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ひろゆき氏、沖縄反基地運動、雑感 [その他]

ひろゆき氏が反基地運動における座り込み抗議の実態に対して疑義を呈するようなtweetをし、それが25万件を超える「いいね」を得たことから、SNSなどで様々な意見が放たれている。デニー沖縄県知事もひろゆき氏のtweetに「少し残念」とコメントするなど、それなりに盛り上がった。

tweetの内容としては、辺野古を訪れたひろゆき氏が、座り込み抗議3011日目とある看板の前で自撮りをし、「座り込み抗議が誰もいなかったので、0日にした方がよくない?」としたもの。

座り込み抗議の一般的な想像と実態との乖離に違和感を覚える意見もあれば、座り込み抗議の意味を説明し現在の抗議の実態を擁護する意見、ひろゆき氏の基地問題への無理解を指摘する意見もあれば、ひろゆき氏の言動から反基地運動への侮辱を感じて反発する意見もあり、かなり強い語彙を使っている意見表明も少なくないようだ。

個人的には、まず、ひろゆき氏のtweetから侮辱を読み取って反論する人の多さにやや驚いた。

ひろゆき氏の座り込みへの指摘、少なくともtweet上の表現としては侮蔑や罵倒を使ってないし、事実への疑問と感想に過ぎない。そこに冷笑だの侮辱だのを感じとるのは、やや感性が敏感に過ぎるのではないかと感じた。氏の座り込みに関する認識に事実誤認があれば、それを訂正すればいいだけだと思う。

次に、普天間基地の返還と辺野古への基地機能の移設が新たに注目されるきっかけとなったのではないかという意味で、興味深かった。

民主党政権下の政府が普天間基地の県外移設を断念し、辺野古への移設がほぼほぼ決まってから10年以上。工事は当初予定から遅延し、かといって国政における意思決定を覆すほどの民意は高まらず、宙ぶらりんになっていた問題に、人々の関心が集まったのである。

立場を問わず、せっかく集まったこの関心を利用しない手は無いのではないか。

実際、ひろゆき氏の指摘に乗り、ここぞとばかり基地反対運動の欺瞞性を強調した意見や、反基地運動における著名な運動家の過去の違法行為などがこの機会に大いに発掘され、SNSなどで拡散されることになった。これは、反基地運動に対する人々の共感を損ね、基地反対派に対する一定程度のダメージになるかもしれない。

一方で、基地反対の意見の人々は、状況をうまく利用しきれていないのではないかと勘繰っている。

ひろゆき氏のtweetやそれに賛同する意見が抗議の事実関係の話をしているのに対し、そういう取り上げ方をすること自体を、侮辱だ、冷笑だと強い言葉で反論している意見が目立つ。これでは論点がかみ合わないし、せっかく関心を持ち始めたこれまでの無関心層がその強い言葉にドン引いて、世論の支持を得損なっているように見える。

僕が反基地運動の関係者なら、ひろゆき氏の例のtweetに対し、侮辱だ冷笑だと肩ひじ張らず、「ご指摘ありがとうございます。基地運動に関心の無い方にもわかりやすいよう、表示など改善していきますね。またお立ち寄りの上、今度はぜひ座り込みにも参加してみてください!」くらいで済ますのではないかと思う。要は、ひろゆき氏を利用したいのだ。

ともあれ、沖縄の基地問題、ここ最近で、立場関係なく広い層の人々の注目を最も集めさせたのが、反対運動の方々や彼らにシンパシーを抱いて発信してきた著名人たちではなく、ひろゆき氏だったという厳然たる事実は、割とパンチの効いた皮肉ではなかろうか。

でもまあ、ひろゆき氏のtweetの件、沖縄の反基地運動を、その賛同者だけでなく、無関心層に対しても伝わるよう発信する上で、非常に示唆に富む話ではないかとも思う。

辺野古移設を決めた国政の意思決定を覆すには、言うまでも無く、国政選挙で影響力を行使するのが最善の方法であろう。そのためには民意の支持を得る必要があり、つまりこれまで反基地運動に関心を持っていなかった層にも訴求してその意見を変えていくしかない。素人目には、これまでの反基地運動は、それを支持する人々の仲間内の論理で動いており、無関心層を引き付けることに成功してこなかったんではないかと見えている。

意図せざる話だろうが、ひろゆき氏のおかげ??で、その関心が一瞬高まった。良くも悪くも得られたこの関心をどのように利用するのか、しないのか。指導者の方々の手腕が問われるのではないだろうか。

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浅草、紳士三人、ぶらり旅 [その他]

先日、平均年齢48歳の僕とG氏とA氏、紳士三人で、浅草をぶらぶらした。以前、三人で横浜中華街をぶらぶらしたとき、案外楽しかったので、また三人でどこか行こうという話が浮上した。

で、浅草なんである。

<前回の横浜編はこちら>
https://daily-news-portal.blog.ss-blog.jp/2022-08-10

明るいうちに浅草を散歩し、仲見世通りをお土産を買いつつ冷やかしなどしたいということで、雷門前、13時集合。おのぼりさんのようなベタベタな待ち合わせ。ほぼほぼ時間通りに現れた僕とG氏だが、前回の横浜と同様、A氏から小一時間ほど遅刻するとの連絡アリ。

しょうがないので、G氏と時間を潰すべく、芋羊羹とあんこ玉で有名な『舟和』の喫茶店店舗でお茶でもすることに。

僕はところてんと豆かんのセット、G氏は温めた芋羊羹にバター片を乗せたものとアイス最中のセット。二人ともこの時点ではノンアルだ。それとなくお酒を勧めてみるが、G氏、実は甘いものが好きとのことでにこやかに芋羊羹を食らう。僕の豆かんも、ところてんも、風情があってよい。

周りを見回すと、若者か、アベックか、家族連れがほとんどで、我々のように中年男性、しかも二人連れのような客はまず見当たらない。いささかのアウェー感をものともせず甘味を食らうと、A氏から到着の連絡が。舟和を出て雷門へ向かう。

A氏も合流し、仲見世通りをぶらぶらと歩く。傍目にもわかるウキウキぶりのA氏。人通りは多いが、やはり、中年男性の三人組というのは我々の他にみかけない。とはいえそんなことに頓着する我々でもない。人形焼きや揚げ饅頭などの食べ物を横目に、招き猫を商う店、玩具屋などを冷やかしながらある店舗に入る。レプリカの武具などを売っている店のようだ。

A氏が目を輝かせつつ、アルミか何かで出来た模造刀を手に取った。「いやー、これ、いいっすねえ」。鞘を抜いて刀身を見て、店の人と2~3言葉を交わすうちに、もう購入し、袋に詰めてもらっていた。

傍らG氏は、店の隅に立てかけられていた1.8メートルほどの模造槍を手に取り、しげしげ眺めている。主に木でできた槍は、ところどころ塗装が剥げて古びていたが、やはりでかい。さすがに持ち運びが大変そうだしなあと僕が思っていると、僕らの様子を見た店員が近寄り、「この槍、三つに分けられるんです」と、手際よく分解して見せた。

G氏思わず、「これ、いくらですか??」と尋ねると、店員、「持って行ってもらえるなら、500円でいいです」。ものの一分後には、G氏は、三つに分解された模造槍の袋を下げ、「いやー、いい買い物をしました」とホクホク顔。ちなみに、二人にアテられた僕は、やや小ぶりの十手を買ってしまった。これはこれでずっしりしてよい。

各々武器を手に入れた我々は、浅草寺でお参りをして、伝法院通り辺りを過ぎ、ホッピー通りへ。そこでおやつがてら、軽くつまみとホッピーをたしなみ、仲見世通りで購入したお互いの戦利品を自慢し、ほめたたえあう。

次に向かうは『花やしき』。遊園地自体行くことがほとんど無いのに、中年男性三人が行くには、ちょっとした冒険ですらある。建物スレスレを走り抜けるある意味絶叫マシンで有名なジェットコースターは、60分待ちとのことで断念。とはいえ、いくつか乗り物をたしなむことにしたが、なめてかかったリトルスターには、少し難渋した。

丸い小さなゴンドラに対面で最大4人が座ることができ、そのゴンドラが輪になって連なって動くヤツ。荷物を置き、ゴンドラに着座すると、係員がかなり厳しく手荷物の再検査にやってくる。眼鏡やスマホや鍵など、ポケットの中、身に着けているものは洗いざらいロッカーへ。その後、腰の辺りを太めのベルトでぎゅうぎゅうに締め付けられ、動き出す。

誰ともなく「こんな厳重にしなくても、回転するわけじゃないんだし」と言い出した十数秒後、前のゴンドラから悲鳴めいた声が聞こえたと思ったら、僕らのゴンドラも激しく回転。身体を止めるのが腰のベルトしかないので怖いったらなく、しかもそのベルトが腹肉にみっちり食い込み激痛。怖さと痛さで、降りたときには、まるでレイプでもされたかのように、すっかりぐったりしてしまった。

少し休んで、日もだいぶ暮れてきた。晩飯がてら、『駒形どぜう』へ。

座敷にあぐら座で、酒を飲み待つと、どじょう鍋がやってくる。炭火のコンロの上に、直径20センチくらいある、鉄製の、鍋というより皿が鎮座し、その中に、下ごしらえされたどじょうが所せましと詰まっている。そこにネギをのせ、ぐつぐついわせ、ちょいちょい割り下を注しつつ、ネギがしなったあたりで食らうのである。

どじょうは骨なども処理してあり食べやすく、ふわふわした食感、脂というか、ゼラチン質的なまろいコクに川魚の風味が合いまって、滋味深い。ネギと合わせ、七味や山椒を惜しげも無く使っても負けないくらい強いどじょうの旨味。オプションのささがきゴボウを加えて煮ると、香り立ち、これまた得も言われぬ。酒も進む。ついでにくじら鍋も頼み、どじょう汁で締めて、すっかり堪能。

どぜう屋を出るころには、日はとっぷりと暮れて、帰りは、吾妻橋から川岸に降り、隅田川を右手に、両国駅付近まで歩くことにした。ときおり往来する屋形船の灯を見ながら四方山話をしつつ、30分ほどだらだらと歩く。両国駅でいったん解散し、それぞれ帰路に着くなり何なりと。

中年男性三人で浅草を堪能した、そんな一日であった。


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共通テーマ:グルメ・料理

横浜、紳士三人、ぶらり旅 [その他]

先日、平均年齢48歳の僕とG氏とA氏、紳士三人で、横浜をぶらぶらした。中華街と野毛。

きっかけは、G氏がSNSであげた中華街の店。僕が好きな、同發本店である。コロナ禍もあり、もう何年も行っていない。久しぶりに行きたいが、一人で行くのもなんだ。そこで、新宿ゴールデン街の酒場やその他の場所でG氏と会った際に一緒に行こうともちかけ、そこにA氏も入ってくれたという流れ。

で、当日。

中華街でおみやげ物を見繕い散策してから同發に行こうとなり、とりあえず16時集合。少し早めにつき、加賀町警察署前で待っている旨二人に伝え、周辺の画像を送る。割と人通りが多く、G氏からは「虫みたいに人が多いですね」との連絡あり。A氏は遅れてくるとのこと。ほどなくG氏と合流。

少し経てA氏から「着きました!」との連絡があるが、見回せどA氏の姿はない。見えないはずだ。A氏、加賀町警察署ではなく、数百メートルほど先にある、同署の山下町交番前で待ってたらしい。仕方ないのでG氏とともに交番まで行くと伝え、二人で交番につくも、やはりいないA氏。今度はA氏、警察署に向かったそう。人ごみの中、同じ道をすれ違ったのだ。

初っ端からのアクシデント。ようやく合流したときには、17時近くになっていた。

その後、関帝廟で軽くお参りし、みやげ物屋を1~2件冷やかしていると、G氏が、「この辺に、武器屋があるんですよ」と宣う。「マジすか?!」顔を輝かせるA氏。武器屋の前に着くと、店頭に飾られたトンファーやらヌンチャクやらを、A氏は、まるでガラスの向こうのトランペットを見る黒人の子供のようにしげしげと眺める。

で、紳士三人、武器屋で買い物。

二人はワクワクを秘めつつ武器を眺め、G氏は、手に握るタイプの鉄の爪(スト2でバルログがつけているヤツ)を欲しがったが、悩んだ末断念し、鎖分銅を購入。店の人からは、「うちにある鎖鎌の鎌は模造品なので、切れるのが欲しければホームセンターで買ってくっつけるとよいですよ」とのアドバイス。A氏もいろいろと悩みながら、バネで引っ込むスタイルの模造ドスをゲット。僕は、パリピ孔明が持ちそうな羽ウチワを買う。

店員から「40超して新たに友達作るなんて難しいですからね」と、若干の羨望と奇異の目で見られつつ、武器屋を後にした。

それぞれの戦利品でホクホクしつつ、みやげ物屋をさらに数件回り、ベビースターラーメンが売ってるベビースターランドをさらりと見学すると、さすがに小腹も空く。誰からともなく同發に向かおうということに。ところが、同發が混んでいて、行列ができていやがる。

同發の店頭のガラスの向こうには、飴色に炙りあがった豚肉や家鴨が吊り下げられ、いかにも美味そうだ。晩飯時にはやや早いが、人々気持ちは同じなのだろう。遅々として進まぬ行列。ときおり、吊り下げられた肉が姿を消し、少しして、一回り小さくなって戻ってくる。我々が食べるまでに肉は残っているのかとハラハラしながら四方山話をする我々紳士。

一時間ほど待っただろうか、ようやく店内に入る。まずはビール、そして肉。そう。同發の名物は、肉の焼物なのである。もちろん、メニューには野菜や魚介や飯や麺もあるが、我々の目的はあくまで肉。肉以外は見えてない。とりあえず、叉焼と皮付き豚肉の二種盛と、家鴨を頼む。ほどなくして運ばれてくる肉たち。

久しぶりに食らう同發の焼物。噛み締めるとしっかりと豚肉のコクのある叉焼は言わずもがな、ほぼほぼ一羽分をぶつ切りにした家鴨の様々な部位の旨味と、梅肉の酸味がほのかにきいたタレには惚れ惚れする。

そして何よりは、皮付き豚肉の妙味である。カリッとした皮目と、しどけなくほどける脂身のまろやかさ、そして肉の繊維とその間から迸る確かな豚肉の風味。これらが噛み締めた瞬間口の中を駆け抜ける。いつしか酒はビールから紹興酒に代わり、口の中の豚肉の旨味をそれで洗えば、中国料理の豚肉のあしらいにはただただ脱帽しかない。

追加で、皮付き豚肉のみをもう一皿と、豚耳を注文する。やはり皮付き豚肉の素晴らしさと来たらないが、豚耳のねっとりとしたコラーゲンの滋味と、芯の軟骨のコリコリする食感も楽しい。こうして、焼き肉屋でも無いのに肉と酒だけの宴の時間はたおやかに過ぎ、しかもそれなりに腹もいっぱいになる。満足感。

ここでA氏、「これから野毛で飲みましょう!」。確かに、電車の時間にはまだまだ余裕がある。紳士三人、中華街からタクシーで野毛に。A氏がかつて行ったことがあるという店を探し、野毛をうろうろする。「確か、ベトナム食堂の近くだったんですよねえ。無くなったかなあ」と店を探すA氏、20分ほどさまよい、とうとうそれらしき店は見つからず、手近な一軒のバーに入ることに。

店のマスターに、A氏がかつて行った店の話をもちかけると、たまたま入ったこの店がそこであることが発覚。偶然の采配に歓喜する紳士たち。

そこで1時間半ほど飲み、G氏とA氏はこれから新宿で飲みなおすとのこと、一番若いにもかかわらず疲れてしまった僕は帰宅を決断(我ながら英断)。名残惜しいが、縁のあった店を出る。G氏は鎖分銅、A氏は模造ドス、僕は羽ウチワ。三者三様の獲物を玩びつつ、夜も更けた横浜、桜木町駅まで歩いていく紳士たちなのであった。

<第二回、浅草編はこちら>
https://daily-news-portal.blog.ss-blog.jp/2022-10-08
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上野、アメ横センタービル地下、スッポン [その他]

上野、アメ横の様々なお店を冷やかしたり、食べ歩きしたりして回るのは楽しい。中でも、センタービル地下の食品街の愉快さは白眉だと思う。

御徒町側、上野側、どちらからでも構わないが、とりあえず階段を降りる。そこに広がるのは確かに食料品店。でもそこはかとなく感じる違和感とワクワク感。なんというか、「日本」が薄いのである。

地上のアメ横に勝るとも劣らない密度で並べられている、魚、肉、乾物、缶詰、調味料、その他とりどりの食いものたち。中国系が目立つが、韓国系、タイ・インドネシア系などの様々な文字列が明滅し、日本でも欧米でも無い、アジアのどこかとしか言いようが無い臭いが漂っている。

魚であれば、コイやフナ、クルマエビやアワビを買う生け簀がある。そうかと思えば、氷を敷いた台に「魚」としか書かれていないシールを貼られ、一尾丸ごとぶっきらぼうに並べられた、ボラ、タイ、スズキ、タチウオなどなど。変わったところでは、タウナギやタニシ。さらに、いわゆる上海蟹と言われるモズクガニは縄で縛られ大きさごとに値段をつけられ、赤い網の袋の中では、生きたスッポンが物憂げに手足をうごめかせている。

肉であれば、豚、鶏を中心に、いわゆる肉だけでなく、それらの臓物、つまり胃であり腸である肺なりレバーなり脚なり、その他なんなりの様々な部位が、一般家庭ではまずお目にかからない凍らせた無造作な塊のまま売っている。ジュースなのか保存食なのか、そもそも中身がなんだかわからない缶詰や調味料も実にバラエティに富み、野菜や果物はやや少ないが青いバナナも輝き、乾物もいろいろある。

実に面白いのである。

そう言えば、10年以上前だろうか、ここでスッポンを買って友人と煮て食ったこともあった。

ある休前日、新宿ゴールデン街のとあるバーで、酔った友人と、アメ横、そしてスッポンの話になったのである。カウンターに立つ料理好きな女性、「明日そんなに繁盛しないだろうし、もし買ってきたら、ここで煮てみようか」とのたまう。それならと、30を越した酔漢二人、「お前、明日上野にスッポン買いに行くからな!覚悟しておけよ」「おうよ!」と応じる始末。そのとき、時刻は午前三時。

翌昼過ぎ、二日酔いに揺蕩いながら男二人、上野で落ち合う。センタービルの地下に降り、良さげなスッポンを探して彷徨う。だいたい、100グラム500円くらい。一匹、5~6千円検討だろうか。亀を見つめる我々不審者二人に、「このスッポン、立派よ!」と声をかける店員。見ると、やや色が薄いが、丸々としたスッポンを手にぶら下げている。いいね。確か7000円にて購入。

スッポンを捌いて肉片にしてくれる間、「血、飲む?」と言われた。確かにスッポンの血は名高い。だが二人とも前日の酒が祟って血の匂いだけで吐きそうだ。飲める気がしない。持ち帰りはできないとのことで、血はあきらめる。で、バラバラになった亀肉をぶら下げ、念のためバーの女性に連絡すると、「うん、覚えてるよ、持ってきたら煮てみようよー」と快諾。途中野菜なども買いつつ、新宿へ向かう。

カウンターしかない、新宿ゴールデン街のとある小さなバー。ネットで調べたとおり、大きな鍋で湯をぐらぐら沸かし、下茹でし、三人で手分けして薄皮を剥く。薄皮を剥いたら、亀肉を本格的に煮始める。途中、白いアクが鍋から入道雲のように立ち上り、すくってみると、まるでとろろ汁のような固さである。スッポンをきちんと食うのが初めての自分としては、ただただ興味深い。

アクをすくうなり、他の野菜の下ごしらえをするなどしているうちに、あっという間に2~3時間が経過。大鍋一杯のスッポン汁が出来上がることになった。おそるおそる汁をすすると、確かに美味い。カツオでも昆布でも無いし、鶏でも豚でも無い、得体のしれない旨味がある。なんだこれは。

肉の部分は、細切れになって溶けてしまったのかあまり食ってる感じがしなかったが、ぶるぶるとしたゼラチン質部分の食感は楽しい。プロの料理人が作ったらまた違うとは思うものの、スッポンの汁が美味いことだけは、はっきりと理解できる代物だった。

それから10年以上、折に触れて散策するアメ横のセンタービル地下は、今もなお、アジアのどこかのような、蠱惑的な食料品の市であり続けているのである。

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フィクション協力、心構えのような何か [その他]

これまで、小説や漫画、アニメなどのフィクションで作品協力をしたことが何度かある。また、作品の公開までには至っていないものの、企画への協力やアイデア出しなどをさせてもらったことも何度かある。

昔の勤務先での知見の提供と、そこを起点とした各種調査やアイデア出し、ちょっとした資料作成など。その勤務先を離れて10年以上経つのに、たまにお話をいただくということは、それなりに役に立てているのだろうとは思う。

でも正直、同じ業界の出身者ならば、僕よりも知見や経験が深い人はごまんといるはずだ。SNSなどを探せば、匿名で、「元〇〇」のような肩書で動いている人もちらほらと見つかる。彼らでなく僕に目を付けてくださった関係者の方々には、感謝しかない。

そんな気持ちにできるだけ応えたいと思うのは、やはり人情だろうか。そんなわけで、自分なりのちょっとした心構えについて書こうと思う。

まず、自分の経験を、できるだけ真摯に反芻して、思い出しておくこと。一つ一つの現場なりやり取りなりで、当時の気温、天気、人々の服装、言葉遣い、息遣いなどなど。

次に、そうは言っても人事なり制度なりの最新の情報を、ニュースやら何やらで追っかけるクセを持つこと。本当は、仲良しだった人に聞ければ一番いいんだが、キレイな辞め方をしていないので、それはそれで先方にも迷惑だろう。

そして、自分が協力を求められている分野以外にも、ぼちぼちアンテナを張っておくこと。個人的な趣味だが、政治、経済、歴史に加え、小説、マンガなんかも結構好きで、それなりに本を買っては読んでいる。ストーリーの筋や、会話の修正の提案なんかでも割と役立つんである。

他にあるとすれば、自分はあくまで黒子であることの自覚だろう。もちろん、人間だもの、有名作品に名前が出れば嬉しいが、あくまで主役は作品である。監修と言おうが協力と言おうが、所詮はフィクションを面白くするためのスパイスでしかない。そういったものが無くても面白い作品はたくさんある。

逆に言えば、多少事実と異なっても、読者や視聴者が、ありえなくもない、くらいに思ってくれるレベルに持ってくれば万々歳。いくら自分の知識や経験と違うからと言ってそこをごり押しすることは無いように心がけているし、こだわるならフィクションと両立するように知恵を絞るのである。だから、自分の作業のことを、できるだけ監修とは言わず、協力と言うようにしている。

僕をフィクション協力の道に誘ってくれたT氏、行きつけのバーで会わなくなってから、しばらく経つ。たぶんご存命だとは思うが、いつの間にか連絡を取り合うことも稀になってしまった。でも、彼が紡いでくれた縁は、細々かもしれないが、僕の生きる気持ちを今なお支えてくれているのである。

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