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たまに泳いでいる [日常]

数年ほどのブランクを経て、2か月くらい前から、水泳を再開している。できれば週2回、基本週1回のペース。運動全般は甚だしく苦手だが、水泳だけは、幼少時習っていたこともあり、人並みにできるのである。

徒歩10分強のところにある公共施設のプールで、ロッカー代込み220円。21時の閉館まで時間無制限で泳げる。ジムに比べれば格安だ。

時間帯によってコース使用が若干異なるが、基本的に25メートルの6コースのうち、2コースがフリーというか、主に水中歩行用コース。2コースが初級コースとされ、25メートルごとにいったん止まる。残り2コースが中上級用コースで遠泳ができるコースである。

中上級用コースをクロールでだらだらと、疲れたらコースを移り水中歩行に切り替え、だいたい2000~2500メートルくらい泳ぐ。50メートルを1分のペースが基準だが、そのときのコースの混み具合次第。

器が小さいので、混んでるコースで幅を取るバタフライをかましている人や、周囲が見えない背泳ぎで泳ぐ人、距離を詰めて泳ぐ人などに出くわすと、あぶねーなと思い、心の中で舌打ちしてしまう。

60分に一度10分間の休憩が入るので、そこでストレッチをする。だいたい、水泳とストレッチと水中歩行合わせ、一回行くと90分ほど過ごす。

プールに行くのは19時ころなので、親子連れや高齢者や若者、同世代の人々など、年齢性別幅広い。これが早い時間に行くと、圧倒的に高齢者女性の独壇場になる。

今のところ身体に顕著な効果は出ていないが、まあ、運動しておいて悪いことは無いだろうし、ぼちぼち続けてみることにしたいと思う。

それにしても、20歳ころから気力が無いままに誤魔化して生きてきたのが、20年以上経て40歳越して、本当にのっぴきならなくなってきている。

20年以上だましだましやってきた心身が数か月程度ですぐに上向くわけはないだろうけど、あと20~30年生きるのであれば、そして何か生きた証を残すのであれば、ちょっとここらで心身整えて、数年かけてでも、気力を貯めていかねばならない。

その一環としての水泳なのである。

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鶯谷、公園酒、国連 [日常]

新宿ゴールデン街の酒場で某店主とだらだら話しているうちに、ふと、二人で鶯谷の公園で飲んだことを思い出したのである。駅の近く、小さな公園の奥のベンチ、後ろはJRの線路で、前はラブホテルの入り口、そんな場所。

公園でしばらく飲んだ後、鶯谷の立ち飲み屋を何件かはしごして、最後は春菊天をつまみに仕上げ、ふらふらになるまで飲んだあの日。それがたぶん、7~8年ほど前か。

お互い話しているうちに、そこはかとない郷愁に誘われたのか、どちらともなく、もう一度、鶯谷の公園で飲もうかとなる。ちょうど、季節はゴールデンウィークだ。その場にいた何人かの酔客たちも興味を示す。僕と某店主は、来たければくればいいのスタンス。

で、当日。

僕らの平素の心掛けが良いのか、それまでの数日の悪天候がウソのように晴れ渡り、青空。当日朝、念のため某店主に連絡すると、朝まで飲んでいたらしいが、予定通り昼過ぎに向かうとのこと。昼過ぎを目指し家を出た僕は御徒町で降りて、吉池で自分の酒と肴を買う。酒は、缶のレモンサワーと缶チューハイ、あと、催事で売っていた日本酒、高知の「桂月」。肴は、諸々迷ったが、鮭皮のチップと乾燥貝ひも。あとは焼き海苔を買っておいた。

御徒町からアメ横を冷やかしつつ上野公園横の坂を上り、寛永寺横を通り過ぎて鶯谷へ。

示し合わせた時間には少し早いが、奥のベンチを確保しておきたく、件の公園につく。幸い奥のベンチは空いており、腰を下ろす。後ろは線路、前はラブホ。変わらないと思っていた景色に一点、喫煙所ができているのが変化。これも、時の流れか。

缶チューハイを開け、鮭皮チップではじめる。ラブホを出入する男女や、他のベンチで食事なり休憩なりする人々を眺めたり、持ってきた本など読んだりして過ごす。某店主の姿が見える前に、酔客一人合流。二人で徒然に話す。

小一時間ほど経て、腰のヘルニアをだましだまし、某店主がやってきた。隣のベンチに座り、三人での宴が始まる。いつの間にか酔客たちが三人ほど追加され、公園のベンチなり周囲の柵なり、思い思いに腰を下ろした六人、各自持参の酒と肴でやりだす。

途中、酔客の一人が隣のベンチに移動する様子を「クリミア侵攻だな」と他の酔客たちが囃したりなんだりする中、某店店主、円形のジャングルジムのような、敢えて言えばコスモ星丸の骨格標本みたいな遊具を指し、「あの国連を占領したいな」などと言いだす。その形からなのか何なのか、どうもその遊具を国連になぞらえているらしい。

少し酔った勢いでその国連に近づくと、回るタイプかと思いきや地面固定型。こじんまりとした遊具なのだが、土星の輪のような形で出っ張りがあり、登ろうとすれば足が上がらないし、ひっかからない。中に入ろうとすれば肩がつっかえて入らない。結局、酔客たち、土星の輪のところに缶を置いて立ち飲みするだけ。

「国連に戦略的な価値は無いな」某店主、そう言い捨てて、諸人、奥のベンチに戻る。

しばらくすると、小学校低学年くらいだろうか、近所住みと思われる男子と女子が公園に現れ、ボール遊びなどしだす。なんだか知らんがただただ眩しく、平均年齢で40歳を超える我々が声をかけては通報事案なので、ぼんやり眺めている。いつの間にか、皆、僕の持ってきた「桂月」を飲みだす。美味い。

ボール遊びに飽きたのか、いつしか子供たち、国連の方に近づいていく。すると子供たち、我々が難渋した国連を、いとも簡単に登り、くぐり、中に入り、登り、てっぺんに立ち、遊び倒しているではないか。何たることだ。僕らは国連でうまく遊べなかったのにも関わらず。感嘆と悔しさ。

子供たちが帰ったのを見計らい、酔客たちの精鋭が改めて国連攻略に挑む。果敢な挑戦の結果、二人が登頂に成功し、各々、国連のてっぺんでポーズを決めた。快挙と言えば快挙だが、一歩間違えば通報案件だ。「所詮、僕らはあの子供たちの二番煎じだよな」残念そうに語る某店主の言葉が、我々に滲みる。とはいえ、ケガが無く、通報されなかっただけでもありがたい。

その後、餌をやる近所の人々と公園の猫の交流を目にし、ブランコで遊ぶなりなんなりしているうちに、概ね手持ちの飲み物は尽きた。コンビニで酒を補充してそのまま公園で飲むのも悪くは無いが、誰ともなく移動を言い出し、公園を後にした。

ラブホ街を抜け、駅前の居酒屋。瓶ビールに、ハムカツ、肉豆腐、にんにくレバー、エビフライ、チーズ揚げなど、居酒屋メニューを存分に堪能し、一人1,375円の割り勘。鶯谷駅にて解散することに。名残惜しく無いと言えばウソになるが、飲み倒すほどの元気があるかと言えば、そうでもない。

7~8年の歳月は、僕らを何も変えなかったとも言えるし、気力体力の減退はじめ、全てを変えてしまったとも言える。でも、そんなことはどうでもいいのかもしれない。思い出が、また一つ積もる。

改札に入る前、見上げると、西に傾きかけた陽はまだ明るく、春の空はその青さを誇っていた。

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The Persistence of Memory [日常]

お金もやる気もなく寝っ転がって、天井を見ているあるオフの昼下がり。見慣れたはずの部屋の本棚、過去に行った美術展の図録が目に留まる。

いろいろある中手に取ってみたのは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)展のやつ。2001年の秋から2002年の年明けくらいまで、上野の森美術館にきていたのですな。

ダリ、マティス、ミロ、ピカソ、マグリット、ルソー、モディリアーニ、モンドリアン、セザンヌ、シャガールetc・・・

絢爛なビッグネームの作品が一堂に会して、それぞれが、自己主張していたのを鮮明に覚えている。

そういえば、2009年10月。

ニューヨークの海外出張で空いた時間、MoMAに足を運び、彼らとの久闊を叙したこともあったっけ。キャンバスの絵の具のかたまり達は、お変わりなく、年を取ることもなく超然としておられまして。お変わりの無い彼らと比べた我が身の変転を、少しだけ、恨めしくも思わないでもなかった。

そして時は流れ、2021年、2月。

不惑をとうに過ぎ老いの足音が聞こえてくるにもかかわらず、生活の建て直しに汲々とあがき続ける自分に嫌気がさす午後。図録の中の彼らは、印刷インクの向こうから、変わらぬ姿を脳に送り込んで、記憶を攪拌してくれる。

すると、

『記憶の固執』

ダリ。MoMAで一番お気に入りの絵とその題名が、まざまざと、脳内に浮かび上がってくる。だらり垂れ下がった時計、そして時そのもの。自分は何の記憶に、どう固執しているのだろうか。自問するが当然答えは見つからない。

こうしている間にも時は流れ、また少し死に近づく。でも、まだ生きているのである。

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ある日の夢、交通規制課 [日常]

なぜか警察庁の交通規制課にこの年で係長で再雇用されている。

でも、様々な案件でなぜか上司の了解が取れず悩んでいるうちに、多くの件を塩漬けにして期限徒過などでダメにしてしまい、課内では、信用をすっかり失っている。

ここでなぜか立ち話で課長補佐に怒られるシーンが入る。何といわれたか覚えてはいない。

とうとう仕事を干され、庶務のお姉さんから、経費処理を手伝ってくれと言われ、次官?から伝票をもらってきてくれと言われる。

昼飯時だが、次官の部屋に伝票をもらいに入ると、なぜか普通の執務室になっていて、同僚や上司がなにやら議論している。

彼らが「よし!」と声を合わせ打ち合わせが終わった様子ではあるが、うちの一人、昔の交通規制課の庶務係長に似た人が、話しかけてきて、

「なんで君がここに参加したかわかるな?しっかりやろうぜ」

みたいなことを言われるも、何が何やらわからず、「はぁ」としか言えない。次官の部屋の奥はなぜか小上がりになっていて、そこで上司の一人である企画官の三遊亭好楽が昼寝をしている。今度は目覚めた彼がニコニコ話しかけてきて、

「同い年だね、頑張っていこうよ!」

とか言ってくる。するとどこからともなく、その部屋の人々が、

「機龍警察読んだわ」
「俺も」
「俺も」

などと語りだし、部屋がざわつき始め、三遊亭好楽が僕のことを改めて皆に紹介してくれる。悪い雰囲気ではないが、どことなくうそ寒くなる。

ここで目覚めた。ある朝方の夢。

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戦友とは [日常]

数年前の思い出。

以前会社で同僚だった知人I氏と、小岩あたりで飲んだ。お互い、家への帰りやすさを配慮して。

彼は僕の少し前にその会社を辞め、当時は、某大手人材会社の内部監査担当。正直、年収もそのときよりかなり上がっている。子ども二人。まあ、いわゆるリア充だ。

話題は、近況交換と、前の会社のエピソードや、その会社を辞めた人々の動向。少し前、同じくその会社で同僚だった女性がその郷里で亡くなったこともあり、その追悼なども兼ねて。

まず植むらで、芳醇なもつ焼きを噛み締め、黒ホッピーで流す。あくまで美味く、そして、どこかほろ苦い。二件目は、近くにあるけやきという居酒屋で、日本酒と刺身。いさきとサンマをつつきながら。やはり日本酒に限る。

思えば、2011年の震災直後。

上司が退職をして、その下で仕事をしていた僕とI氏ともう一人、3人で小部屋に集まり、これから頑張っていこうと意識を擦り合わせた矢先、

もう一人「あ、でも僕ももうすぐ辞めます」
僕 「・・・・・・・」
I氏「・・・・・・・」

I氏に言わせると、それ以来僕は、戦友扱いになったらしい。お互い何を話したか、どうでもよくて、ただただ、愉しい時間が酒に流れた。

前の会社、確かにいろいろあったけれど、語れる思い出や友達をくれたことには、素直に、感謝することにしよう。そして、戦友と言ってくれた彼の気持ちに、少しは応えたいなとは思った。

でもどうしたらいいかわからず、途方にくれたまま、数年なんである。

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