SSブログ
警察・刑事手続 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

犯罪者を弁護するのはなぜ?~被疑者・被告人の弁護権小論~ [警察・刑事手続]

凶悪な猟奇殺人犯だろうと巨額贈収賄事件の犯人だろうと何だろうと、刑事事件で起訴された被告人は、専門家である弁護士の弁護を受けることができる。また、起訴される前の捜査段階でも、被疑者には弁護士に依頼する権利が認められている。

しかも、これら被疑者・被告人の弁護権は、憲法上の権利と解されている(憲法34条、37条参照)。

この弁護権は、無実の人を守るために機能することはもちろんだが、犯行を自白し、事実関係に争いが無い真犯人も同じように行使することができる。つまり日本国憲法は、悪いことをしたのが明らかな犯罪者も弁護士による弁護を受ける権利を認めているのである。

凶悪な、ないしは社会的に知られた事件の被告人が、弁護士を通じて事実関係や責任能力を争うことが報じられるたびに、釈然としない思いを持つ人は少なくないと思う。憲法の建前があるとはいえ、無実の人ならまだしも、なぜ、悪事を働いたことが確実な犯罪者をわざわざ弁護する必要があるのだろうか。

一つには、刑事手続きを運用する国家権力との力の格差への配慮があろう。個人としての被疑者・被告人は、組織として法的な権力を行使する警察や検察に比べれば、確かに相対的な立場は弱い。しかし、それだけでは足りない。

例えば企業犯罪や贈収賄事件の被疑者・被告人は、大企業の経営者であったり有力政治家であったりすることも多い。彼らは財力や人脈を用いて警察や検察の権力と互角に対峙することだってできなくもない。にもかかわらず、そんな被疑者・被告人にも隔てなく弁護権を認めるのが憲法の立場である。

とすると、被疑者・被告人の弁護権を等しく認める根拠は、国家権力と個人との社会的な権力関係の強弱もあるが、それよりも、多くの場合刑事手続きに関する習熟度の違いにあると考えた方がよい。

被疑者・被告人が権力者だろうが富豪であろうが、日々刑事手続きを運用している警察・検察に比べれば、刑法や刑訴法の知識および捜査や公判の経験が圧倒的に不足している。自分の言い分を主張するにも、どこが法律上のポイントかを自身で判断することは困難である。

加えて、警察や検察は被疑者・被告人の無知や不慣れに付け込み、違法な捜査、違法な起訴、違法な主張立証を行い、しかもそれが是正されないことが懸念される。例え被告人が真犯人であったとしても、警察や検察が捜査や起訴や公判で違法な行為をしてよいわけがない。

そこで、被疑者・被告人が捜査や公判で適切に自己の言い分を主張できるよう、そして警察や検察による違法な行為を是正できるよう、法律の専門家である弁護士の助力を受けることが必要になるのである。

このような弁護権が憲法によって求められているということは、刑事手続きを成立させる上で、弁護士は必要条件だと言ってよい。巧い例えではないが、野球の試合において、相互のチームにどんなに実力差があろうとも、両チーム9人そろわなければ試合ができないのと同じようなものだと思う。

犯罪者が弁護されることには、確かに納得し難い気持ちになることがある。しかし、被疑者・被告人の弁護権は、人類が長いことかけて刑事手続きを運用し、少しずつその改善を図ってきた産物であることも間違いない。自分の感情も確かに大事だ。だが人類が長年かけて考えてきた現在の制度を、まずは尊重した方がよいのではないかとも思うのである。

nice!(0)  コメント(0) 

刑事裁判と民事裁判~4つの違いから~ [警察・刑事手続]

昔で言えば、いわゆるOJシンプソン事件であったり、最近で言えば元TBS支局長の山口氏の事件であったりと、刑事裁判で責任を問われなかった(無罪ないしは不起訴)事件が民事裁判において改めて責任が認定されるケースが見られる。

同じ事実を前提とした法律問題なのに、刑事と民事で結論が分かれるのはなぜか。それは、刑事と民事の違いからくるものであり、必ずしも不合理なものとは言えない。そこで、刑事裁判と民事裁判の主な違いについて、4点ほど挙げたいと思う。


違いその1:登場人物の違い

刑事裁判は、起訴をして被告人の有罪を主張・立証する検察官と、被告人とその弁護人、そして裁判官から構成される。一方民事裁判は、原告と被告という当事者と裁判官で行われる。

違いその2:証明の程度の基準

刑事裁判で有罪認定を取るための証明の基準は、「合理的な疑いを容れない程度」とされている。これは、少しでも疑いが残っていたら有罪にすることはできない、という意味で解されている。また、刑事裁判ではしばしば「疑わしきは被告人の利益に」と言われるように、立証に対するハードルが高く、絶対基準となっている。もちろん、現実には冤罪もあるとはいえ、検察官が有罪を立証するのに高いハードルを科されているのは間違いない。

一方、民事裁判で勝訴するための事実認定の基準は、「証拠の優越」で足りるとされる。これは、相手方の主張よりも確からしさが上回っていればいい、ということである。つまり、客観的な事実かどうかは問われず、相手方の主張立証と比較した上での相対的な判断と言うことになる。

あくまでイメージとしてだが、裁判官にとって、刑事事件では99.9%の確信が無ければ有罪の事実を認定してはならないのに対し、民事事件では51%の確信を持てたら、その主張立証を基に事実を認定しても構わない。

要は、民事事件で認定された事実であっても、それが刑事事件よりも低い証明基準で認定された事実であることから、直ちに刑事事件の事実認定を拘束することはないのである。

違いその3:証拠法の有無

刑事裁判も民事裁判も、証拠で事実認定をすることには変わりはない。しかし、その証拠に関する考え方は、刑事と民事で大きく異なる。

刑事裁判ではまず、事実の認定は証拠によって行わなければならない。つまり証拠以外の事実を斟酌して事実認定をしてはいけないという前提がある。次に、ある資料や証言を証拠として事実認定に使うには、様々な制限がある。例えば、
・補強法則:被告人の自白だけを証拠にして有罪認定をしてはならない
・自白法則:任意性の無い被告人の自白は証拠にしてはならない
・伝聞法則:伝聞(第三者の発言を記した書面など)を原則として証拠にしてはならない
・排除法則:違法な捜査活動(特に捜索・差押え)で得られた資料を証拠にしてはならない
などがあり、これらの制限に反した資料や証言は、証拠能力を失い、それに基づく事実認定は認められない。このように、証拠に関しては一定のルールがあり、それらはまとめて証拠法と呼ばれる。

一方、日本の民事裁判においては、原則として、このような証拠法は存在しない。原告と被告が同意した事実であれば、証拠が無くてもその事実が認定される。また、民事裁判では自由心証主義がとられており、一部の例外を除き、証拠の他、裁判の過程の一切を斟酌して事実認定をすることができる。

このように、厳格な証拠法を潜り抜けた、証拠能力を持つ証拠だけで事実を認定するのが刑事裁判である一方、民事裁判では基本的には何でも証拠になりえるし、証拠以外で事実認定をすることも認められるのである。

違いその4:和解の有無

刑事裁判においては、和解という概念が存在しない。

その一方、民事裁判では、争いのあった権利関係について当事者間が合意した場合、裁判における和解として、「訴え提起前の和解」と「訴訟上の和解」という二種類の和解を法律上定め、また、和解の結果である和解調書は、法律上確定判決と同じ効果がある。

このように、刑事裁判においては、検察官と被告人で訴訟を終わらせることができないのに対し、民事裁判では、当事者間の和解で訴訟を終わらせることができるのである。



国家および政府による刑罰権の行使が妥当か否かの判断をするための刑事裁判は、しばしば工業製品の検査に例えられる。つまり、検察官が起訴した内容(≒製品)に欠陥が無いかどうか、被告人・弁護人が証拠法や事実関係などの視点で徹底的にチェックして、裁判官が判断を下す。

一方、対立する当事者同士の権利義務関係の調整を目的とする民事裁判は、交渉の延長線上であり、証拠や手続きの終了について、当事者の広い裁量が認められる。

このように、司法権の作用としては同じだし、原因となった事実は同じであっても、目的や手続きが異なることから、そこで出た結論も異なるものになりうるのは、当たり前と言えるだろう。

だから、ある問題、例えば性犯罪などを司法で解決しようとするとき、犯罪としての処罰を前提とする刑事裁判のみならず、金銭的補償を含めた民事裁判の視点も含め、どうしたら被害者に迅速かつ確実な救済が与えられるかを総合的に考えるべきだと思うのである。


nice!(0)  コメント(0) 

不同意性交罪、刑事司法への過剰期待の懸念 [警察・刑事手続]

性犯罪の無罪や不起訴がニュースになるたびに話題になるのが、いわゆる「不同意性交罪」を伴う刑法改正である。最近では、参議院議員選挙を前に共産党が不同意性交罪の新設と考えられる内容を公約に掲げたことで話題になった。

具体的な条文構成案が誰かから示されているわけではないので詳細は分からないが、要は、「当事者の同意が証明できない性交を処罰対象としよう」とする趣旨だと思われる。

まあ、一般的にありうる類型なのが、男性による暴行・脅迫を伴わず、女性が本心では好まなかった性交をした場合に、男性が処罰対象となる、といった形だろうか。

確かに、現行の強制性交罪の条文では「暴行・脅迫」要件があり、しかも捜査および裁判実務上この「暴行・脅迫」として求められる要件が高いとされ、特に、女性被害者が被害を訴えても、暴行・脅迫があったとは言えない、もしくは暴行・脅迫の程度が低いとして、証拠不十分の不起訴ないしは無罪とされるケースが問題視されてきた。

ちなみに、「暴行・脅迫」が無くても性交が犯罪になるものとして、現行刑法上以下のものがある。
・同意の有無にかかわらず、13歳未満との性交
・心神喪失ないしは抗拒不能に乗じ、ないしは心神喪失ないしは抗拒不能にさせた上での性交
・同意の有無にかかわらず、監護者が自ら監護する18歳未満の者に対し影響力に乗じて行った性交

ともあれ同意の無い性交は、男女双方にとっても苦痛なものである。では、同意の無い性交はそれだけをもって、刑事罰の対象とし、上記の現行法を超えて、不同意性交罪を新設すべきだろうか。

個人的には、不同意性交を刑事罰の対象としたい要請は理解しつつも、不同意性交罪の新設は筋が良くないと思う。最大の理由は、暴行・脅迫や、性交が犯罪となる上記の例と比べ、同意の有無とその故意という内心の立証が刑事司法の実務上難しいからだ。

例えば、住居侵入罪でも同意の無い住居等への侵入は刑事罰の対象だが、この場合、条文上は同意の有無とは異なり、「正当な理由」となっている。だから、人の住居に入る職務権限などを客観的に証明できるし、そのような権限があったことを誤信する環境も証明しやすい。

また、同意の存在について被告人に立証責任を負わせることは、有罪認定の主張・立証責任をすべて検察が負うとする刑事司法の無罪推定の原則から言って、認められない。なおこの点、刑法230条の2など、現行法でも若干の例外がある。ただそれらは名誉棄損罪など行為そのものが違法である場合の例外であり、性交そのものが原則違法であるという認識および条文構成をとらない限り不可能だと思うし、性交そのものを原則違法化するのは、いささか無茶な理屈ではないかと思う。

もちろん、刑事司法の実務上困難なのはさておき、象徴的にでも不同意性交罪を作り処罰対象を広げるべきという意見については、理解できないでもない。ただ、不同意性交罪の証拠を集めるために捜査で違法な取調べが行われて証言の信ぴょう性が争われたり、検察が公判で立証できずに無罪判決が増えたりすると、不同意性交罪での捜査・起訴が躊躇われて条文が死文化しかねず、逆効果ではないかと懸念する。

このように、不同意性交罪の新設については、個人的には不同意である。それでも、不同意性交罪の新設の声が根強いのは、課題解決の方法としての刑事司法にかける期待が過剰なのがその原因ではないかと思う。

確かに、刑事罰は、存在そのものの一般予防的な効果も大きいし、インパクトもある。しかし、刑事司法だけで性犯罪の被害を減らし、和らげ、できれば無くすことは不可能だと思う。

刑事手続きには、無罪推定の原則をはじめ、被疑者・被告人の権利を守るための様々なルールが存在しており、その遵守が求められる。もちろん、被害者の意向や存在を無視してはならないが、被害者の意向だけが通る手続きでは決してない。被害者がどんなに処罰意志が強くても、刑事裁判で検察官が犯行を証明できなければ、被告人を有罪にすることはできないし、それは決して不当なことではない。

性犯罪被害に対し、刑事手続きには限界があるのである。

誰しも、性犯罪の被害が無くなること、そして、仮に被害が発生したとしても、被害回復が速やかに行われ、被害を受けた方の気持ちが少しでも楽になることを願っているはずである。もし、そのような性犯罪被害の撲滅と被害者の保護が目的なら、限界のある刑事手続きに全てを期待することは誤りだと思う。

性犯罪の厳罰化や実務における認定などの刑事司法をこれからも不断に見直すことは、当然必要だろう。ただそれ以外にもやるべきことはたくさんあるのではないか。例えば、
・被害者を泣き寝入りさせない24時間の相談体制の整備
・民事手続きでのより容易な被害補償制度の整備
・被害者の医療費負担の軽減
・性犯罪への一般的な教育・啓蒙
・再犯を繰り返す人々への医療措置の普及
・女性専用車両や監視カメラなど、犯罪をしにくい環境づくり
等々、考えるべきこと、やるべきこと、つけるべき予算はたくさんあるはずだ。刑法改正という一論点だけではない総合的な性犯罪被害対策こそが、求められていると思うのである。


nice!(0)  コメント(0) 

報道でよく見る「無罪推定」とは?狭義と広義のそれぞれの意味 [警察・刑事手続]

刑事事件の報道などでよく聞かれる「推定無罪」という言葉。

一般的な理解では、「何人も、刑事裁判で有罪と宣告されるまでは無罪として推定される」という意味合いで使われている。確かに、その意味が間違っているわけでは全く無い。しかし、実際の推定無罪に関する扱いを見ていると、常識的な知見からは辻褄の合わない、よく分からないことが出てくるのではなかろうか。

例えば、被疑者が検挙され、犯行を自供している際に、「有罪と宣告されるまでは無罪として推定される」のはおかしいのではないか、もう本人も認めているのだから、犯罪者として扱ってよいのではないのか。また、そもそも捜査段階である程度事実関係が明らかになっているのに、「無罪として推定される」というのはどういうことか、有罪と考えてよいのではないか。あるいは、「無罪として推定される」はずなのに、被疑者被告人はマスコミやネット上で叩かれておかしいと感じることもあろう。

ではいったい、「推定無罪」とはもともとどういう考えで、どのような目的や効果を期待されていて、それが当てはまる射程範囲はどこまでなのだろうか。それを理解するためには、「無罪推定」について、狭義と広義、二つに分けて考えることが役に立つと思う。そこで、それぞれの無罪推定の考え方について、ざっくり述べてみたい。

(なお、「無罪推定」と「推定無罪」と同じ意味。刑事訴訟法の議論では「無罪推定」を使うことが多いので、以下便宜的に「無罪推定」を使っていきます)

続きはこちら


nice!(0)  コメント(0) 

【警察組織】知ってるつもり?交通、生安、組対について [警察・刑事手続]

警察と一言で言っても、その仕事の内容や仕事への考え方は、部門ごとに大きく異なるのが実際である。フィクションなどでは、いわゆる刑事部門や公安部門にスポットが当たることが多いのかもしれない。しかし、それら以外にも、日々の生活に密着した部門もあるし、存在は知ってるけど何しているか今ひとつ分からない部門もあるのではなかろうか。

そこで今回は、刑事でも警備公安でもない、交通部門と生活安全(生安)部門と組織犯罪対策(組対)部門を採りあげ、国の警察機関である警察庁における業務を中心に概説したいと思う。

1:交通部門~大正義「道路交通法」の守護神~

警察庁交通局を頂点とした交通部門の最大の特徴は、「道路交通法」に関するイニシアティブをがっつり握っていることである。道路交通法といえば、速度取り締まりはもちろん、道路の通行規制、駐車違反など道路交通に関してはまさしく憲法と言ってもいい法律。交通警察は、その改正や運用を一手にしている。

道路交通法の運用という意味では、自動車運転免許制度を欠かすことができない。自動車運転免許は、運転する人はもちろん、身分証明書としての価値もかなり高い。その保持者数は2018年で8000万人を超え、国民の三人に二人は保有している計算だ。8000万人を対象とする行政政策というのは、日本でもそうそうお目にかかれない、大規模なものである。

また、道路交通法は、頻繁に改正がされることでも知られる。例えば、飲酒運転規制の強化、駐車規制の強化、高齢者運転免許の見直し等々、枚挙に暇が無い。警察庁交通局は、ほぼ年中道交法改正のネタを検討していることに加え、上述の飲酒運転規制強化などの諸政策が特に大きな反対も無く、すんなり人々に受け入れられており、政策のプロモーションも巧みである。

このように交通部門は、道路交通法を軸とした、法政策のスペシャリスト集団なのである。

2:生活安全部門~法と政策のカオスにしてワンダーランド~

生活安全局は、刑事事件になる手前の様々な段階で警察が介入し、犯罪を抑止するのが主な任務である。当然、介入する根拠として、様々な法律や許認可を駆使する。そのため生活安全局も、法律や規制や政策を扱うことは交通局と同様である。ただ、何が違うかというと、その範囲の広さと脈絡の無さだ。

生活安全局が扱う法律は多岐に渡る。

・キャバクラや性風俗など風俗営業の基本法である風俗営業法
・古着屋や古書店などを規制する古物営業法
・セ〇ムやア〇ソックなどの警備業界を規制する警備業法(警備局の法律ではないことに注意!)
・探偵業法

といった業界を規制する、いわゆる「業法」の他、

・ストーカー規正法
・遺失物法
・銃刀法
・不正アクセス禁止法
・未成年者喫煙防止法
・未成年者飲酒防止法

など、道路交通法という大きな軸がある交通部門と比べて、大小取り混ぜ様々な政策分野を扱っているのがわかる。少年事件やサイバー犯罪と行ったいわゆる事件を扱うだけでなく、いわゆる「業法」やその他の法律を根拠に、様々な許認可行政を扱っていることが大きな特徴だ。

さらにいえば、交番やパトカーといった、鉄道警察隊といった地域警察や、知的財産関連、消費者問題、環境犯罪も、警察庁では生活安全部門の一つとされており、日々の暮らしの中で、交通警察と並び、よく接する部門と言えるのである。

このように、生活安全部門は警察の中でも、扱う分野の幅が極端に広く、他の一般の行政機関に近いところもある。いわば、様々な法や政策を駆使する、カオスにしてワンダーランドな世界なのである。

3:組織犯罪対策部門~刑事、生安、公安などのハイブリッド~

組織犯罪対策部門、特に警察庁刑事局組織犯罪対策部は、2004年に設立された比較的新しい部門である。その母体は暴力団対策部だったが、そこに、外国人犯罪対策、マネーロンダリング対策、そしてかつては生活安全部門が担当していた薬物・銃器犯罪対策を含め、役割が大きく拡充された。

組対は、犯罪の被疑者検挙を目的とするという意味では、刑事局と共通する。しかし、対象が組織犯罪であり、通常の犯罪捜査手法では摘発が困難であることから、様々な手法を用いているのが特徴である。

まず、組織犯罪対策処罰法における、通信傍受や、いわゆる共謀罪、刑事免責等によって、一般の刑事事件と比べて、捜査機関の権限がより強められている。

また、暴力団対策法を例にとると、暴力団という団体を定義・指定するとともに、その構成員の行為を行政命令で規制することにより、通常の刑法犯と比べて幅広く処罰の対象とすることが可能となっている。このように、法律と規制を用いて刑法犯の手前で警察が介入する仕組みは、生活安全部門の仕事の進め方に似ている。

さらに、犯罪を繰り返すことが疑われている組織に対しては、継続的な情報収集が不可欠である。そこで、組織内に情報提供者を求めることも行われており、その手法はテロ組織等の情報収集を任務とする公安警察に似ているところもある。

このように、組織犯罪対策部門は、刑事を軸としつつも、組織犯罪の特質に配慮し、生活安全や公安部門の知見を活かしたハイブリッドな構成になっているのである。


同じ警察でも、部門によって目的や考え方が異なる。フィクションの中や、自分が関わりを持った警察官がどの部門に属しているのか、またどの部門の経験が長いのかによって、その警察官の行動様式も変わってくる。警察を知り、民主的な手続きでコントロールし、そして楽しむためにも、警察への知識をクリアにしてみるのは、価値が無いわけではないと思うのである。

nice!(0)  コメント(0) 
前の5件 | 次の5件 警察・刑事手続 ブログトップ