勢力争いの狭間で、大杉栄虐殺の汚名を刻まれた
元憲兵大尉は、軍から、ひいては国家から保護と使命とを与えられ、
満州で暗躍する。

甘粕の蠱惑的な汚名と卓越した実務能力、そして、破裂間近な風船のような
その張り詰めた人格は、満州で、多くの人間を引き付けた。

甘粕は、岸信介や東条英機など、いわゆる大物とのパイプを維持しつつ、
その周辺にどこか無頼な人間を置いて、縦横に活躍させる。

それにしても、満州。

人口増加、不況、戦争、統制経済にあえぐ本土をよそに、
満州という言葉の響きは、なんと広大で甘美なことか。

五族協和の実態は差別と官僚主義に彩られたキメラだとしても、
それは、大きな可能性を感じさせる大地だった。

満州の維持は華北進出、そして中国への特殊権益主張につながり、
中国への機会均等、門戸開放が国是の米国と対立。日米戦争に発展。
敗戦とともに、満州国は、ソ連戦車の轍に消えた。

満洲映画協会理事長の甘粕は、青酸カリで大日本帝国に殉じる。

ところで、満州への希望と挫折は、日本人に何を残したのだろうか?

閉塞感ただよう令和の日本、新たな「満州」が必要なのかもしれない。

しかし、満州がもたらした昭和日本の高揚と、その挫折が生んだ
様々な悲喜劇を想うと、「満州」を求める声がどこかか細くなってしまう。

これが、衰退なのだろうか・・・
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【読書】問題は、デフレではなく、賃金デフレ? [読書]

『日本の景気は賃金が決める』(吉本佳生)が面白かった。

日本の経済的停滞の開始を1998年に求め、その背景を、一般的な物価下落であるデフレではなく、賃金上昇が無い状態である賃金デフレに求めており、そこからの脱却を訴えている。各省庁の白書や公的統計を丹念に読みこんだ結果である地に足の着いた経済情勢分析と、賃金デフレへの対策が非常にロジカルに組み合わさっているのがとても印象的だった。

筆者によれば、まず、日本経済の最大の課題は需要不足である。需要不足を解決するには、企業の成長力よりもまず、GDPの6割を占める民間個人消費を増やさなければならない。個人消費を増やすには、国民所得の7割を占める労働者の賃金をあげなければならない。そして労働者の中でも、特に消費性向の高い世帯の賃金が上がるような施策を打たねばならない。すなわち、低賃金層の給与を上げる必要がある。

ところが、賃金が一向に上がってこない。賃金デフレである。

賃金デフレの背景にあるのは、日本における賃金格差だ。筆者は、低賃金労働者の特徴を「女・小・非・短」の4つにまとめている。すなわち、女性、中小企業、非正規雇用、短期就業の4つ。ちなみにこの逆が、男性、大企業、正規雇用、長期就業の「男・大・正・長」である。この、性別、企業規模、雇用形態、同じ会社での就業期間という4つの切り口で見る賃金格差が、日本では甚だしい。

しかも、低賃金労働者の賃金は上がらず、高所得者の賃金や所得は増え続け、格差は拡大している状態。これでは個人消費は伸びず、不況からの脱却は難しい。

どうするか。

筆者の主張の面白いのは、まず、安易な再分配に頼らないことだ。所得税の累進性強化や相続税の増税による所得の再分配は、言うまでも無く富裕層の国外流出をもたらす可能性が高い。急速な最低賃金の引き上げも、かえって雇用を減らす効果になりかねない。これは経済にとって良くない。

また、この本の書かれた頃(2012年ころ)はまだ新鮮だった安倍総理の経済政策、すなわちアベノミクスの微調整を求めていることもユニークだ。もちろん筆者も、金融緩和や財政政策、企業の成長戦略を頭ごなしに否定しはしない。

ただ、2000年代半ばの日本の金融緩和による資金が、日本国内の賃金や資産や不動産に向かわずに海外の資源取引に向かったことで国際的に資源価格が高騰し、結果日本国内の輸入物価を押し上げてしまった。また、いわゆる2%の物価上昇の目標にしても、スタグフレーションの可能性も触れつつ、輸入価格の高騰なども含め、物価が上がるだけでは経済がよくならない点も指摘しており、アベノミクスそのままのやり方には懸念を隠そうとしない。

では、賃金デフレを退治するためにどうすべきか。

筆者は、まず先ほどの低賃金層が多い、つまり消費性向も高い、「女・小・非・短」の4つのカテゴリーが多く就業する業態を指摘する。つまり、サービス業、特に飲食・宿泊だ。彼らの賃金が持続的に上昇すれば、賃金デフレを退治できる可能性が高まる。そのためには、サービス業が栄えるよう政策的に誘導すべきとなる。

サービス業が繁栄するには、人口集積が必要だ。つまり、大都市圏への人口集中をさらに進めるべきとなる。そこで必要になるのが、不動産投資の強化や、都市インフラ拡充のためのさらなる公共事業なのである。

このように、金融緩和による資金を都市インフラ拡充や不動産投資に充てて都市への人口集積を促し、それによってサービス業を中心に産業を発展させ、比較的低賃金労働者が多いサービス業雇用者を中心に賃金を上昇させることで賃金デフレから脱却し、個人消費を増やして景気を回復させましょうというのが、本書を通じた筆者の大まかな主張である。

ついでに言えば、筆者の目線はつねに日本経済全体をいかに不況から脱却させるか否かのみにあるのも、個人的に好感が持てる。それ以外の視点、例えば、低賃金労働者の労働意欲や自助努力の問題、都市インフラ優先における地方切り捨ての問題など、経済政策になんらかの倫理的な視点を入れていないのである。

筆者の唱える経済政策が唯一の正しい処方箋かどうかを判断するには、僕には経済学的知見が足りない。ただ、昨今の政策担当者や、政治家が語る経済政策よりは、ロジカルだし頭には入ってくるんである。我ながら、さらなる勉強は必要なんだろう。

さて、アベノミクスから約七年。

雇用などの経済は少しはマシになったとはいえ、賃金の格差や賃金デフレは依然続いているし、その上さらなる消費増税。この状況下で、本格的な景気回復を実感している日本人はほとんどいないだろう。筆者の予見は、ある程度は的中してしまっている。

かつて明治のジャーナリスト池辺三山は、「立憲国の政治家に不可欠な素養は経済財政である」旨、主張した。また、湾岸戦争で勝利し高い支持率を維持していたはずの現職ブッシュ大統領(父)を破ったクリントン陣営のキャッチは、「It's the economy, stupid」である。

スキャンダル追及もいいだろう、安全保障政策も大切である。ただ、国民をどう豊かにするのか、いや、外国と比べても、豊かになれる可能性のある国民経済をどうして停滞させたままにしておくのか、現代の選良たちの責任は重いのではないかとは思う。

経済成長を軌道に乗せる道筋をキチンと語る政治家が必要な昨今であることを、改めて痛感するのである。

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『マハン海上権力論集』~シーパワー、アメリカ、中国~ [読書]

『マハン海上権力論集』(麻田貞雄訳・編講談社 学術文庫)読了。

19世紀末、海上通商路の発展を包摂する海上権力(シー・パワー)の概念を提唱した著作で、後の海軍戦略理論に大きな影響を与えた、マハンのダイジェスト。日本海海戦の作戦立案で名高い秋山真之が滞米中にマハンに師事したことなんかは、有名かもしれない。

一読した限り、軍事力を中心とするパワーポリティクスの正統的な後継であり、また、米国国権拡張のための海軍の充実を強く訴える内容。

当時のアメリカは、ようやく太平洋岸まで領土が達したところ。また、南北アメリカ大陸への不干渉を欧州に対して主張する「モンロー主義」の影響の中、海を越えて国権を拡張させる政策に、米国内ではまだまだ反論も大きい状況だった。

つまり、19世紀末、アメリカは現在のような大国ではなかったのだ。

そんな現状に、マハンは果敢に挑戦する。切削進むパナマ運河への影響力保持や、ハワイへの進出などを著作の中で提言。その考え方の多く、特に太平洋への勢力拡大は、海軍に造詣の深いセオドア・ルーズベルト大統領の政策に採用され、曲折を経つつも米国の国是の一つとなる。

歴史にifは無いとはいえ、マハンの提言が無かったら、また、もしマハンの提言を米国政府が採用しなかったら、と考えるのは興味深い。

おそらく米国は、カリブ海やメキシコ湾を勢力圏とするローカルな大国のままで現代を迎え、中国大陸を巡り日本と利害を衝突させることはなかったろう。

マハンの議論で他に興味深いのは、日本や中国といった非キリスト教文明への懸念である。彼の懸念は、半世紀後に太平洋戦争として、そして一世紀を超えて、中国の台頭として的中する。

さて、21世紀。東シナ海、日本海において、中国は、マハン流海上権力政策の正当な後継者と言えるだろう。それらの海を超えて、太平洋をどうしたいのか。中華帝国の再来を目指す中国共産党政権の、識見が問われる今日この頃。

マハンが生きていたら、国際政治の中心が太平洋に移りつつあるこのご時世をどう解釈するだろうかと、だらだら想像してみるのである。


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宗教と哲学 [読書]

トマス・アクィナスの『君主の統治について』を読む。

トマスは、言わずと知れた中世スコラ哲学の大成者。

高校時代の世界史の記憶によれば、トマス・アクィナスの業績は、
キリスト教神学をアリストテレス哲学によって再構築したもの、
だったような気がする。

とはいえ、これ、

アリストテレスの『政治学』まんまなんですけど。

結論はともかく、論の進め方や、概念の使い方。

例えば、

「君主制→僭主制」、「貴族制→寡頭制」、「民主制→衆愚制」

の分類とかね。

もっとも、ギリシア哲学にない唯一神の統治のアナロジーで、
強引に、君主制が最高の統治形態と位置づけられている辺り、
なかなかに面白い。

アリストテレスが聞いたら、どういう顔をするだろう。

それにしても、疑うことから生まれたギリシアの哲学と、
信じることを最重要視するキリスト教神学が、
何とも言えぬ融合をしている。

キリスト教的に見れば、ギリシアは明らかに異教であろう。

キリストの世界、中世の思想的バックボーンが、
非キリスト教の概念にあるという矛盾。

中世最大の神学者トマスは、どう整理しているのだろうと思う。
ああ、『神学大全』、読んでみたいけどちょっと時間ないし退屈かなあ。

などととりとめもなく。

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友情に似た何か~日高敏隆と岸田秀~ [読書]

『動物と人間の世界認識』(日高敏隆 著)がやたら面白かった。

ユクスキュルの「環世界」を紹介しながら、動物が付与する意味によって、その認識する環境が異なるという事実を論じる。

例えば、同じチョウでも、アゲハチョウとモンシロチョウでは、認識する世界が違う。

アゲハチョウはミカン科に産卵することから、その種の木が多い可能性の高い、日当たりの良い高い梢を飛び、交尾相手を探す。モンシロチョウは、アブラナ科の植物が多く存在するだろう、平たい草原を飛ぶ。

アゲハチョウには平たい草原は存在しないし、モンシロチョウにとっては、高い梢は存在しないのだ。

草原も、梢も、確かに存在するのにかかわらず。

日高氏は、このような世界認識を「イリュージョン」と呼び、動物は「イリュージョン」がなければ世界を認識できないと喝破する。むろん、動物には、人間も含まれる。

つまり、完全に客観的な世界認識など、どこにも存在しないのだ。

日高氏がこの着想を得たのは、たぶん、40年ほど前。そしておそらくキーパーソンは、心理学者、岸田秀。

「人間は本能の壊れた動物である。だから、大脳が作った幻想に従って生きざるを得ない。ゆえに、人間の世界は全て幻想だ」

ざっくりこんな感じの『唯幻論』を、岸田氏は唱える。

二人は、本書の約40年前、別々に留学したフランスで親交を結んだ。そこで日高氏は唯幻論の基となる思想を聞いたらしい。

そして、岸田氏の著書『続ものぐさ精神分析』の解説において動物と人間の相対性について触れ、人間と動物を本能で峻別する岸田唯幻論に対し、批判の足掛かりを築いている。

それが本格的に展開されたのが、本書なのだろう。いわば、日高氏から岸田氏への、アンサーソングなのだ。

着想から体系化まで、約40年。友情に似た知的な交流を、少しうらやましく感じた次第である。

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