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刑事裁判と民事裁判~4つの違いから~ [警察・刑事手続]

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昔で言えば、いわゆるOJシンプソン事件であったり、最近で言えば元TBS支局長の山口氏の事件であったりと、刑事裁判で責任を問われなかった(無罪ないしは不起訴)事件が民事裁判において改めて責任が認定されるケースが見られる。

同じ事実を前提とした法律問題なのに、刑事と民事で結論が分かれるのはなぜか。それは、刑事と民事の違いからくるものであり、必ずしも不合理なものとは言えない。そこで、刑事裁判と民事裁判の主な違いについて、4点ほど挙げたいと思う。


違いその1:登場人物の違い

刑事裁判は、起訴をして被告人の有罪を主張・立証する検察官と、被告人とその弁護人、そして裁判官から構成される。一方民事裁判は、原告と被告という当事者と裁判官で行われる。

違いその2:証明の程度の基準

刑事裁判で有罪認定を取るための証明の基準は、「合理的な疑いを容れない程度」とされている。これは、少しでも疑いが残っていたら有罪にすることはできない、という意味で解されている。また、刑事裁判ではしばしば「疑わしきは被告人の利益に」と言われるように、立証に対するハードルが高く、絶対基準となっている。もちろん、現実には冤罪もあるとはいえ、検察官が有罪を立証するのに高いハードルを科されているのは間違いない。

一方、民事裁判で勝訴するための事実認定の基準は、「証拠の優越」で足りるとされる。これは、相手方の主張よりも確からしさが上回っていればいい、ということである。つまり、客観的な事実かどうかは問われず、相手方の主張立証と比較した上での相対的な判断と言うことになる。

あくまでイメージとしてだが、裁判官にとって、刑事事件では99.9%の確信が無ければ有罪の事実を認定してはならないのに対し、民事事件では51%の確信を持てたら、その主張立証を基に事実を認定しても構わない。

要は、民事事件で認定された事実であっても、それが刑事事件よりも低い証明基準で認定された事実であることから、直ちに刑事事件の事実認定を拘束することはないのである。

違いその3:証拠法の有無

刑事裁判も民事裁判も、証拠で事実認定をすることには変わりはない。しかし、その証拠に関する考え方は、刑事と民事で大きく異なる。

刑事裁判ではまず、事実の認定は証拠によって行わなければならない。つまり証拠以外の事実を斟酌して事実認定をしてはいけないという前提がある。次に、ある資料や証言を証拠として事実認定に使うには、様々な制限がある。例えば、
・補強法則:被告人の自白だけを証拠にして有罪認定をしてはならない
・自白法則:任意性の無い被告人の自白は証拠にしてはならない
・伝聞法則:伝聞(第三者の発言を記した書面など)を原則として証拠にしてはならない
・排除法則:違法な捜査活動(特に捜索・差押え)で得られた資料を証拠にしてはならない
などがあり、これらの制限に反した資料や証言は、証拠能力を失い、それに基づく事実認定は認められない。このように、証拠に関しては一定のルールがあり、それらはまとめて証拠法と呼ばれる。

一方、日本の民事裁判においては、原則として、このような証拠法は存在しない。原告と被告が同意した事実であれば、証拠が無くてもその事実が認定される。また、民事裁判では自由心証主義がとられており、一部の例外を除き、証拠の他、裁判の過程の一切を斟酌して事実認定をすることができる。

このように、厳格な証拠法を潜り抜けた、証拠能力を持つ証拠だけで事実を認定するのが刑事裁判である一方、民事裁判では基本的には何でも証拠になりえるし、証拠以外で事実認定をすることも認められるのである。

違いその4:和解の有無

刑事裁判においては、和解という概念が存在しない。

その一方、民事裁判では、争いのあった権利関係について当事者間が合意した場合、裁判における和解として、「訴え提起前の和解」と「訴訟上の和解」という二種類の和解を法律上定め、また、和解の結果である和解調書は、法律上確定判決と同じ効果がある。

このように、刑事裁判においては、検察官と被告人で訴訟を終わらせることができないのに対し、民事裁判では、当事者間の和解で訴訟を終わらせることができるのである。



国家および政府による刑罰権の行使が妥当か否かの判断をするための刑事裁判は、しばしば工業製品の検査に例えられる。つまり、検察官が起訴した内容(≒製品)に欠陥が無いかどうか、被告人・弁護人が証拠法や事実関係などの視点で徹底的にチェックして、裁判官が判断を下す。

一方、対立する当事者同士の権利義務関係の調整を目的とする民事裁判は、交渉の延長線上であり、証拠や手続きの終了について、当事者の広い裁量が認められる。

このように、司法権の作用としては同じだし、原因となった事実は同じであっても、目的や手続きが異なることから、そこで出た結論も異なるものになりうるのは、当たり前と言えるだろう。

だから、ある問題、例えば性犯罪などを司法で解決しようとするとき、犯罪としての処罰を前提とする刑事裁判のみならず、金銭的補償を含めた民事裁判の視点も含め、どうしたら被害者に迅速かつ確実な救済が与えられるかを総合的に考えるべきだと思うのである。




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