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冬、粕汁を作ってみたときの話 [生活]

以前、大鍋いっぱいの粕汁を作ったことがある。歌舞伎町のスナックの冬のイベントで、大量の汁ものを振舞う必要があったのである。

カレーや豚汁やクリームシチューは割と見かけるので、他に何かないか。若干の思案の末、第一候補に粕汁が上がる。珍しいし、冬だし、外は寒かろうし、じんわり温かかろう。とはいえそれがし、ほとんど料理経験は無い。不安も無くは無いが、まあ、汁だし、味見しながら少しずつ調味料を足していけば、大事故にはなるまいとたかを括る。

野菜類は目星が付いたものの、肉にするか魚にするか。とりあえず、魚のアラと豚肉と白モツで、自分用にそれぞれ粕汁を作ってみた。やはり、風味といいコクといい、魚のアラが一番美味い。豚肉とモツは、思ったより出汁が出ないようだ。骨があって食べにくいのがアラの難点だが、そこは我慢してもらおう。

で、魚のアラの粕汁に決める。とはいえ、サプライズにしたいので、イベント当日まで伏せることにする。

アラについては、できれば鰤かカンパチがよく、近所のスーパー3件ほど見回る限り、いつもそれなりには出ているとはいえ、安定供給がされているとは言い難い。スーパーに注文も考えたが、安いアラでは迷惑かもと二の足を踏みつつ、どこで買えばいいか、魚介居酒屋を営む有識者T氏に相談する。

T氏からは、やはり吉池で買うのが最善という回答が来たが、その数日後、鰤を仕入れたので使わないアラを無料で差し上げる、との連絡をいただく。ありがてえ。で、イベント前日の夜、指定された場所に取りに行くと、人づてに、冷凍されたアラの塊が、想像の2倍ほどの氷塊として渡された。

おお。ごっついのう。

鰤を中心に、カンパチと鯛のアラだそうで、贅沢といえば贅沢だが、具や具や、汝を如何せん。とりあえず家に持ち帰り、下処理に奔走することに。ぬるま湯をかけて解凍することしばし、ある程度解凍できたものから、パッケージを開け、取り出す。

T氏のご厚意により、アラはそれなりに切り分けられてはいるものの、汁としてお椀で出すにはいささか大きい。それを、決して高価とは言えない万能包丁でひたすら細切れにしようと試みる。魚の骨は案外硬い。出刃包丁が存在するわけだとしみじみ思う。

悪戦苦闘しつつ、どうにか一口大に切り分けたものがたまってから、塩で揉み、数分ほどおいては、熱湯を回しかけ、流水で洗い、血や鱗なんかを洗い流す。それらを繰り返し繰り返しするうちに、あっという間に二時間ほど経過した。暖房をかけてない室内でも、汗だくだ。骨折りとはこのことか。

こちらが素人であることを加味しても、なるほど、時間がかかるわけだ。

手持ちの包丁では切れないほどの背骨や尾びれの辺りも結構残ったが、それらはイベント提供には使わず、自分で煮て食うことにした。それでも、想定よりははるかに多くのアラが手に入った。水気を切って、キッチンペーパーにくるみ、ジップロックに入れて、翌日を待つ。

翌日。

朝方、会場近くの業務スーパーで買った大根、人参、生姜とともに、アラを大鍋にぶち込み、適当にアクを取りつつ、顆粒出汁を追加し、酒粕。酒粕は、ちょっと溶けにくい味噌のような感じで、細かくちぎって投入する。白菜を入れ、塩とハイミーで味を調え、ちょいちょい酒粕を追加し、なんとか粕汁の体裁を作る。

小一時間ほどで、粕汁が出来上がる。ぱっと見クリームシチューに見えなくもない白い汁。食ってみると、素人にしては、なかなかイケる。酒粕の複雑な旨味と、利かせた生姜が合い、温まる一品。アラも、不快な臭みは無く、皮周りの脂も骨周りの出汁も出ている。

その感触は自分だけのものでは無く、幸いなことに、来訪した方々にはきちんと食べていただいた。ちょいちょい具材や酒粕や調味料を足しつつ、鍋に作った粕汁は、きれいに平らげられた。最後、底に残ったのは、汁と言うより野菜と酒粕とアラのペーストのようなものになったが、それはそれで味が濃くて悪くなかった。

当日来訪してくれた方には感謝しかない。ただ、魚のアラの処理はやはり面倒であり、もう、しばらくはやりたくないと思った次第なんである。そんな粕汁の記憶。

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散歩習慣 [生活]

あらゆる物事が三日坊主になりがちなのだが、散歩だけは、そこそこ続いている。一日10000歩を超えるペースで、ここ4~5か月くらい。

テレワークをしていても、昼飯を食うなり日用品を買いに出かけたりなんだりで、だいたい日に3~4000歩くらいは歩くので、もう6~7000歩を散歩で補う。時間にして、小一時間ほど。

散歩は、夜が多い。

コースは日によってまちまちで、最寄りの駅前をぐるぐる歩いたり、上りないしは下りの線路沿いに隣駅まで歩いて往復したり、近所の河原をだらだらと歩いたり、それらを混ぜ合わせたり。

特に、夜の河原の散歩は心地よい。

季節にもよるが、闇の中に、水のにおい、草のにおい、虫の声、蛙の声、橋を渡る列車の音が漂い、それらを川風が丸ごと包み込むように運んでくる。嗅覚と聴覚と皮膚の感覚が、なんとなく、研ぎ澄まされるような気がする。

スマホの歩数計を見ながら、概ねその日のノルマ的な歩数をこなすまでぶらぶらし、適当なタイミングで帰ってくる。

正直、運動量としては大したことは無いのだろうし、痩せるなど及びもつかないが、心なしか、飯が美味くなったような気がする。

それだけでも、まあ、悪いことではないのかもしれない。

それまで、古い靴を散歩用に使っていたが、とうとう、自分の誕生日プレゼントとして、散歩用のウォーキングシューズを買ってしまった。

これまで数か月続けられてきたし、身体に良いことなのだろうから、飽きるまで、もう少し日々の散歩を続けてみようと思うのである。

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新型コロナウイルス、ある軽症者の療養記録 [生活]

先日、新型コロナウイルスの陽性が発覚し、療養生活を送ったので、その内容を記録がてらにまとめておきたい。結論から言うと、重症化することなく、咳と微熱の軽症のまま療養期間を終えたが、その後数日は症状が出たりでなかったりが続いた。

■発熱以前
・軽いのどの痛みと咳の症状。熱は無し。咳がなかなか治らず厄介さを感じながら、しばらくだましだまし過ごす。

■発症初日(検査日から二日前)
・咳に加え、朝から37.7度の熱が出る。こりゃいかんと、近所の呼吸器系クリニックで受診。血中酸素飽和濃度や呼吸音から肺炎の所見は見られず、そのクリニックで検査を行っていないため、コロナ検査はせず、いったん解熱剤や咳止め等の処方で経過観察することに。

■発症二日目(検査日前日)
・薬を飲むも咳と熱の症状が続く。前日にかかったクリニックに一応電話で相談。薬を飲んで1日なので症状がおさまらないことは当然あるも、不安なら発熱センターに連絡して検査等する医療機関を教えてもらってはどうかとアドバイスをもらう。この日は様子を見ることにする。

■発症三日目(検査日)
・朝から37.6度の熱。咳の症状も改善せず。こらあかん。そのため発熱センターに電話し、昼頃、紹介を受けた総合病院でコロナのPCR検査実施。数時間後に病院よりコロナ陽性発覚の連絡アリ。発症日は発熱の始まった三日前と推定される。

■発症四日目
・熱は平熱と微熱をいったりきたり(35度台後半から37度台)。身体はちょっとだるい。咳はやや治まってるが、電話で話したりするとすぐむせる。食事はできるが、食欲が明らかに落ちている。脂物が入らない。全体的に、悪化はしてないがよくなってもない。
・保健所から連絡が来て、ホテルに空きがないため自宅療養を指示される。その他、パルスオキシメーターの送付や、配食サービスなど療養について連絡を受ける。

■発症五日目
・熱が38.2度まであがる。解熱剤を飲み忘れた結果と思われる。解熱剤無ければ、4日経っても熱は高いままというのがなかなかしぶとい。咳とだるさは変わらない。座って作業や思考に集中できる感じではなく、仕事や読書はちょっと難しい。パルスオキシメータが自治体から送られてきており、今のところ要注意とされる95まではいかず、96~7で推移。症状自体は重症とは程遠いと思うが、これはじわじわ心身削ってくる感じがする。
・保健所からの定期連絡

■発症六日目
・微熱、咳、関節の違和感も消えない。検温にも関わらず、引き続き熱が出ている状況なのだろう。酸素濃度は97。症状は悪化もしてないが改善しない。
・保健所からの定期連絡

■発症七日目
・平熱と微熱を行ったり来たり。心なしか、咳とかが少し楽になった気がしないでもないが、電話口ではやはりむせる。
・保健所から療養用のホテルの部屋が確保できたと連絡があり、翌日からホテル療養へ。

■発症八日目
・ホテル療養開始。午前中、自治体の送迎で約一時間程かけてホテルへ。
・ホテル療養では、朝夕に自分で検温と酸素濃度測定を行い、記録しておく。毎朝保健所より電話があり、検温と酸素濃度の報告。食事は弁当で、三食。時間になったらアナウンスがあり、配布場所まで取りに行くスタイル。飲み物もその場で配布される。
・熱は平熱。咳が残る。このまま軽快してくれればいいと願う。

■発症九日目
・ホテル療養継続。
・症状に大きな変化はない。熱は平熱、やや咳。
・夕方、保健所より翌日のホテル退所の連絡。

■発症十日目
・ホテル退所。最寄り駅までタクシーに乗り、電車で帰宅。帰りの交通費は自費。
・症状は平熱、咳がやや残る。
・一応、厚労省の定める療養期間は終了した扱いとなる。
(発症から10日経過かつ症状軽快から72時間)

■以後数日
・微熱と咳が断続的にくる。病院に相談も、コロナというより、コロナで抵抗力が弱ったための風症状ではないかということで数日静観。
・以後、とりあえず症状は軽快で現在に至る。

時系列的には以上。幸いなことに重症には至らなかったので入院はしなかった。

症状については時系列のとおりだが、その他もろもろの感想については、
 ・最初の7日間は薬を飲んでも何しても症状が軽くならないので、ひたすら不安
 ・重症化するもしないが、ある程度リスク要因はあるにせよ、ほぼ運でしかなく不安
 ・ちなみに酸素濃度が95切ったら保健所へ連絡、症状が辛ければ救急車をと保健所より指示
 ・ただでさえ無能なのに、仕事に大穴を開けてしまったので、ここも不安
と、とにかく身体もだけど心の不安が厳しかったように思う。また、味覚障害もほとんど出なかったが、熱と咳により食欲が無くなるのと、敢えて言えば塩分をやや強めに感じたような気がした。

ちなみに、一人暮らしの自宅療養で、しかも軽症だと、日用品の買い出しがどうしても必要になる。3日に1度は外出せざるを得なかった。保健所からは無料の配食サービスも紹介されたが、3~4回ほど連絡してもつながらず、あきらめた。

保健所の対応は、土日も含めて毎日連絡してもらったし、むしろ良くしてもらったと思う。ただ、折り返しを避けるためだろうか、非通知着信で電話が来るので、最初はちょっと意味が分からなかった。また、寝ているときに着信が来て出られなかったときも、それが保健所かどうかわからなかったのは、やはり違和感があった。

なお、コロナ療養の証明としては、保健所から就業制限通知という書面が来るとのこと。ただし、事務処理の都合上一か月程度はかかるみたい。また、自費保険や、健康保険の傷病手当の対象になるそうである。

そんなわけで、新型コロナウイルス(COVID‐19)、ある軽症者の療養記録なんである。

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でたらめ野菜汁 [生活]

心身の不調の要因として栄養バランスの乱れがあるのではないか。ラーメンのトッピングの野菜は質、量ともに野菜といえるのか。ひょっとして世の中には脂と塩と炭水化物以外にも食物はあるのか。

等々。

様々な疑問に突き動かされ、野菜を多めに食ってみることを試みようとしている。とはいえ、料理などほとんどしないし、どうしようかと思ったが、結局ぐずぐず煮ればいいんじゃないかという結論。

で、一回あたり、例えば、キャベツ1/4玉と玉ねぎ一個とか、とにかくスーパーにそのときあった安い野菜を適当にぶち込んで、煮て食ってみる。最初は小鍋にはみ出すほど山盛りだったキャベツも、20~30分ほど煮ると嵩が減り、芯の部分もかなり柔らかくなっている。食べ時か。

煮汁ごと丼によそって、適当に味をつける。塩コショウのときもあれば、醤油のときもあり、ポン酢醤油も悪くない。かつおなりコンソメなり味覇なり、即席出汁ををぶち込むこともある。とりあえず塩気さえつけられれば、何でもよい。

こうして、でたらめな野菜汁が出来上がる。

食うと、まあ、野菜と調味料の味がする。当たり前か。でもまあ、食えないでもない。煮汁に野菜の味が染み出していて、野菜に味があったことを今更のように思い出す。これはこれで悪くは無い。

誰かに食わせるわけでも無いので、これでよいのだ。

当面飽きるまで、サプリメント代わりに、野菜汁を作って啜って食らうことにしよう。

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時の移ろい、酒の飲み方 [生活]

年を取るにつれ、酒の飲み方が変わってきた。

20代や30代前半くらいの若いころは、スピリッツならロックかストレートのみ。ごくごくたまにトワイスアップ。水割りもハイボールも、それしかなければ飲むが、自分から好きで飲む気はしなかったのである。

うろ覚えだが、「スコッチなんかはストレートで飲むことを前提に蒸留されブレンドされているのだから、ハイボールはまだしも、水割りなんて台無しだ」みたいな言葉が山口瞳のエッセーにあり、その言葉を忠実に守っていたような感じ。

それが不惑を超えた今では、スコッチやバーボンなんかのスピリッツを、水割りにしてもソーダ割にしても好んで飲む。甲類焼酎のお茶割もレモンサワーも好きだし、ホッピーも悪くない。ときには、日本酒をロックで飲むことだってある。

もちろん、加齢なり何なりの衰えで、強いアルコールを一度に飲むのがきつくなってきたことは間違いない。実際、何杯か飲んできついアルコールが胃に落ちると、ウっと吐き気がやってくることもよくある。ただ、自分にとっての酒の味の感じ方が変わってきたというのも、見逃せない。

かつて水割りやソーダ割は、酒を薄めたものだと思っていたし、そう感じてもいた。むろんそれは事実である。しかし今は、発想が変わり、水や炭酸水に酒で風味をつけたものが水割りやソーダ割だと感じるようになったのである。

例えば、グレンリベットの12年を多めの水で割る。するとただの水が微かだが素晴らしい香気を放ち、文字通り「生命の水」へと変わる。炭酸水にタリスカー10年をほんの少し注ぐと、炭酸の泡に香りが爆ぜて、これも素晴らしい。ぺルノなんかも、酒を多めに入れるよりも、水に数滴たらしてわずかに白濁させるくらいがちょうどよく、夏の冷たい飲み物として秀逸だ。

つまり酒ではなく水として炭酸水として味わうのが楽しく、そこに彩りを添えるのが酒なのである。ある意味、コペルニクス的転回と言っても過言ではあるまい。

人は、変わる。

酒の飲み方一つとってもそうなんだから、今の僕は、ものの考え方も容姿も、20代の僕とはかなり変わってしまったに違いない。それでも、僕は僕なのだ。時は移ろうけど、変わったものも変わらないものも全てひっさげて、これから先も生きていくしかない。

そう。生きるために、これからも、変わる自分も変わらない自分もどちらも愛し続けようとは思うのである。

それは、酒を愛するように。


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