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春、河原友達の季節 [日常]

一年に一度、ゴールデンウィークのある一日、一人、河原でぐずぐず飲み合う友達がいる。

年齢は僕の2~3つくらい下、元々は新宿ゴールデン街の酔客だった彼。その後結婚し娘さんをこさえてからは、酒場街からは足を洗い、まっとうな暮らしを営んでいたはずだった。

そんなある春の休日、僕が赤羽のまるます家で昼酒を嗜んでいると、彼から連絡が。これから一緒に飲めないか、という。赤羽まで来てくれるならと答えると、小一時間後には合流。たまたま、アド街ック天国か何かで赤羽岩淵を特集していたこともあり、その辺を散策しているうちに、荒川の土手が見えてきた。見上げれば、空はどこまでも青い。セブンイレブンで、ビールやら、北区の酒丸真正宗やら、肴やらを買い、荒川のほとりに腰掛け、対岸の埼玉県を見ながら二人、日が暮れるまで四方山話をすることに。

これが、その後恒例となる河原会のきっかけだった。

翌年、桜の花が咲く頃、どこかの河原で飲みたいという連絡が彼からあり、隅田川をチョイス。両国辺りから隅田川に出て、ベンチに掛け、ぐずぐずと飲み始める。その日も天候に恵まれ、見上げれば抜けるような青空、川に目をやれば水上バスが川面を白く波立てて行き来。春のうららの、とはよくぞ言ったものであり、川風も心地よい。

だが、そんな好事にこそ魔が潜むもので。

一通り飲み食いを終え、場所を変えようと、隅田川を遡って吾妻橋に出ようとする。付近にゴミ箱が無かったため、僕が食べ残し飲み残しのビニル袋を持ち、彼がゴミの袋を持ってくれた。川上方向に歩き出してすぐ、彼の手からゴミ袋が飛んでいった。白いビニル袋は青空に流麗な放物線を描き、停泊していた屋形船のタグボートに着地。なんてことしやがる!と思ったときには、屋形船関係と思しき若者二人に詰め寄られ、叱られ、土下座土下座のようなほうほうの体でその場を逃れたのである。隅田川の乱。

以降、河原会は完全にゴールデンウィークの恒例となり、江戸川、多摩川、神田川(井の頭公園)を大きなトラブルも無く制した。

そして、平成最後の2019年春、例によって例のごとく、彼から連絡が来た。今年は目黒川の予定だ。友人ではあるが、実は、この河原会以外で連絡を取り合うことはほとんどなくなってしまった。そんな、一年に一度だけ連絡を取り、会うという淡い友人関係。友達の詳しい定義は知らないが、とある中年男性にも、このような友達がいたって罰は当たらないだろうと思う、今日この頃なんである。

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ある休日、イタリアワインとの日常 [日常]

休日、文庫本をポケットに入れて訪れるはサイゼリヤ。
最寄り駅近くにあるのである。

サイゼリヤと言えばイタリアワイン。
知人友人と1500mlのマグナムボトルではしゃぐのも楽しいが、
一人なので控えめに、250mlの赤のデカンタで。

お気に入りのつまみは、ホウレン草のソテーと、
半熟卵の乗った、柔らか青豆の温サラダ。

聞くとも無く耳に入るのは、若人連中のはしゃぎ声と 、
そして垂れ流される中年マダム方のおしゃべり。

それは、午後のサイゼリアのごくごく一般的な風景でして。

文庫本に集中すれば、1972年。

『ロマネ・コンティ1935年』(開高健)の稠密な文章に導かれ、
今にも、ビンテージワインの封が開けられようとしていた。

イタリアワインを飲みながら、フランスワインの粋を読む。

完璧に注がれたそのワインを飲んだ瞬間、
「小説家」と「重役」の二人は、激しい失望に囚われる。

要は、美味くなかったのだ。

ロマネコンティがこのような味になった背景に様々な思いを馳せつつ、
「小説家」は心中沸き起こる過去の逢瀬の記憶に身を浸す。

逢瀬の記憶と無残な老成を遂げたワインの味が縦横に絡まりつつ文章は進み、
ロマネコンティのグラスが澱だらけになったころ。

「小説家」と「重役」はその場を立ち去った。

文庫本から目を上げると、夕暮れ時のサイゼリヤの喧騒が。
テーブルには、グラス半分ほどの赤ワイン。

澱も何も出てこない赤ワインを飲み干して、598円の勘定を支払い、
僕はサイゼリヤを後にした。

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ある落し物~雀と哲学者と法学徒~ [日常]

本が入っている袋を落としてしまった。

『雀の手帳』(幸田文)と『哲学者と法学徒の対話』(ホッブズ)。

前者はエッセイ。見開き2ページで1回分。
日常生活を意地悪く見つめながら、それでいて凛とした感じの日本語。
続き物であったりなかったりと、融通無碍。

何でもない生活が、言葉によって美しく変換されるから不思議だ。

しかし、このような日常生活の美化は、日本の伝統なのかもしれない。
私小説もそうだが、以前、博物館で近衛家の遺物を見たことを思い出す。

そこには、日常生活に使うこまごましたものを、綺麗な紙や布、
和歌で彩る王朝人達の生活があった。

後者は、リヴァイアサンで有名なホッブズの対話編。

清教徒革命における大混乱を目の当たりにしたホッブズは、
法を通じた国家主権確立の必要性とその論理的正当性を、
対話に託して語る。

英国のコモン・ロー概念を確立した法律家、
サー・エドワード・クックの議論を、ある面では否定し、
ある面では肯定しつつ法、裁判、王(国家)の関係を
定式化しようと試みる。

読み進めるうち、近代国家概念の生まれいづる悩みを、
追体験している気になる。

『雀の手帳』は読み終わっていたが、
「対話」は読んでいた途中だったので、少し残念。

雀の背に乗って、哲学者と法学徒はどこかにいってしまったのか。

やれやれ。

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謹賀新年 [日常]

いささか遅ればせながらですが、2019年、あけましておめでとうございます。

2018年は、新しい出会いもありながら、心身の調子がとれず、たくさんの人々にご迷惑を
おかけすることが多い一年でした。

2019年、平成が終わり、新しい時代が始まります。

まずは、心身を整えることを第一に、おかけしたご迷惑やいただいたご恩に少しでも報いるよう、
日々過ごして参りたいと思います。

何卒よろしくお願いいたします。
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同居寸考、秋 [日常]

独り暮らしといえば独り暮らしなのだが、
同居している生き物がいないでもない。

まあ、ハエトリグモのことなんですが。

体長1センチくらいで、巣を作らないタイプの蜘蛛。
壁を這っていることが多いが、ときおり、かなり近くにもやってくる。

なぜか憎めずその様子を見ていると、全体的に黒いフォルムで、
ゴロゴロとした大きな黒い瞳。小首をかしげるようなしぐさをしながら、
先端の白い前足?触覚?を自分の顔の前でシャワシャワと動かしている。

何を考えているのだろうとつらつら眺めていると、不意に、まるでワープでも
するように跳ねて、気がつけば数センチ先にいる。

かなりスゴイ。

調べてみると、どうも、アンダソンハエトリグモという種類らしい。
ハエやゴキブリなどを食しているとのこと。

確かに、部屋でコバエはあまりみないかもしれない。

もちろん、餌をあげて飼っているわけではないし、懐いているわけでもない。
かといって、憎たらしいわけでもない。カワイイとすら、言えなくも無い。

ともあれ、お互いの生活圏をうまく尊重しあっているという認識。
もっとも、向こうがどう思っているかは、知る由が無いのだが。

虫の声が
骨身にしみる
独り部屋
我泣き濡れて
蜘蛛と戯る

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