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ラグビーワールドカップ、余波、新宿ゴールデン街 [新宿]

9月20日からラグビーワールドカップが開催しているおかげか、夜、街中で外国人の姿を見かけることが増えた。新宿もその例外ではない。

ごくたまにだが飲みにいかないでもないゴールデン街にも、闊歩する外国人酔客が明らかに増えている。相乗効果かメディアの効果か、日本人の酔客たちも増えてきているようである。

酒場街なんだから、閑古鳥が鳴いて寂しいよりも、外国人だろうがなんだろうが人が楽しそうにさざめき歩いている方がいいに決まっている。ところが、そうとばかりも言ってられない風情もちらほらと見受けられ、ごくまれにしか行かないはずの僕の目にも映り、かつ、僕の耳にすら漏れ聞こえてきている現状なんである。

例えば、
・集団で店の外に出て路上に出て立ち飲み、歌う、叫ぶ、騒ぐ
・大勢で固まって街路を塞ぐ
・店の前にたむろして入口を塞ぐ
・エアコンの室外機や路上にコップ、瓶、缶を放置
・タバコの吸い殻ポイ捨て
・それらに注意をしても聞かない、直さない
等々。

もちろん、酒を飲む場所なのだから、酔って騒いでうるさかったりなんだりはある程度しょうがないとは思う。しかし集団で行動されると、個々人ではそれほど問題視されない行動でも迷惑のレベルは跳ね上がる。また、店のグラスを外に放置するのは下手したら窃盗だし、店の入り口を塞ぐのは営業妨害だ。

特に外国人の場合、なにせ言葉が余り通じないので、店の人が抗議しようにも上手く伝わらないことも多く、始末に負えない。

もちろん、外国人が外国人というだけで問題があるわけではない。街に、店に、人に敬意を払って酒を飲んでいる外国人もたくさんいる。また、日本人の一見の客だってロクでも無い人はいるし、それこそいわゆる常連客の連中だって、その多くはお世辞にも聖人君子とは言い難い

結局、街や他人への敬意や愛情を、酔客たちの間にいかに醸成していくか、というところに尽きるのかもしれない。

その意味では、新宿ゴールデン街は酔客のためのテーマパークではない、そういう当たり前の事実に思いを馳せることは重要なのだと思う。

街を形作る各店舗の関係者が、組合等を通じ、売上の一部からお金を出し合ったり、手や足を動かしたり、汗をかいたりなんだりで景観や風紀や安全を維持しているのが現実だ。店内はある意味他人の家であり、文字通り人の生活の一部のはずである。そして街路は当然ながら公共のものだ。

いかに客であろうと、他人のものや公共のものを故無く傷つけてはならないのは、万国共通だろう。もちろん、酔客、すなわちお客様は大事なステークホルダーだ。しかし、街にはそれ以外のステークホルダーもおり、酔客だけが優先される道理はないのである。

日本人だけではなく、多くの外国人にとっても魅力的である新宿ゴールデン街。その景観や風情は、誰か頭のいい人が都市計画や町おこしで作ろうとしても、とても作れたものではない。それは、人と歴史と欲望と愛着が交錯し発酵しあざなわれる中で咲いた、酒と偶然そして営為の徒花とでも言えようか。

その魅力は、実に繊細かつ微妙なバランスで成り立っていて、ちょっとした事件や事故でもあればすぐにも損なわれかねないものである。

だから、もし新宿ゴールデン街の風情に魅力を感じているのであれば、それが多くの人の営みで成り立っているものだし、何なら客もその一員であるということを、どうか心の片隅に置いておいてほしいと、酔客の一人として願うのである。

まあ、なんだかんだ言ってはいるが、個人的にはそれほど悲観してはいない。

かつてゴールデン街は、やれ地上げやら、やれ歌舞伎町浄化対策やら、様々な問題をどうにかこうにか乗り切ってきた。外国人や日本人観光客の急増によるいろいろな問題だって、きっと人々が知恵を絞り、手を動かし、汗をかいて、少しずつでも改善していくことはできると信じている。

もっとも、今すぐ何か妙案があるかと言えば僕には出てこない。しかしだ。街で酒を飲む人間の一人として、何より、歯を食いしばってでもきちんと金を払って街で酒を飲み続けることが、何らかの貢献にはなるんではないかとは、思うのである。



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八重洲『博雅』の水餃子 [食べ物系]

東京駅八重洲口近く、『博雅』の水餃子が割りとお気に入りなんである。

確か誰かから聞いて行ってみようと思ったのだが、誰から聞いたのかよく覚えてない。
で、店に入りメニューを見れば、1000円弱もする水餃子にいささか驚きつつ注文。

しばらくすると、目の前に麺類もかくやと思う大振りのどんぶりがおかれ、
立ち上る湯気の下には、もやし、キャベツ、ほうれん草、にんじん等々、
とりどりの野菜と汁が。

店員がタンメンと間違えたに違いない。しょうがないか。

抗議するのも物憂いので、汁をすすりつつ野菜を片付けはじめる。
汁はごくごくあっさりとした塩味で、ほのかに野菜の甘みが残る。

悪くない。

さて、麺でも食うかと野菜の合間に箸を差し込むと、麺とは異なる感触。

なんだ。

野菜を掻き分けてみると、白色半透明の塊が5つほど。大きい。
生まれたての赤子の握りこぶしくらい、あるのではないか。

どうもこれが、水餃子らしい。

水餃子をレンゲにとってかぶりつけば、ささやかなニラの香りと肉汁。
味付けは、汁と同様ごくごくシンプルな塩味。

食いでが物凄くあるのだが、脂っこくないので、食える。

野菜を噛み砕き、餃子にかぶりつき、汁をすすり、野菜を噛み砕き、
餃子に醤油をたらし、かぶりつき、汁をすすり、汁をすすり、餃子を
割ってラー油をたらし口に放り、野菜を噛み締め、汁をすすり・・・

そんな作業を繰り返すと、いつの間にか、どんぶりは干上がっていた。

腹が減っているとき、物を食って、味がして、腹が満ちていく。
そんな当たり前の食事の感覚が、なんだか楽しい。

隣の『泰興楼』の焼餃子とも甲乙つけ難い、良い餃子経験なんである。

<博雅:食べログ>
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13006471/


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期待値の超えられない高さ~小泉進次郎環境大臣について~ [政治]

2019年9月11日の第4次安倍再改造内閣の発足。

その目玉人事と言ってよいのが、小泉進次郎議員の初入閣だった。環境大臣。言わずと知れた小泉純一郎元総理の息子で毛並みもよく、容姿端麗にして弁舌さわやか。しかも直近では人気キャスターの滝川クリステルさんとの結婚も発表し、まさにスポットライトを全身に浴びつつ、将来の総理大臣としての道をひた走っていると言っても過言ではなかろう。

環境大臣としての業務は様々だが、やはり注目を浴びるのが原子力規制関連の行政だ。東日本大震災における福島第一原発事故から8年。放射性物質による健康被害の懸念は未だ払しょくされたとは言い難く、しかもその懸念には必ずしも科学的な事実に基づかないものも少なくない。各国の原子力政策では当然とされる処理水の海洋放出一つとっても、国内世論で実行に移せていないのが現状だ。

国内だけではない。隣国韓国では、政権の要人たちが自国の原発政策を棚に上げ、相次いで日本の放射性物質の管理対応を批判し、輸入食品への風評被害への加担や、2020年のオリンピックに対する否定的な国際世論の形成に余念がない。

個人的には、注目を集める小泉環境大臣が、国内外に対する原子力関連のリスクコミュニケーションに本格的に取り組むことに期待していた。小泉氏がきちんと事実を主張し、誤解を正すことで、原発事故の風評被害が少しでも緩和されるのではないかと思ったのである。

しかし、就任から約1週間、早くもその期待がしぼまざるを得ないことに我ながら驚いている。その発言をいくつか拾ってみよう。

■小泉原子力防災相「どうしたら原発をなくせるのか考える」
https://www.sankei.com/politics/news/190912/plt1909120005-n1.html

■石炭火力発電「減らす」=ESG投資に注目-小泉環境相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091301011&g=pol

■小泉進次郎・環境相、前任者の発言をおわび 訪問先の福島県で
https://www.huffingtonpost.jp/entry/koizumi-kankyosho-fukushima_jp_5d7af866e4b03b5fc880ad1b

現在の政府の方針は、「脱原発」ではなく、エネルギー基本計画に基づき、基準を満たした原発を順次再稼働させることだが、小泉大臣の発言はこれに反しているのではないか。

また、石炭火力発電を減らすとのことだが、先の脱原発的な発言と相まって、全体的な電力政策の中で石炭火力をどう位置付けているのか不明確である。それに加え、エネルギー需給を所管する経済産業省では、石炭火力を減らすのではなく、その効率化・技術推進の推進を主張しており、小泉大臣の石炭火力発言は経済産業省との調整を経たものではない可能性が高い。

(参考)国によって異なる石炭火力発電の利活用
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/sekainosekitankaryoku.html

また、前任の環境大臣原田氏による処理水の海洋放出を前向きに考える発言に対し、これを批判し、事実上撤回したことで、すでに貯蔵が限界になりつつある処理水の海洋放出に向けた議論をとん挫させることになってしまった。

このように、小泉環境大臣には、従前の政府の立場を無視し、かつ関係者間での事前調整が無いままの発言が目立つ。

もちろん、一議員として様々な考えを持つのは当然だろう。しかし、小泉環境大臣は仮にも政府の一員である。もし、政府の立場がおかしいと考えるのであれば、自ら総理をはじめ他の閣僚を説得して、政府方針を変えるべきだ。それができる見込みが無ければ、政府方針に沿った発言をするのが筋なのではなかろうか。

また、関係省庁で議論が分かれる問題について、両省庁での合意が無ければ具体的な行動に踏み出すことはできないし、調整が無いままの発言は、合意に必要な省庁間の信頼を著しく損ねることになるだろう。

もっとも、事前調整をせずに問題提起をして注目や支持を集め、政府内の調整や省庁間交渉を自分のペースにしたいという思惑が小泉大臣にはあるのかもしれない。そしてそれは、父親である小泉純一郎元総理のやり方に似ていなくもない。しかし、衆議院の解散権や閣僚の任免権を持つ総理大臣と、それらの権限の無い一環境大臣では、仕事の進め方は異なって当然だ。

その意味では、現時点では小泉環境大臣の発言には危惧の方が大きい。結局、絢爛にして空疎な弁舌を振りまいた挙句、施策が具体的に前進しなかったことを自分の意見に反する「抵抗勢力」のせいにして、自らの説得力、交渉力、調整力の不足を棚に上げて自己保身に走ってしまうのではないか。

絶大な人気を誇りながら実際にはほとんど仕事ができず大臣を解任された存在として、小泉純一郎内閣の生みの母とされた、田中真紀子元外務大臣の存在がちらつく。小泉環境大臣は同じ轍を踏んでしまうのだろうか。

さて、このように小泉環境大臣に言及してしまうのは、我ながら図らずも、小泉氏に対する期待値をかなり高くしていたことにあるのは否めない。普通の議員が大臣になったなら、こんなに期待もしないし、そして発言にも失望しはしなかっただろう。高い期待値は、その分リスクにもなりうるのだと思う。

とはいえ、落ち着いて考えれば、就任からたったの1週間。小泉環境大臣にはまだまだ挽回のチャンスはあるはずである。早くから将来の総理候補として注目されていた小泉氏には、きっと底力があるに違いない。どうか、体面の維持と自己保身に走るのではなく、環境大臣として泥を被るような仕事を通じて実績を重ね、近い将来堂々たる総理候補として名乗りを上げてほしいものである。

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『欺す衆生』感想~かくして人間は妖怪へ~ [読書]

『欺す衆生』(月村了衛)読了。

面白かった。

ささやかな希望を持つに過ぎなかった男が、多くの人の金と欲と命の業火の中で窯変していく物語。

かつて豊田商事をモデルとする詐欺企業の一員で、現在では妻子思いでつましい暮らしをしていた主人公隠岐は、当時の同僚因幡の勧誘に乗り、導かれるままに、様々な詐欺ビジネスの渦中に放り込まれる。

苦悩しながらも詐欺の才能に目覚める隠岐は、社内での勢力争い、暴力団との交際、表向きの顔として設立した投資顧問会社の運営など、金銭とそれによる妻子の生活水準向上と引き換えに、真っ当ではない社会にズブズブと嵌っていく。

隠岐を誘った因幡は、隠岐に次々とビジネスの餌を与え、まるでメフィストフェレスのように、決して放そうとしない。そして、隠岐は表向きの投資顧問会社の腹心の裏切りに合い、そして詐欺ビジネスでも頼みにしていた部下にも裏切られ、暴力団が持ち掛けた彼らの死を黙認する。

メフィストフェレスであったはずの因幡も、いつしか精神を錯乱させ、暴力団によるトラブル対処において、文字通り致命的な過ちを犯す。ビジネスを、そして生活を維持するために、もはや暴力団との関係は切っても切れないものとなっていた隠岐は、暴力団に対するケジメとして、自らの手で因幡の命を奪うことを余儀なくされる。

因幡を失い独り立ちしてしまった隠岐は、詐欺組織の運営に、万全の才能を開花させる。大企業や政治を巻き込み、不正を嗅ぎつけたジャーナリストを国外で処分する策を立てるなど、その姿は、因幡とのビジネスにおいてかろうじて保っていたはずの倫理のタガが外れたかのよう。

そんな隠岐にとって大切なのは、やはり妻と二人の娘、すなわち家族だった。

家族の暮らしを守るために詐欺組織を回してきた隠岐だが、その多忙さは家族への配慮を失わしめるのに十分だった。いつしか、妻や娘たちとのコミュニケーションが失われ、個々人が相互理解からほど遠くなってしまっても、まだ、隠岐はかつて家族であったものを愛し続けようとした。上の娘が結婚詐欺被害の危険に遭遇したとき、彼は政治家をも巻き込んで全力でその阻止にあたり、そして成功する。

公私ともに当面の苦難を乗り越えた隠岐は、もはや、自分を誘い込んだメフィストフェレスである因幡の存在も、そして自らの手によるその死をも記憶のかなたに追いやって、当面の詐欺に邁進。

ここで、物語が終わる。

隠岐は、妻と娘を愛しその幸せのために懸命に働くという至極真っ当な人間だった。しかしその一方、あるときは因幡と、そしてあるときは彼自身が作った詐欺の仕組みは多くの人々から財産を奪い、そして彼自身、周囲の人々の死に直接・間接に関与してきた。

そこにいるのは、あくまでも人間的な存在を目指しながら、多くの人間から金と涙と命を搾り取る、矛盾をはらんだ一人の妖怪であった。

物語が進むにつれ、隠岐は一歩、また一歩と妖怪に近づいていく。人間が人間としての幸せをつかもうとするならば、その人間は妖怪にならざるを得ないのだろうか。人間が人間として幸せであることは、不可能なのだろうか。

エンターテインメントと言うにはあまりにも哲学的であり、哲学というのはあまりにも痛快すぎる、『欺す衆生』は、物語をつうじて、そんな、生きることと幸せとを深く考えさせられる読書体験だった。

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とある夏の思い出、野球観戦 [生活]

同い年の知人中年男性がタダ券を手に入れたということで、
先日、誘われて野球を見に行った。

千葉マリンスタジアムのロッテVS西武戦。
17時の試合開始を踏まえ、16時に球場集合なんである。

海浜幕張駅から15分ほど歩く。
蒸し暑くはあるが、幸いなことに雲が多く、日差しが弱いのはありがたい。

30分ほど前についたので、球場周りをぶらぶらするが、存外に人が多い。

ロッテだけにアイスの無料配布をしているほか、マウンテンバイクの実演や、
ダンスのステージ、DJブースなどが諸々。その他にも、ビールやら飲食物やらが
売られ、ところどころにベンチなどの座るスペースもある。

老若男女が思い思いの楽しみ方をしていて、それを見るのも愉しい。

しばらくして、知人と合流。中年男性二人。
少し早いが球場に入り席につく。ロッテ側の内野席。

売り子たちが蝶のようにヒラヒラせわしなく動き回っており、
どの娘もひたすら可愛く見えるのは球場マジックか。
早速ビールからスタート。

四方山話をしつつ、おもむろに知人が何かプラ容器を取り出す。
以前球場で売っていると聞いていたタコスだ。テキサスという店らしい。

容器には、ソーセージ入りと肉入りのタコス2種、それに炙った鶏もも肉。
まずはソーセージのヤツにかぶりつく。

タコスのほのかな香り、野菜の食感、ソース、そしてソーセージの歯ごたえと肉汁。
頬張ってもぐもぐして味が混ざる感じ。おお、美味いじゃないか。

正直、球場とかイベントでの食べ物に一切期待をしていなかったのだが、
低い期待値を補ってあまりある美味さだ。当然肉入りも美味く、ついでに、
鶏もも肉もかなり美味く、瞬く間に食ってしまった。

そして試合が始まる。

いつの間にか内野席、外野席ともに8割くらいは埋まっていて、昔テレビで見た、
ガラガラの外野席でマージャンをしているような様子は見られない。

試合前には名前を忘れたがアーティストが一曲披露し、試合最中には様々なダンスや、
グッズプレゼントのキャンペーン、7回には花火が上がり、風船の応酬がされるなど、
試合以外にも見どころがあり目移りする。

試合そのものも、各回にそれなりに見せ場があって、最近の選手をほとんど知らない
素人なりにも楽しめる。外野席の声援に耳をゆだね、ふとした夜風の涼しさを感じ、
ビールを煽る。

なるほど、野球観戦とは、それなりによいものなのだな。

唯一残念だったのが、ロッテ側の席で見ていながらロッテが逆転負けをしてしまった
ことくらいだが、まあそれはご愛敬。

気力体力があれば知人ともう少し飲めたのだが、お互い疲れていたので解散。
総合レジャーとしての野球観戦をたしなんだ、とある夏の夜の思い出なのでした。

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