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新宿タイガー、一酔客から見て。 [新宿]

新宿のゴールデン街とかでちょいちょい酒を飲んでいると、やはり、新宿タイガーは避けて通れまい。日本で一番有名かもしれない新聞配達員。最近はドキュメンタリー映画にもなったし。決して親しいわけでは無いが、その稀有なビジュアルは否応にでも目に突き刺さってきて、忘れようとしても思い出せない。

そんなタイガーさんを見かけて10年以上、折々の遭遇譚を書いてみることにしよう。

酒場街を歩くと、店が一階であれば、その戸口の前に、ピンクを基調とした布や何やらの塊としか言いようが無い物体が置いてある。タイガーさんがその店にいる証だ。個人的には、「タイガーの抜け殻」と呼んでいる。抜け殻があるときは、その店には入らないようにする。別にタイガーさんと話すことなど無いからだ。もっとも、タイガーさん自身、店で働く女の子としかほぼ喋らない。店の女の子を褒めちぎり、甲高い声で笑いながら、映画の話などをしている。例えその店が満員であろうと、他の男性客はまずもって、眼中に無いのである。別に不愉快というわけではないが、気持ちのいいものでもない。

ところがあるときである。

二階にある某店で酒を飲んでいると、タイガーさんが入ってきた。こちらも飲みはじめたばかりだし、そのまま席に居続ける。例によってタイガーさんが店番の女の子と話をしだす。タイガーさんがこちらを無視するのは分かりきっていたので、タイミングを見て、こちらもその女の子と別の会話をする。接客業は大変だ。しばらくそんなやりとりが続くと、ふとタイガーさんがこちらを向くではないか。ちなみにそのときは例のタイガーマスクのお面は外しており、素顔のままで。そして曰く、

「お前、顔はジャニーズだけど、心がゴキブリだなー!はっはっは!!」

褒められてるのかディスられているのかよく分からないが、タイガーさんが男性である僕に話しかけてきたことで、僕も、周囲の客も唖然。タイガーさん自身はそれほど機嫌が悪そうには見えなかったし、むしろ上機嫌そうだった。タイガーさんを見かけることはそれなりにあるが、彼が男の客に話しかけるのを見たのは、僕がタイガーさんを知る10数年の中で、それ一回きりであった。

またあるとき、某酒場で『北の国から』を見ていた。田中邦衛演じる黒板五郎が、東京に出稼ぎに出てくるシーン。画面には、30年以上前の新宿が映っている。今昔を思い画面を眺めていると、左上から右下にかけて、スーッと自転車を漕いでいる人が通り過ぎた。ピンクをモチーフとした装束、タイガーマスクのお面、誰がどう見たって、新宿タイガーその人である。ある意味田中邦衛以上のインパクトを残し、タイガーさんは画面から消えていった。

2016年春、火災直後のゴールデン街を闊歩する姿もまた、印象的だった。不幸中の幸いで、火災にあったのは街全体の一部ではあったが、大きく報道されこともあってか、ゴールデン街には普段来ないような多くの人が訪れていた。そんな街中を、ラジカセを響かせながら悠然と歩く新宿タイガー。その異相も相まって、注目を浴びずにはいられない。彼が歩く姿そのものが、ゴールデン街の日常なのだ、火事があろうが無かろうが、それは変わらないのだ、そんな心強さを感じたのである。

おそらくこれからも、タイガーさんとは街中ですれ違うだろう。ただ、決して親しくなろうとは思わないし、向こうにもその気は無いに違いない。ただ、新宿という街で酒を飲み、同じ時代を生きていたという、同志にも似たような気持ちをこちらが一方的に抱いているのである。どうか、末永くお元気であられんことを。

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動物の生死、雑感 [その他]

動物の命を大切にすること、一般的にはもちろん、個人的な心情としても、
非常に好ましいとは思う。

ただ、
 ・ペット用の動物の命を丁寧に扱うこと
 ・人間の食料用として育成され屠殺される動物のこと
 ・捕鯨や象牙など野生の動物に対する扱い
の違いを整合的に理解することは、なかなか難しいと感じる。

ペット用の動物が殺処分されると聞くことは痛ましいし、それらを
残酷に扱うことに対しては憤りに近い気持ちになる。

一方ドナドナではないが、家畜の屠殺にはかわいそうだなと思う反面、
やはり肉は美味い。フォアグラだって食べたい。

捕鯨反対をヒステリックに唱える団体には、辟易してしまう。

おそらく、このような問題意識を持つのは、いわゆる先進国の都市住民
であると思う。その特徴は、日常生活と動物の生死との間の距離の遠さと、
死や残酷さに対する耐性の低さである。

生命の大切さを強調され、生死の現場から遠ざけられてきた多くの
先進国の都市住民にとって、死はあまりに異質である。それに直面
させられることによって、ちょっとした精神的恐慌をきたすのでは
ないか。

たぶん、良くも悪くも生死に近い紛争地域や貧困地域では、動物への
扱いが社会的倫理的な問題になることはあまりなかろう。

むろん、動物が残酷に扱われることから生じる嫌悪感を否定することは
できないし、すべきではないと思う。しかし、そのような基準から見て、
人間が残酷な行為を歴史的かつ文化的に続けてきたし、これからもそうで
あることは、間違いない。人間の歴史としてそれに敬意を払わないのも、
またおかしい。

結局、動物に対する個人の惻隠の情と、社会的・文化的な動物への取扱い
への一応の敬意と尊重、そして他者への寛容などをないまぜにしたような、
生死に関するスタンスが必要なのだと思う。

まあ、今のところよくわからんけど。歯切れが悪いが、しょうがない。

議論になった事件や問題について一つ一つ考え、議論し、基準めいた
コンセンサスを作るとともに、それらの妥当性を常に検証する必要があるのだろう。

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ある日の銭湯 [生活]

久しぶりに、近所の銭湯にいってみる。

ほとんど空間の無い番台で入浴料とタオルセット一式の料金を払い、
脱衣所へ。+100円払うと手ぶらでも入浴できるのでよい。

脱衣所から浴場を見やると、奥に浴槽があり、手前が2列に並んだ洗い場。
一番手前の左手が水風呂、右がシャワーになっている。あまり広くはない。

中には3人ほどおり、浴槽縁に腰掛けている親子連れと、洗い場に一人。

親子連れの子供は、小学校高学年くらいか。
そして、こちらに背を向けて腰掛けている親は、丸刈りで、
中日の和田のような感じ。

その背中は絵画で彩られている。

浴場に入り、ケロヨンの黄色い洗面器と椅子を持ち、洗い場の一角へ。
洗い場は、正面に鏡、鏡の上に固定式シャワー、鏡の下に水とお湯、
それぞれの蛇口がある。

固定式シャワーといい、洗面器にお湯と水を混合しながら適温を
探すのといい、自家風呂に慣れた身に、銭湯はなかなか不便だ。

たるんだ身体を嘆きつつ洗っていると、和田親子が背後にきた。
父親の背中の絵と文字を鏡の中で解読しようとするが、
メガネの無い悲しみを味わう。

少しすると、父親が子の顔にシェービングクリームのようなものを
塗りだした。剃刀も取り出し、どうやら、産毛を剃ろうとしているらしい。

そんな様子を横目に身体を流し浴槽へ。
まずは、向かって右の紫根入りという湯につかろうと試みる。

熱っ。太股辺りがぴりっとした。

最初の熱さに身体を慣れさせつつ、こわごわ身体を沈めると、
湯の熱さがぴりぴりしてくる。しばらくするとぴりぴりがなくなり、
今度はじんわりとした感じ。

温度調節が不自由なのも、自家風呂との違いだろう。

それから隣の通常の湯の浴槽につかる。
場所によってはジェットバス状になっているが、なんとなく、
そこを避けて普通につかる。

和田親子は、子が浴槽に入りつつ、父は頭を剃っている。

それにしても、湯につかると手持ち無沙汰が否めない。
人がいるから、歌えないし、泳げないし。
また、のぼせてくるし、どうも長湯に向かない体質であるようだ。

入り口近くのシャワーで身体を流し、浴場を出る。
身体をぬぐって着衣後、番台に出る。

牛乳かコーヒー牛乳か迷ったが、今日はコーヒー牛乳で。

一息ついて、湯の熱で身体をほんわりさせながら、
雑誌などを斜め読みしているのはとても心地よい。

ふむ。

また、忘れたときにテルマエることにしよう。

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【フィクション】月の女王の涙 [フィクション]

物心ついてからは、病棟が、少女の世界すべてだった。
少女は、完治の見込みがない難病に冒されていたのだ。

極端な苦痛こそ無いものの、
病は日々ゆっくりとその身体をむしばんだ。
絶え間ない倦怠感と孤独感と焦燥感は、
彼女の精神をも損なっていった。

看護師はもちろん、医師や、見舞いに来た両親に対しても、
少女は、考えられる限りの罵倒の言葉を投げつけた。
言葉ではなく物を投げつけることさえも、
珍しいことではなかった。

皆、彼女の境遇に同情し、苦情一つ言わず、
できうる限りその意思に沿うよう努めていた。

こうして少女は、まるで女王のように、
病棟に君臨しているかのように見えた。

だが、彼女にもままならないことがあった。

女王は、ある若い男の看護師のことが、
とても気になっていた。
しかし自分の身体のことを顧み、その感情を、
こころの奥底に封じ込めようと努めていたのだ。

(わたしには、恋などできない)

だが若い看護師も、何とはなしに、
その気持ちに気づいていた。
なぜなら彼も、女王のことを好ましく思っていたから。

ある夜、消灯時間を過ぎたころ、
男は女王にナースコールで呼び出された。

「わたし、月が見たいの』」

夜の冷たい外気は、病には厳しい。
男は言葉を尽くして女王を説得しようとしたが、
その夜の女王はとりわけ聞き分けがよろしくない。

(まあ、短時間なら、平気か・・・)

男は、女王を屋上へ連れていった。

空は満月。
銀色の光が燦々と降り注いでいた。

女王は屋上の手すりにもたれ、
限りない憧憬に満ちたまなざしで、月や星を見上げた。
涼やかな夜風は彼女のつややかな黒髪を撫で、
月光は蒼白な顔を浮かび上がらせた。

男は、時間を忘れて女王に見入っていた。
女王はふと、男の方を向いた。
女王は、いや少女は、声も上げずに泣いていた。

男はためらわず少女を抱き寄せ、
そして涙の伝った頬に口づけた。
少女はおずおずと男の背に手を回し、
そして、か細い腕で力一杯男を抱きしめた。

それから、女王と男は逢瀬を重ね、いつしか、
唇を、そして身体を重ねるようになった。
それは文字通り、命を削るような行為であった。

女王の心は少しずつ和んでいき、周囲に優しくなった。
口さがない病棟内では、男と女王の間を勘ぐる者もいたが、
女王のご機嫌がいいことから、それ以上詮索しなかった。
ただ、女王が日々やつれていくことは、
もはやとどめることのできないものとなった。

そしてある日、女王は少女としてこときれた。
少女の顔には、うっすらと、満足げな笑みが浮かんでいた。

少女の死後、男は少女との関係の責任を問われ、
病院を解雇された。

男は少女の両親に会い、謝罪した。
少女の両親は、語彙を尽くして彼を罵り、
詰り、非難し、恫喝した。
男は何も言わずただ頭を下げただけだった。

男は、あの夜の満月が照らした少女の涙を胸に秘め、
生きていくことに決めていた。

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ベルク、ギネス、豆ピクルス [新宿]

JR新宿駅東口改札を出て左、すぐ。向かいは立ち食い蕎麦屋。新宿で飲み食いする者の一人として、ベルクは敬意を捧げるべき場所の一つであろう。書籍や各種媒体で紹介されているから、僕ごときが屋上屋を架すことは無いのかもしれないが、自分なりのベルクを書いておきたく、どうかご容赦いただきたい。

そこは、朝からやってる小さなお店で、常に繁盛していて窮屈なはずなのに、どこか自分を滑り込ませることができる、貴重な場所。夕方の知人との待ち合わせにもちょうどいいし、あるときは、友人と立ちっ放しで四時間ほど話し込んだこともある。飲み明かした朝、酔い覚ましのコーヒーは格別だ。

個人的には、朝の10:00~11:00ころのベルクが最高だと思っている。ちょうど、モーニングとランチの間くらい。客で溢れてるベルクでも、この時間は少し席に余裕があり、座れることも多い。立つのも悪くは無いのだが、のんびりしたい気持ちの時には、やはり座れるとありがたい。

まず頼みたいのは、ギネスのワンパイントだ。丁寧に注いでくれるため、いささか時間がかかるのも、もどかしくてよい。ビロードのようなきめ細かな泡でできた液体は、香ばしくてやたら滋味深い、黒パンを飲んでいるかのようだ。当然、肴も欲しくなる。マストなのは、豆ピクルス。様々な豆の酢漬けは、噛んだ食感と酸っぱさで、目が覚める心地がする。

もう一品くらい欲しく、大体悩むのは、ニシンの燻製キッパーへリングか、豚肉の煮こごりのようなポークアスピック。ギネスとあわせるのであれば、燻された薫り高いニシンは鉄板だが、ポークアスピックのフワフワとした優しさとコク、それにバゲットを合わせたものも十分ギネスの肴になる。大抵このどちらか。

そして、椅子に腰掛け、読みかけの小説か何かにつらつらと目を通しながら、ビロードの泡と肴を存分に楽しむのである。もちろん、こういうときは独りがいい。

カレーもホットドッグもコーヒーも玉子かけご飯もソーセージも、また食べ物だけでなく、ギネス以外のビールも日本酒もワインも、ベルクにあるものはすべからく美味そうなのだ。しかし、なぜか独りでベルクに行くと決まってギネスとその肴を注文してしまう。混んでるから、あまり迷うのもよくないという心の焦りかもしれないし、自分にはそれが性にあっているといえばそれまでかもしれない。

おそらく、僕以外にも様々な理由や使い方でベルクを楽しんでいる人は多かろう。僕も含め、そんな新宿に集う諸人を何となく受け入れてくれるベルクは、これからも繁盛し続けて欲しいのである。

≪Webサイト≫
http://www.berg.jp/
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