『グイン・サーガ』へのささやかな思い [読書]
栗本薫さんが亡くなって、もう10年か。
それを知ったとき、読み続けていた『グイン・サーガ』への印象が、
ガラリと変わったのを生々しく覚えている。
一言で言えば、自分とパラレルなもう一つの世界は、動きを止めたということ。
15歳くらいから読み始め、大学在学中には、リアルタイムの新刊に追いついた。
僕にとって、『グイン・サーガ』は物語ではなかった。 むしろ、外国の「ニュース」だった。
豹頭の戦士を中心に動く世界。
そのうねりに人々は飲み込まれ、ときには従い、ときには抗う。
飯を食い、酒を飲み、恋をし、戦い、祈り、そして生きる。
英雄も民も、悩み、苦しみ、己が運命を全うする。
王侯貴族も市井の民も変わらない。それぞれの懸命な生き様。
僕にできるのはただ、胸を躍らせてそれらを見守るだけ。
そして、それぞれの人物の行く末に一喜一憂し、世界の動きに思いをはせる。
見知らぬ外国よりも、ずっとずっと、 グイン・サーガの世界はリアルだった。
そんな世界が動きを止めたのだ。
動きを止めた世界は、ようやく、 「物語」という結晶になったのだろう。
やれやれ。
今でも、『グイン・サーガ』が書き継がれているのは知っている。
しかしそれはやはりニュースではなく「物語」なのだと思う。
久しぶりにじっくりと、ニュースではない、物語を読み返すことにしようかな。
それを知ったとき、読み続けていた『グイン・サーガ』への印象が、
ガラリと変わったのを生々しく覚えている。
一言で言えば、自分とパラレルなもう一つの世界は、動きを止めたということ。
15歳くらいから読み始め、大学在学中には、リアルタイムの新刊に追いついた。
僕にとって、『グイン・サーガ』は物語ではなかった。 むしろ、外国の「ニュース」だった。
豹頭の戦士を中心に動く世界。
そのうねりに人々は飲み込まれ、ときには従い、ときには抗う。
飯を食い、酒を飲み、恋をし、戦い、祈り、そして生きる。
英雄も民も、悩み、苦しみ、己が運命を全うする。
王侯貴族も市井の民も変わらない。それぞれの懸命な生き様。
僕にできるのはただ、胸を躍らせてそれらを見守るだけ。
そして、それぞれの人物の行く末に一喜一憂し、世界の動きに思いをはせる。
見知らぬ外国よりも、ずっとずっと、 グイン・サーガの世界はリアルだった。
そんな世界が動きを止めたのだ。
動きを止めた世界は、ようやく、 「物語」という結晶になったのだろう。
やれやれ。
今でも、『グイン・サーガ』が書き継がれているのは知っている。
しかしそれはやはりニュースではなく「物語」なのだと思う。
久しぶりにじっくりと、ニュースではない、物語を読み返すことにしようかな。
【読書】国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて~ [読書]
『国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて』読了。
色々な角度で楽しんだ一冊。
国策捜査に関する緻密なノンフィクションであり、
私小説であり、外交評論であり、政治の群像劇でもある。
「トリックスター」田中真紀子の迷走は、
外務省内の権力闘争におけるパンドラの箱を開け、
日本の外交政策は「地政学論」から「ナショナリズム」へと、
大きく舵を切る。
これまで、北方領土問題の解決を軸とするロシア外交に、
深くコミットしてきた鈴木宗男や筆者は、政策転換とともに、
「国家の罠」に転落。国策捜査の中で、犯罪者の烙印を押される。
逮捕・勾留された筆者と、検事との取調という攻防。
犯罪作家としての検察組織の描くストーリーに、ある面では妥協し、
ある面では峻拒する筆者の態度。それは知的な遊戯として、
どこか優雅にさえ思えてしまう。
いずれも事実の積み重ねを丹念に描いていて、とても面白かった。
そんな中、色々あれど、一つ感じたのは、
「犯罪とは何か。悪とは何か」
ということ。
刑事事件に関して、筆者の主張が全て正しいとは思わないが、
捜査が「国策」として行われるのであれば、時の政治の意思によって、
「犯罪」や「悪」の定義が変わってしまう。
そして、民主主義国家の政治の意思とは、畢竟、
ワイドショーと中吊り広告の決めた多数派の意思に過ぎない。
もっとも、多くの場合は、多数派の正義というのは、
「正しく」「常識的」なのだと思う。
人を殺すのは良くないし、人のものを盗むのも悪いことだ。
しかし正義とは、善とは、多数派の安心に依存するモノだけ、
なのだろうか?
キリストを処刑したユダヤの人々は正義だろうか?
ソクラテスに毒杯をあおらせたアテネの人々は正義だろうか?
僕らが立っている善悪の基盤は、マグマの表層に浮かぶ、
地殻のようなものかもしれない。
当たり前のように存在する地面が、ある日マグマの胎動で、
瞬時に崩れ去ってしまうような感じ。
そんな善悪の彼岸のことを考えさせられた次第なんである。
色々な角度で楽しんだ一冊。
国策捜査に関する緻密なノンフィクションであり、
私小説であり、外交評論であり、政治の群像劇でもある。
「トリックスター」田中真紀子の迷走は、
外務省内の権力闘争におけるパンドラの箱を開け、
日本の外交政策は「地政学論」から「ナショナリズム」へと、
大きく舵を切る。
これまで、北方領土問題の解決を軸とするロシア外交に、
深くコミットしてきた鈴木宗男や筆者は、政策転換とともに、
「国家の罠」に転落。国策捜査の中で、犯罪者の烙印を押される。
逮捕・勾留された筆者と、検事との取調という攻防。
犯罪作家としての検察組織の描くストーリーに、ある面では妥協し、
ある面では峻拒する筆者の態度。それは知的な遊戯として、
どこか優雅にさえ思えてしまう。
いずれも事実の積み重ねを丹念に描いていて、とても面白かった。
そんな中、色々あれど、一つ感じたのは、
「犯罪とは何か。悪とは何か」
ということ。
刑事事件に関して、筆者の主張が全て正しいとは思わないが、
捜査が「国策」として行われるのであれば、時の政治の意思によって、
「犯罪」や「悪」の定義が変わってしまう。
そして、民主主義国家の政治の意思とは、畢竟、
ワイドショーと中吊り広告の決めた多数派の意思に過ぎない。
もっとも、多くの場合は、多数派の正義というのは、
「正しく」「常識的」なのだと思う。
人を殺すのは良くないし、人のものを盗むのも悪いことだ。
しかし正義とは、善とは、多数派の安心に依存するモノだけ、
なのだろうか?
キリストを処刑したユダヤの人々は正義だろうか?
ソクラテスに毒杯をあおらせたアテネの人々は正義だろうか?
僕らが立っている善悪の基盤は、マグマの表層に浮かぶ、
地殻のようなものかもしれない。
当たり前のように存在する地面が、ある日マグマの胎動で、
瞬時に崩れ去ってしまうような感じ。
そんな善悪の彼岸のことを考えさせられた次第なんである。
プーチン後はいかに?近未来ロシアに関する床屋政談 [国際]
■ロシア経済、国家主導に限界 1~3月GDP0.5%増(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44998470Z10C19A5FF8000/
ロシア経済に停滞が続いているそうだ。
確かに、かつて2000年代にはBRICsの一角と呼ばれ、原油価格の高騰を背景に経済大国への道を進むのではないかと言われた姿は、今のロシアからは窺うことが出来ない。そして、経済運営の失敗は、2018年に80%近い得票率(苦笑)で圧勝したプーチン大統領にとって、アキレス腱になりかねないのではないかと、個人的には懸念しているのである。
そんなわけで、プーチン政権の末期とその後といういわば近未来ロシアについて、素人が知りうる範囲でだらだらと考えてみたくなったので、素人なりにまとめてみることにした。
さて、少なくとも、民主制を標榜する政治において、もしくは政治全般においてと言っても過言ではないかもしれないが、構成員を食わせること、すなわち経済はトップイシューだ。中国共産党政権が曲がりなりにも一党独裁でやっていけるのは経済を成長させたからであり、「明るい北朝鮮」と揶揄されながらもシンガポールにおいてリー・クアン・ユーが指導者であり続けられたのも経済成長のおかげだ。湾岸戦争の勝利で絶大な支持を得たはずのブッシュ大統領(父)が大統領選で敗れた相手は「It's Economy,Stupid!」をスローガンにしたビル・クリントンである。
さてロシアはどうか。
冒頭のニュースのように、ロシア経済は停滞が続いている。要因としては、記事にもあるように国家主導型の経済の限界であり、資源依存型の経済の限界であり、加えて、クリミア併合およびウクライナ対応を原因とした経済制裁である。
これを打開するには、インフラへの投資、新規産業を生むための規制緩和、外国などからの資本の導入が必要であろう。しかし、国家主導の経済では規制緩和は困難だろうし、経済制裁を受けている中で外資の導入を積極的に進めることはできない。現在のところ、ロシアがウクライナへの介入を停止する気配は全く見られない以上、経済制裁は続くだろう。また、報道等で見る限り、インフラへの投資も活発とは言えないようだ。
この状況からは、プーチン大統領は、情報将校としてのバックグラウンドからか、経済に関してはあまり知見を持っていないし、知見を持った人々を周囲に置いていないのではないかと疑わしくなってしまう。少なくとも、原油価格が高く経済が好調でBRICsと持てはやされた時代に、将来のリスクに備えて、インフラ投資や産業構造の転換に備えた新産業の創出への投資をしておくべきだったのに、完全に出遅れてしまった感がある。
もちろん、ソ連崩壊からロシア連邦への移行において、エリツィンから引き継いだ混乱した国家をどうにかこうにか纏め上げた手腕は見事であるし、精力的な執務姿勢も素晴らしい。ただ、現代国家の首脳として経済に必ずしも強くないのは、そしてその欠落を補う措置を取らないのは、大きな欠点だと思う。
プーチン政権が手をこまねいて経済に悪影響が出れば、当然政権の支持率は下がる。支持率が下がれば、選挙で議会の多数派を握ることはできないことから、政権は選挙干渉を行うことになる。選挙干渉を行ったとしても、国民の不平の原因である経済の改善は望めないことから、不満は溜まる。不満が溜まれば支持率は下がっていくだろう。今のロシアはこうした悪循環の中にいるのではないかと思われる。
さらに、『プーチンの実像』(朝日新聞出版)等によると、プーチン政権において、プーチン大統領個人への権限集中に拍車がかかっており、そのことも、この傾向を推し進めているのではなかろうか。確かに、支持率低下の中で自分の求心力を高めるために権限を集中させたいと言う気持ちは分かるが、プーチン大統領が経済政策に強くないのだとしたら、経済の停滞は進むし、支持率低下にも歯止めがかからず、さらなる選挙干渉と支持率低下に苦しむことになるだろう。
権限集中を進めるプーチン政権において最大のリスクは、権力継承のためのルールが存在せず、プーチン以後のロシアの姿が全く見えないことである。
例えば、日本では政権与党の有力政治家が次の総理大臣になるだろう。一党独裁で政治が不透明と言われる中国でも、共産党内の序列はそれなりに判明しており、全くの抜擢人事はありえない。アメリカも、大統領選の候補者たちは早くから報道に晒されている。ロシアはどうか。
現在においては、完全にプーチンの胸三寸であり、しかも求心力を失わないために、最後の最後まで後継指名はしないだろう。これでは、基本的にロマノフ家の血縁者からツァーリを輩出したロマノフ王朝よりも透明性が無いではないか。
加齢による衰えや、高度な緊張を伴う生活が続くストレスは、いかに超人的な体力・精神力を誇ろうと、プーチンを蝕むはずである。プーチンが権限を委譲し、プーチン個人に依存しない政治や行政組織を作るのでなければ、権限を集約させたプーチンの判断ミスは、ロシア国内外に大きな悪影響をもたらすだろう。
プーチンの任期は2024年。健康状態にもよるが、終身大統領を目指したとしてもおかしくない。それとともに、衰えによる判断力の低下やミスのリスクは上昇する。また、プーチン個人の権限が強く、制度が事実上崩壊している以上、プーチンの指導力が衰えている場合には、次の政権が決まるまでには、ソ連崩壊とまでは行かなくても、相当の混乱が予想される。
日本としては、プーチン政権の末期のリスク向上と次期政権が決まるまでの間の混乱を予期しておくべきであるとともに、ポストプーチンを見据え、プーチンとの親疎に関わらず、将来の有力者候補と幅広く接触し、リスクヘッジをしておくべきだろう。それと同時に、その時期のロシアの混乱が北東アジアの安全保障に与える影響について、シミュレーションしておかなければならないと思う。
そんな、ある春の夜の床屋政談。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44998470Z10C19A5FF8000/
ロシア経済に停滞が続いているそうだ。
確かに、かつて2000年代にはBRICsの一角と呼ばれ、原油価格の高騰を背景に経済大国への道を進むのではないかと言われた姿は、今のロシアからは窺うことが出来ない。そして、経済運営の失敗は、2018年に80%近い得票率(苦笑)で圧勝したプーチン大統領にとって、アキレス腱になりかねないのではないかと、個人的には懸念しているのである。
そんなわけで、プーチン政権の末期とその後といういわば近未来ロシアについて、素人が知りうる範囲でだらだらと考えてみたくなったので、素人なりにまとめてみることにした。
さて、少なくとも、民主制を標榜する政治において、もしくは政治全般においてと言っても過言ではないかもしれないが、構成員を食わせること、すなわち経済はトップイシューだ。中国共産党政権が曲がりなりにも一党独裁でやっていけるのは経済を成長させたからであり、「明るい北朝鮮」と揶揄されながらもシンガポールにおいてリー・クアン・ユーが指導者であり続けられたのも経済成長のおかげだ。湾岸戦争の勝利で絶大な支持を得たはずのブッシュ大統領(父)が大統領選で敗れた相手は「It's Economy,Stupid!」をスローガンにしたビル・クリントンである。
さてロシアはどうか。
冒頭のニュースのように、ロシア経済は停滞が続いている。要因としては、記事にもあるように国家主導型の経済の限界であり、資源依存型の経済の限界であり、加えて、クリミア併合およびウクライナ対応を原因とした経済制裁である。
これを打開するには、インフラへの投資、新規産業を生むための規制緩和、外国などからの資本の導入が必要であろう。しかし、国家主導の経済では規制緩和は困難だろうし、経済制裁を受けている中で外資の導入を積極的に進めることはできない。現在のところ、ロシアがウクライナへの介入を停止する気配は全く見られない以上、経済制裁は続くだろう。また、報道等で見る限り、インフラへの投資も活発とは言えないようだ。
この状況からは、プーチン大統領は、情報将校としてのバックグラウンドからか、経済に関してはあまり知見を持っていないし、知見を持った人々を周囲に置いていないのではないかと疑わしくなってしまう。少なくとも、原油価格が高く経済が好調でBRICsと持てはやされた時代に、将来のリスクに備えて、インフラ投資や産業構造の転換に備えた新産業の創出への投資をしておくべきだったのに、完全に出遅れてしまった感がある。
もちろん、ソ連崩壊からロシア連邦への移行において、エリツィンから引き継いだ混乱した国家をどうにかこうにか纏め上げた手腕は見事であるし、精力的な執務姿勢も素晴らしい。ただ、現代国家の首脳として経済に必ずしも強くないのは、そしてその欠落を補う措置を取らないのは、大きな欠点だと思う。
プーチン政権が手をこまねいて経済に悪影響が出れば、当然政権の支持率は下がる。支持率が下がれば、選挙で議会の多数派を握ることはできないことから、政権は選挙干渉を行うことになる。選挙干渉を行ったとしても、国民の不平の原因である経済の改善は望めないことから、不満は溜まる。不満が溜まれば支持率は下がっていくだろう。今のロシアはこうした悪循環の中にいるのではないかと思われる。
さらに、『プーチンの実像』(朝日新聞出版)等によると、プーチン政権において、プーチン大統領個人への権限集中に拍車がかかっており、そのことも、この傾向を推し進めているのではなかろうか。確かに、支持率低下の中で自分の求心力を高めるために権限を集中させたいと言う気持ちは分かるが、プーチン大統領が経済政策に強くないのだとしたら、経済の停滞は進むし、支持率低下にも歯止めがかからず、さらなる選挙干渉と支持率低下に苦しむことになるだろう。
権限集中を進めるプーチン政権において最大のリスクは、権力継承のためのルールが存在せず、プーチン以後のロシアの姿が全く見えないことである。
例えば、日本では政権与党の有力政治家が次の総理大臣になるだろう。一党独裁で政治が不透明と言われる中国でも、共産党内の序列はそれなりに判明しており、全くの抜擢人事はありえない。アメリカも、大統領選の候補者たちは早くから報道に晒されている。ロシアはどうか。
現在においては、完全にプーチンの胸三寸であり、しかも求心力を失わないために、最後の最後まで後継指名はしないだろう。これでは、基本的にロマノフ家の血縁者からツァーリを輩出したロマノフ王朝よりも透明性が無いではないか。
加齢による衰えや、高度な緊張を伴う生活が続くストレスは、いかに超人的な体力・精神力を誇ろうと、プーチンを蝕むはずである。プーチンが権限を委譲し、プーチン個人に依存しない政治や行政組織を作るのでなければ、権限を集約させたプーチンの判断ミスは、ロシア国内外に大きな悪影響をもたらすだろう。
プーチンの任期は2024年。健康状態にもよるが、終身大統領を目指したとしてもおかしくない。それとともに、衰えによる判断力の低下やミスのリスクは上昇する。また、プーチン個人の権限が強く、制度が事実上崩壊している以上、プーチンの指導力が衰えている場合には、次の政権が決まるまでには、ソ連崩壊とまでは行かなくても、相当の混乱が予想される。
日本としては、プーチン政権の末期のリスク向上と次期政権が決まるまでの間の混乱を予期しておくべきであるとともに、ポストプーチンを見据え、プーチンとの親疎に関わらず、将来の有力者候補と幅広く接触し、リスクヘッジをしておくべきだろう。それと同時に、その時期のロシアの混乱が北東アジアの安全保障に与える影響について、シミュレーションしておかなければならないと思う。
そんな、ある春の夜の床屋政談。
問われる「まっとうな政治」、どっちもどっちからの脱却を。 [政治]
与党批判の急先鋒たる立憲民主党は、スローガンに「まっとうな政治」を掲げている。この意味するところは様々であろうが、少なくとも、与党や政権が行っているような会見対応や国会対応などは「まっとうな政治」ではないという含意のもと、批判されるべき同じようなことはしない、という趣旨だと思う。
ただ、立憲民主党ないしはその支持層から聞こえてくる声を見た限りは、この「まっとうな政治」という言い方をきちんと理解しているのか、個人的には疑わしいと思う。
もし「まっとうな政治」というものが冒頭の理解でそれほど誤っていないなら、立憲民主党としては、現状の振る舞いに対し、かなりハードルを、というか、人々の期待値を上げてしまっているのではないかと懸念する。
実際、野党支持者ないしは与党の批判者は、与党による予算委員会での集中審議の開催拒否などに対し、「野党批判の理由となった行動を与党もしているのだから、与党支持者は同じように与党を責めるべきだ」と言う。それはそれで一理ある。
しかし、多くの消極的な与党支持者にとっては、「野党も与党も同じだよな」というマインドになり、かつ、積極的与党支持者の耳には届かないので、結局与党の支持は変わらず、野党の支持も上がらない。
なぜか。
簡単なことで、立憲民主党が「まっとうな政治」であり与党自民党がそうでないと語るなら、立憲民主党は自民党をはるかに超える「まっとう」さを言動で示さなければならないからだ。それが与党と同じようなレベルでは全く「まっとう」とは言えず、せいぜいどっちもどっちであり、与党の消極的支持層に対して、全くアピールにならないからである。
立憲民主党が政権奪取の中心となるには、当たり前だが、選挙で勝たねばならず、そのためには現状の消極的な与党支持層を野党支持層にひっくり返すべく説得を続けなければならないはずである。そうであるならば、消極的与党支持層にもすぐにわかるような「まっとうさ」を見せ付けなければ意味が無い。
どっちもどっちと見られるようでは、「まっとう」とは言えないのである。
だから、自民党が審議拒否をしてそれを批判するのであれば、立憲民主党は決して審議拒否をしない姿勢を見せなければならないし、与党議員の問題発言を批判するのであれば、立憲民主党議員が問題発言をした際には少なくとも党内において厳しい処分をしなければならない。与党の会見でのぶっきらぼうな応対を批判するのであれば、立憲民主党は自らの反対勢力からの質問に対しても懇切丁寧に答えなければならない。
現状、立憲民主党にこれらができているとはいい難い。理由はどうあれ審議拒否はするし、所属議員や公認候補者が自衛隊や原発に対し理解の浅い発言をしても処分どころか問題視すらしないし、SNS上を見る限り、別件では更新をしているにも関わらず、都合の悪い質問には応答すらしようとしていない。
もちろん、細かいところで違いがあるのかもしれないが、現状がこれでは、多くの人々にとって、自民も立憲も、どっちもどっちとしか言いようが無い。
自民党と比べれば支持率が低いとはいえ、立憲民主党には一定の固い支持層がある。また、与党への批判としての支持層もそれなりにいるはずだ。しかし、そんな既存支持層に甘えるだけでは、政権を取れないことは明らかである。
立憲民主党が真に政権奪取の中心となるために「まっとうな政治」を主張するのであれば、自民党支持層や無党派層、すなわち既存支持層の外へそのメッセージを伝えなければならない。そのためには野党支持層も驚くような「まっとうさ」を分かりやすく見せ付けなければならないのではなかろうか。現状、それがほとんど伝わってない結果としての政党支持率の調査結果なのではないかと思うのである。
政治改革により、自民党内の派閥抗争がかつての激しさを失った以上、与党自民党に選挙での敗北を意識させ緊張感を与えるのは野党しかいないし、野党第一党である立憲民主党の責任は重い。もし「まっとうな政治」を標榜するのであれば、ぜひとも、自民党と違う「まっとうさ」を分かりやすく示していただきたいものである。
ただ、立憲民主党ないしはその支持層から聞こえてくる声を見た限りは、この「まっとうな政治」という言い方をきちんと理解しているのか、個人的には疑わしいと思う。
もし「まっとうな政治」というものが冒頭の理解でそれほど誤っていないなら、立憲民主党としては、現状の振る舞いに対し、かなりハードルを、というか、人々の期待値を上げてしまっているのではないかと懸念する。
実際、野党支持者ないしは与党の批判者は、与党による予算委員会での集中審議の開催拒否などに対し、「野党批判の理由となった行動を与党もしているのだから、与党支持者は同じように与党を責めるべきだ」と言う。それはそれで一理ある。
しかし、多くの消極的な与党支持者にとっては、「野党も与党も同じだよな」というマインドになり、かつ、積極的与党支持者の耳には届かないので、結局与党の支持は変わらず、野党の支持も上がらない。
なぜか。
簡単なことで、立憲民主党が「まっとうな政治」であり与党自民党がそうでないと語るなら、立憲民主党は自民党をはるかに超える「まっとう」さを言動で示さなければならないからだ。それが与党と同じようなレベルでは全く「まっとう」とは言えず、せいぜいどっちもどっちであり、与党の消極的支持層に対して、全くアピールにならないからである。
立憲民主党が政権奪取の中心となるには、当たり前だが、選挙で勝たねばならず、そのためには現状の消極的な与党支持層を野党支持層にひっくり返すべく説得を続けなければならないはずである。そうであるならば、消極的与党支持層にもすぐにわかるような「まっとうさ」を見せ付けなければ意味が無い。
どっちもどっちと見られるようでは、「まっとう」とは言えないのである。
だから、自民党が審議拒否をしてそれを批判するのであれば、立憲民主党は決して審議拒否をしない姿勢を見せなければならないし、与党議員の問題発言を批判するのであれば、立憲民主党議員が問題発言をした際には少なくとも党内において厳しい処分をしなければならない。与党の会見でのぶっきらぼうな応対を批判するのであれば、立憲民主党は自らの反対勢力からの質問に対しても懇切丁寧に答えなければならない。
現状、立憲民主党にこれらができているとはいい難い。理由はどうあれ審議拒否はするし、所属議員や公認候補者が自衛隊や原発に対し理解の浅い発言をしても処分どころか問題視すらしないし、SNS上を見る限り、別件では更新をしているにも関わらず、都合の悪い質問には応答すらしようとしていない。
もちろん、細かいところで違いがあるのかもしれないが、現状がこれでは、多くの人々にとって、自民も立憲も、どっちもどっちとしか言いようが無い。
自民党と比べれば支持率が低いとはいえ、立憲民主党には一定の固い支持層がある。また、与党への批判としての支持層もそれなりにいるはずだ。しかし、そんな既存支持層に甘えるだけでは、政権を取れないことは明らかである。
立憲民主党が真に政権奪取の中心となるために「まっとうな政治」を主張するのであれば、自民党支持層や無党派層、すなわち既存支持層の外へそのメッセージを伝えなければならない。そのためには野党支持層も驚くような「まっとうさ」を分かりやすく見せ付けなければならないのではなかろうか。現状、それがほとんど伝わってない結果としての政党支持率の調査結果なのではないかと思うのである。
政治改革により、自民党内の派閥抗争がかつての激しさを失った以上、与党自民党に選挙での敗北を意識させ緊張感を与えるのは野党しかいないし、野党第一党である立憲民主党の責任は重い。もし「まっとうな政治」を標榜するのであれば、ぜひとも、自民党と違う「まっとうさ」を分かりやすく示していただきたいものである。
最寄駅近くのスーパーたち [生活]
徒歩圏内、しかも最寄り駅近くにスーパーマーケットが4件もある。
最近たまに野菜やら肉やらを買うし、そもそも食べ物を売っているのを見るのは
嫌いではないので、各店舗それなりに回ってみるのだが、やはり個性というか、
違いというのがある。
以下、簡単に特徴を並べてみる。
【スーパーD】
1階、2階、そして酒コーナーを含めると3階の一部も含み、売り場面積は最も広いかも。
また、プライベートブランドが充実しているので、同じものを安く買いたいときはよい。
ただ、鮮魚と精肉コーナーが割とさびしい。野菜、果物は充実しているが、お惣菜は
可もなく不可もなく。
【スーパーY】
全体的に精肉コーナーが安く、ロットを大きく売っているので、肉を買いたいときは重宝する。
売り場面積がそう広くない割りに、お惣菜は質、量ともに美味そうだ。また、酒コーナーの
ワインにはそれなりのこだわりを感じる。
鮮魚コーナーはDよりもよいが日によって差がある。野菜、果物はぼちぼち。
【スーパーO】
鮮魚コーナーが楽しい。付近は住宅街のはずなのに、一般家庭ではあまり出ないような
代物も平気で売っている。殻つきホヤとか、シマアジ、スズキ、アオリイカの丸々一匹とか。
アジやイワシなど、鮮魚コーナーの刺身も美味い。
その一方で、お惣菜はあまり見るべきものが無い。また、鮮魚コーナーの面白さに比べ、
精肉コーナーはあまりぱっとしない
【スーパーYZ】
売り場面積も狭く、全体的にこじんまりとしている。肉、魚、野菜など一通り揃ってはいるが、
どうも突出したものは見られない。どうやって他の3店と伍しているのか、今ひとつ見えない。
こうしてみると、スーパーもいろいろと違いがあるのだなと、当たり前のことを思った次第。
激戦区と言ってもいい地域で、各店どのような策で戦っているのか、もう少し継続的に
ウオッチしようと思う今日この頃。
最近たまに野菜やら肉やらを買うし、そもそも食べ物を売っているのを見るのは
嫌いではないので、各店舗それなりに回ってみるのだが、やはり個性というか、
違いというのがある。
以下、簡単に特徴を並べてみる。
【スーパーD】
1階、2階、そして酒コーナーを含めると3階の一部も含み、売り場面積は最も広いかも。
また、プライベートブランドが充実しているので、同じものを安く買いたいときはよい。
ただ、鮮魚と精肉コーナーが割とさびしい。野菜、果物は充実しているが、お惣菜は
可もなく不可もなく。
【スーパーY】
全体的に精肉コーナーが安く、ロットを大きく売っているので、肉を買いたいときは重宝する。
売り場面積がそう広くない割りに、お惣菜は質、量ともに美味そうだ。また、酒コーナーの
ワインにはそれなりのこだわりを感じる。
鮮魚コーナーはDよりもよいが日によって差がある。野菜、果物はぼちぼち。
【スーパーO】
鮮魚コーナーが楽しい。付近は住宅街のはずなのに、一般家庭ではあまり出ないような
代物も平気で売っている。殻つきホヤとか、シマアジ、スズキ、アオリイカの丸々一匹とか。
アジやイワシなど、鮮魚コーナーの刺身も美味い。
その一方で、お惣菜はあまり見るべきものが無い。また、鮮魚コーナーの面白さに比べ、
精肉コーナーはあまりぱっとしない
【スーパーYZ】
売り場面積も狭く、全体的にこじんまりとしている。肉、魚、野菜など一通り揃ってはいるが、
どうも突出したものは見られない。どうやって他の3店と伍しているのか、今ひとつ見えない。
こうしてみると、スーパーもいろいろと違いがあるのだなと、当たり前のことを思った次第。
激戦区と言ってもいい地域で、各店どのような策で戦っているのか、もう少し継続的に
ウオッチしようと思う今日この頃。