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好きな有馬記念、とりあえず5選 [競馬・ウマ娘]

2023年も有馬記念の季節だ。競馬の年末グランプリ。一年の総決算。それほど熱心な競馬ファンでは無いが、かつて一喜一憂させられたレースもあり、何とはなしに気になる、有馬記念。思い出語りをつらつらとしてみようか。

というわけで、歴代で、好きな有馬記念を5つほどピックアップしてみる。

■1993年トウカイテイオー
92年有馬記念の惨敗からケガで出走ができないまま、約一年ぶりの出走での復活劇。同年の菊花賞を圧勝し、翌年94年もG1を連勝する一番人気ビワハヤヒデを捕らえて差し切る様はドラマとしか言いようがない。田原成貴騎手も最高にイカしてる。
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■1994年ナリタブライアン
クラシック三冠(皐月賞、ダービー、菊花賞)を、それぞれ三馬身、五馬身、七馬身で圧勝して見せた94年のまさに集大成。影をも踏ませぬ怪物の名をほしいままに見せつけてくれた。翌年以降ケガで苦しんだものの、強い馬の強さが褪せないレース。
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■1999年グラスワンダー
同年の宝塚記念で完封されたスペシャルウィークが秋のG1を連覇し、満を持して雪辱を狙う引退レース。一方、秋初戦こそ辛勝するものの、好調には程遠いグラスワンダー。態勢有利にも見えたスペシャルウィークの猛追を凌いだ鼻差4cmの、まさに明暗。
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■2005年ハーツクライ
無敗の三冠馬にして日本現代競馬の結晶とも言えるディープインパクトが圧倒的人気を集めるも、常と異なる先行策をとり、ディープインパクトを封じた四番人気ハーツクライ。結局、ディープに唯一先着した日本馬に。競馬に絶対は無い、を改めて教えてくれた。
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■2013年オルフェーヴル
2011年の三冠馬、オルフェーヴルの引退レース。阪神大賞典の逸走や天皇賞春での惨敗など、強さの半面時折見せる不安定さは暴君とも呼ばれたが、この有馬記念は暴君の強さのみが遺憾なく発揮される。八馬身差のまさに完勝だった。
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さて、2023年、世界最強馬とすら言われるイクイノックスこそ引退して出走しないが、今年も有馬記念は多士済々だ。

今年の皐月賞馬ソールオリエンス、同じく今年のダービー馬タスティエーラに加え、秋も好走を続ける春の天皇賞馬ジャスティンパレス、去年の二冠牝馬スターズオンアース、世界最高峰と言われる凱旋門賞で健闘したスルーセブンシーズ、レジェンド武豊騎乗の昨年ダービー馬ドウデュース、そして、昨年G1レース2勝の古豪タイトルホルダー。

日常ならあっという間の150秒余り。そこにこれでもかと凝縮される競走馬と人間たちの思いと物語、そしてお金。12月24日(日)午後、さあ、今年も楽しもうではありませんか。

中山の坂駆け上がる蹄たち夢に響くは年の瀬の音

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ウマ娘、あるいはエンタメ文化の一つの形 [競馬・ウマ娘]

『ウマ娘』のアプリゲームが楽しい。

いわゆるソーシャルゲームを遊んだことはこれまでなかったが、往年の名馬が女の子化して、レースで走っては歌い踊るとのこと。マヤノトップガンやグラスワンダーなど当時好きだった名前が出ていることもあり、興味と好奇心で始め、それほど熱心ではないものの、ぼちぼち続けている。

ウマ娘を育成し、シナリオやストーリーを読み、楽曲を聞くのを日々繰り返しているうちに、こういうコンテンツがいかに多くの人々の仕事の積み重ねで出来ているかという思い、作り手たちのことを想像しては感心するし、そして、様々な意味でそれを楽しむことができる受け手の存在にも、改めて、一抹の驚きを禁じ得ない。

すなわち、作り手としては、
 ・簡単すぎず、難しすぎず、飽きさせないバランスのゲームデザイン
 ・実在の競走馬のレースやエピソードを丹念に拾い、性格や物語に変えるシナリオライティング
 ・性格や物語を活かすキャラクターデザインや、CG、アニメーション作成
 ・シナリオやキャラクターを活かす声優の声
 ・ゲームを盛り上げる楽曲や歌やダンス
等々、様々な要素と、それぞれに専従するプロの力、そしてそれらをコーディネートし、統括するプロジェクトマネジメントが必要になるはずだ。

さらにその根底には、数十年にもわたって人々に愛され、培われてきた競馬というコンテンツそのものの存在がある。そこでは、牧場関係者や競走馬オーナー、調教師、調教助手、騎手、競馬評論家やマスコミ関係者など、多くの人々の営為がある。

このようなコンテンツを愛する受け手の側の存在も無視できない。すなわち、ゲームを楽しみ、CGやアニメの出来を観賞し、ゲームやアニメのストーリーに一喜一憂し、声優のライブに盛り上がり、そして何より競馬そのものを楽しむ人々。

この手のメディアミックスは『ウマ娘』が最初で最後ではなかろうし、他にも多くのエンターテインメントがあるのだろうが、強く感じるのは、現代社会における人間の暮らしの層の厚さである。有名無名含め多くの人々の仕事でできたエンターテインメントがあり、様々な視点でそれを楽しむ多くの人々がいる。自分も、そうやって楽しむ人間の一人である。

個人の圧倒的才能で作られるアートや文芸という文化もあろう。しかし、多くの人々の知恵や経験や技術を寄せ集めて作るエンターテインメント文化も、世の多くの人々の心を掴むことには違いはない。

『ウマ娘』はもちろん、社会においてこういうエンターテインメント文化がきちんと作られ享受されるという事実は、人間の暮らしを豊かにする上でも、人間が平和に生きている証としても、大切だと思う。

とどのつまり、『ウマ娘』は、エンターテインメント文化の一つの形なのではないかと思う。どこまでサービスやコンテンツが続くかはわからないが、これからも多くの人々を巻き込み、そして楽しませてほしいと願っている次第である。

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好きな競走馬、グラスワンダー [競馬・ウマ娘]

グラスワンダーも、好きな競走馬の一頭だ。

競争成績は15戦9勝。主な勝鞍は、97年朝日杯三歳ステークス、98年有馬記念、99年宝塚記念・有馬記念で、G1級競争を4勝した名馬なんである。

初めて意識したのは、97年も末の朝日杯三歳ステークスのとき。それまで三戦三勝、しかも各レース圧勝だったグラスワンダーは、当然のように圧倒的な一番人気となる。結果、人気に応えて快勝。しかも勝ちタイム1分33秒6はレースレコードだ。こいつは凄いのが現れた、、、文字通り度肝を抜かれてしまった。

当時は外国産馬がクラシックや天皇賞に出られなかったため出走レースこそ限られるものの、四歳(馬齢は旧表記。以下同じ)になってどこまで連勝を伸ばすのか、グラスワンダーは、ワクワクが止まらない一頭になった。

ところが、そのワクワクはあっさりと腰を折られる。骨折。98年春、グラスワンダーは全休を強いられたのである。

しかしグラスワンダーのいない春競馬、特に、後に黄金世代と言われる同世代の四歳馬は多士済々だった。米欧の良血の結晶であるキングヘイロー、皐月賞をまんまと逃げきったセイウンスカイ、武豊にはじめてのダービー勝利をもたらしたスペシャルウィーク、さらに、グラスワンダーと同じ的場均を鞍上に、NHKマイルカップを無敗で制したエルコンドルパサー。いずれも後のG1戦線で活躍した名馬である。

ここにグラスワンダーがいれば、どんなレースをしただろう、そんな想像に駆られるのはもはやどうしようもなかった。

引退の不安がかすかに脳裏をかすめたものの、春、夏を超え、グラスワンダーは、ターフに帰ってきた。復帰戦は、毎日王冠G2。骨折明けのグラスワンダーを待っていたのは、歓迎ムードとは程遠い、強力極まりないライバル2頭だ。一頭は、逃げの才能を完全に開花させたサイレンススズカ、そしてもう一頭は、エルコンドルパサーである。

的場均は計り知れない苦衷の末、エルコンドルパサーではなく、グラスワンダーへの騎乗を選択した。これで僕の心は決まった。グラスワンダーなのである。

府中の東京競馬場にこのレースを見に行ったことは、20年以上経った今でもよく覚えている。G1かと見まごうばかりの大観衆。その目は、ただ三頭に注がれていた。僕の目にはグラスワンダーの栗毛が初秋に輝く。軽快に逃げるサイレンススズカを最終コーナーでとらえようとするエルコンドルパサー、そしてグラスワンダー。思わず、「スズカをつぶせ!!」と絶叫する。

そんな絶叫をあざ笑うかのように、サイレンススズカは、完璧としか言いようがない逃げ切り勝利を決めてみせた。二着にはエルコンドルパサーがどうにか。グラスワンダーは、離れた五着だった。次走のアルゼンチン共和国杯でも振るわず、六着。朝日杯で感じたワクワクは、どこへ行ってしまったのか。

その後、サイレンススズカは天皇賞秋で非業の死を遂げ、菊花賞ではセイウンスカイがレコードで逃げ切り、ジャパンカップはエルコンドルパサーがスペシャルウィークらの強豪を抑えて一着、グラスワンダーは、人々の話題から消え去ろうとしていた。

そして年末のグランプリ有馬記念。

僕の興味は、二冠馬セイウンスカイと、春の天皇賞馬メジロブライトとの対決。毎日王冠で熱狂したグラスワンダーは、もはや早熟馬に過ぎないと割り切っていた。ところがだ。このグランプリ、グラスワンダーはメジロブライトの追撃を振り切り先頭でゴールを駆け抜ける。

おおお!!心がざわついた。グラスワンダーの実力を疑った自分を恥じたのは、言うまでもない。

明けて99年。古馬になったグラスワンダーは、まさしく死闘と呼ぶにふさわしい戦歴を積み上げていった。京王杯スプリングカップを勝ったのち、安田記念はエアジハードに差され惜しくも二着。そして春のグランプリ宝塚記念を迎える。

相手は、春の天皇賞を完勝し、充実一途のスペシャルウィークだ。まさに両雄。レースは、早めに抜け出したスペシャルウィークを、直後でマークしていたグラスワンダーが直線でキレイに抜き去った。余りにも鮮やかな勝ちっぷり。

そして秋。グラスワンダーは初戦の毎日王冠を辛勝するが、かたやスペシャルウィーク、京都大賞典こそ惨敗するものの、秋の天皇賞に続き、ジャパンカップでは凱旋門賞馬モンジューを捻じ伏せて連勝。春以上の充実ぶりを見せる。そして、再度両雄並ぶ年末のグランプリ有馬記念。

宝塚記念を徹底研究したであろう武豊騎乗のスペシャルウィークは、後方からグラスワンダーを見る形に。最後のカーブを曲がって直線に入ったところで先頭に立つグラスワンダー、そして坂を駆け上がり襲いかかるスペシャルウィーク。粘り込むグラスワンダー。

ゴール地点、足色の勢いや体勢はスペシャルウィーク優勢に違いなかった。しかし、写真判定の結果、グラスワンダーが、鼻差、凌いでいた。有馬記念連覇達成である。三着はテイエムオペラオー。馬、騎手、そして関係者が死力を尽くして戦った結果がそこにあった。

有馬記念でスペシャルウィークは引退。翌2000年、グラスワンダーは3戦するが、いずれも勝てずに引退することになった。主役は変わり、2000年はテイエムオペラオーが席捲することになる。

三歳時の圧倒的な才能、四歳時の挫折と復活、五歳時の死闘、そして終焉と主役の交代。

グラスワンダーの競争生活からは、濃厚なドラマの薫りが立ちのぼってくる。それを醸し出したのは、自身の競走馬としての才能であり、主戦騎手の的場均の騎乗であり、調教師はじめ関係者の努力であり、そしてライバル馬とその関係者たちなのだろう。

あれから時は流れ、日々の記憶は薄れていく。しかし、グラスワンダーの思い出は、未だ褪せないままなのである。

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好きな競走馬、マヤノトップガン [競馬・ウマ娘]

ウマ娘かわいいな、そんなことを思う昨今。

競馬をきちんと見なくなってもうずいぶん経つが、それなりに記憶には残っている。主に、90年代から2000年代。95年から2005年の年度代表馬だけでも、

・マヤノトップガン
・サクラローレル
・エアグルーヴ
・タイキシャトル
・エルコンドルパサー
・テイエムオペラオー
・ジャングルポケット
・シンボリクリスエス(02年、03年)
・ゼンノロブロイ
・ディープインパクト

と多士済々。そのほかの有名どころを上げたらキリがない。

どの馬もそれなりに思い入れがあるが、あえて一頭挙げるとすれば、今はなんとなく、マヤノトップガンの気分だ。競争成績21戦8勝、うちG1レース4勝。95年の年度代表馬。数字だけ見てもまごうことなき一流馬である。

勝ち方も、バラエティに富んで素晴らしかった。先行から抜け出して勝った菊花賞や宝塚記念、逃げ切った有馬記念、そして、後方から直線一気の追い込みを決めた天皇賞春。2着に負けはしたが、ナリタブライアンと叩き合った阪神大賞典も印象深い。

そして言わずもがなだが、主戦騎手の田原成貴がまたよい。菊花賞や有馬記念勝利時の十字を切るポーズといい、騎乗技術はもちろんのこと、勝負とギャンブルとエンターテインメントという、競馬の本質を鷲掴みにして魅せたその姿は天才だと思う。引退後の暴力事件や薬物事件があったとしても、目を奪われたレースの記憶は消せやしない。

さて、マヤノトップガンの一連のレースから感じたのは、一流の競走馬の才能と、競馬の不確実性を埋めていく人間の営々たる試行錯誤だ。

勝ち上がりや出世には苦労したものの、95年、終わってみれば菊花賞と有馬記念に勝利し、年度代表馬の栄冠に輝いたたマヤノトップガン。96年にも同様の活躍を期待されたが、どうも伸び悩む。春先の阪神大賞典こそナリタブライアンとのたたき合いで盛り上がったが、天皇賞春はサクラローレルに完敗し、ブライアンはおろか格下の馬にも先着を許す5着。

宝塚記念を危なげなく勝利するも、ここは相手が弱かった。秋緒戦のオールカマーもサクラローレルに完敗。続く天皇賞秋はサクラローレルにこそ先着するも2着。連覇が期待された有馬記念も、いいところなく7着。

田原成貴氏のエッセーによれば、4歳時(95年)と異なり、トップガンはスタートの瞬発力が鈍くなっていたこと、また背中の筋肉が少し固くなって伸びが悪くなっており、やはり先行型の競馬に限界を感じていた旨が確か書かれていたと思う。年齢を重ね変化するトップガンを勝たせるためにどうするかを考え続け、そして成果が出なかったのが96年だったのだろう。

そして97年。

天皇賞春を目標に、ステップレースにすえた阪神大賞典。トップガンはスタートから下がり、最後方から競馬を進める。逃げ、先行で勝ってきたトップガンを見慣れた目からすれば、その騎乗は暴挙に近い。ハラハラしながら見守るうちに直線に入るころには先頭に立ち、あとはそのまま押し切った。終わってみれば強さが際立つレースだった。

そして天皇賞春。昨年の勝者にして96年の年度代表馬サクラローレル、そして充実一途のマーベラスサンデーとの三強対決。さすがに阪神大賞典と比べればメンバーのレベルが段違いだ。ここでも、トップガンは中段やや後ろの待機策に出る。

道中、各馬入れ替わりながらも、トップガンは後方待機のまま。

京都コースの坂を下り直線に入るころ、サクラローレルとマーベラスサンデーが並んで前に出る。トップガンは後方から外へ。直線、馬場の中央で他の馬を置き去りにしてたたき合うローレルとマーベラス。モニター画面右下の端から文字通りぶっ飛んでくるトップガン。勢いの次元が違う。なんだこれは。熾烈に追い合う二頭をぐいと抜き去り一馬身強離したところがゴール。3分14秒4。マヤノトップガン、レコードタイムでの完勝だった。

それは、馬の才能や能力と人間の試行錯誤が結実し、幸運を引き寄せた瞬間。

結局マヤノトップガンは、このレースを最後に競走馬生活を引退する。

まるで能力だけで勝ったかのような95年、苦悩を続けた96年、そして、レコードタイムでライバルを完封した97年天皇賞春。

馬の能力もあろう、騎手の騎乗もあろう、陣営の体調管理もあろう、チームでの作戦もあろう、前のレースでのPDCAもあろう、他のライバル馬や騎手の作戦の読み合いもあろう、そういった競馬にかかるあらゆる要素を、つまり、馬と人間の営為と運を、トップガンの競走馬生活は余すところなく見せてくれたような気がするのである。

おそらく、マヤノトップガンに限らず、あらゆる競走馬とそれに携わる人々が、このような勝負とエンターテインメントの瀬戸際で日々生きているに違いない。それを一つ一つ見ていくには、余りにも濃密に過ぎるけど、こうして思い出すにつれ、たまには競馬をちゃんと見てもいいなと思う今日この頃なんである。

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