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鯛の頭を煮て食う [日常]

最寄り駅近くの某スーパー、割と面白いものが安く売っており、重宝する。例えば、本マグロの血合い肉の塊(たぶん400gくらい?)が299円とか。

先日もふらり立ち寄れば、二つに割られた一尾分の鯛の頭が99円で、しかもそれが半額。つまり50円弱。安いと言えば安い。むむむ。鯛のカブト焼きは好物だが、うちにはグリルが無い。そもそも料理得意じゃないし。でも安い。まあ、何でも煮て汁ごと食えばどうにかなるか。で、ネギと一緒に購入。

とりあえず下ごしらえをネットで検索。

ごろり取り出した鯛の頭にざざっと塩をしてしばらく置き、ついで熱湯をびしゃっとかけて血なり何なりをしゃしゃっと洗い、目立つ鱗もとる。

後は、ネギと一緒に煮る。味付けは塩のみ。料理酒は買い忘れた。ことことしばらく煮て頃合いを見れば、鯛の頭とネギの塩ゆでができあがる。

鯛の頭を取り出してちょいとついばむと、鯛の味はするが、ちょいと薄いので、ポン酢をかけて食らう。鯛チリを食っているようで良い。頭らしく、目玉であったり、頬肉であったり、様々な身の味が楽しめて美味い。汁も素晴らしい。塩でしか味を付けてないのに、いやそれだからか、立派に鯛の味が活きている。鯛の香りはするが、生臭く感じるほどでもない。ネギもとろける甘さを放ちつつ、鯛の風味を存分に吸っており、正解だ。

結局一日半ほどかけて、鯛の頭をほじくり、ネギを食らい、汁を啜った。

最後汁が結構余ったので、飯にかけて鯛茶漬け風にしたり、スパゲティを茹でてぶち込んで汁パスタ風にしたりなんだりして、鯛の風味を堪能したのである。

惜しむらくは、鱗がどうしてもじゃりじゃりしてしまったこと。固いし、喉にでも張り付くとかなりせき込んでしまい苦しい。あと、やはり料理酒を買っておくべきだったかなとか、生姜があっても良かったかもとか、諸々思うところはあるが、まあ、誰に食わせるもんでも無いからいいんである。

そんな中年男性の残暑一人飯であった。

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不貞寝考 [日常]

何もする気力が起きないとき、消極的な選択肢ではあるが、不貞寝せざるを得ない。

むろん不貞寝すらも安住とは言えず、機関銃で撃たれる妄想を枕に、夏でもエアコンをガンガンにかけ、布団に包まって転がり、時間の経過と事後直面することになる現実に歯を打ち鳴らす。

不貞寝をさらに苦しくしてくれるのが、寝汗である。自分の身体の各所の毛穴から、一粒、また一粒と、汗がせりあがってくる。特に頬の辺りは、次から次へと虫でも這い出てくるかのような感触であり、ときに手近な布を手にとって滅茶苦茶に顔をこする。

シャワーでも浴びたかのように全身が濡れそぼつが、包まる布団から抜け出ることはできない。己の汗の冷たさの責めさいなまれつつ、ただただ動けない。

時間だけが気になる。不貞寝時の時間は、ときにゆっくりと流れ、ときに加速する。共通するのは、どちらも心休まらないことだ。硬く瞑った目をときおり開くと、ほぼ一時間が経過している。起床予定時刻まで、ほぼ一定感覚で時間を確認し、薄っぺらい安心と手ごたえのある焦燥を往復する。

起床は、絶望だ。

こうして書くと不貞寝はたいして良いものではないと判るのだが、不貞寝しかすることができないくらいに気分が落ちていることは割と頻繁にあるのであり、もうどうしようもない。

こうして、無為の時は過ぎ、老いに背中を叩かれる。

はてさてどうしたものか。

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たまには献血もする [日常]

そんなに頻繁にではないが、気が向いたときには、なんとなく、献血に行くことにしている。400mlの全血。献血カードによると、概ね、年1~2回程度のペースのようだ。

献血ルームに行くと、まず荷物をロッカーにしまい、血圧を測り、献血の種類(200mlか400mlか成分のいずれか)の確認を受け、海外渡航や体調や投薬状況などのアンケートに回答する。そして医師の問診を受け、水分を補給して、簡単な血液検査を経て、いざ本番。

横になり、肘の内側に針が刺されると、半透明の管がみるみる赤黒く染まり、その先のパックに自分の血液が流れ込む。なんとなく不思議。その様子を見たり、テレビ番組を見たりしながら、400mlだと、だいたい10~20分くらいで終了。

献血後は、やはり水分を取って、置いてあるマンガなどを読みながらしばし休憩して去る。混み具合にもよるが、概ね、1時間から1時間半程度か。

それにしても、献血は相当厳格かつ慎重な基準でなされていると思う。だから、断られることもたまにあるんである。

問診やアンケートで体調等が少しでも悪そうだとやんわりではあるが断固たる姿勢で断られるし、心拍数が高いと血圧や心拍数を再検査させられる。事前の簡易の血液検査でも、赤血球の比重なり何なりが基準に満たないと、やはり断られてしまう。

個人的な経験としては、血液検査の前後、ちょっとうとうとして寝落ちしていたら心配されてベッドに横たわらせられ、ベッドでも数分完落ちで寝てしまったら、その日は献血を断られてしまったことがある。別に寝不足だったわけではないはずなのだが、仕方ない。

断られてしまうと、せっかく来たのに、という徒労感や失望が無いわけではないが、自分の体調なり提供される血液なりで何か事故があってからでは遅いのは間違いないので、しぶしぶと受け入れる。この徒労感や失望を巧く解消させることができれば、献血に協力する人はもっと増えそうな感じがするんだが、どうなんだろうか。

ともあれおそらく、海外渡航や投薬や体質の都合で元々献血をできない人は一定数いるはずであり、献血ができる人でもその日の事情で断られるケースもあるわけで、献血ができる状態というのは、それなりに健康状態がマシな、ある意味恵まれた環境なのだろう。

最近の献血ルームはなんとなくオシャレで清潔だし、スタッフも医師もとても丁寧で親切だ。少し昔のようなアイスやお菓子の食べ放題こそ流石に無いが、献血後はそれらと引き換えのトークンをもらえる。飲み物はフリードリンク。マンガや雑誌もたくさん用意されており、ほどよく時間をつぶすにはちょうどよいのである。

何より悪くないのは、献血後しばらくして、血液検査の結果が送付されること。ちょっとした健康診断なみに各項目の数値が記録され、正常値との比較が記されている。しかも過去の献血時との比較もしてくれている。

さて、怠惰でものぐさでエゴイストなので、あまり他人様の役に立つようなことをする気力も甲斐性もないのだが、ちょっと横になっているだけで救えるかもしれない命があることを想像すると、献血はまんざらでもない、自尊心を満足させてくれる、ある意味での気楽な趣味みたいなもんなんである。


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不忍池、夢の中へ [日常]

新型コロナ感染の危険から、外出は自粛なんである。

普段は出不精なのだが、そんなご時世にはなんとはなしに反発したくなる。だからだろうか。ある日、お出かけする夢を見た。

良く晴れて、風もそこそこのある春の日。朝起きてうだうだするのに飽き、昼ころ、外出を決め込むことにする。マスクをつけてドアを出た瞬間はただの近所の散歩のつもりだったが、春風に背中を押されると、もう少しだけ遠出をしたくなる。

そうだ、上野行こう。

美術館や博物館はやってないだろうが、なに、公園が丸ごと封鎖されてるなんてことは無いだろう。そういえば、営業時間こそ短縮しているものの、吉池は開いているはずだ。吉池で酒と肴を買って、公園のどこかでランチ。それだ。これは必要かつ緊急の食事なんである。

気もそぞろに電車に乗る。いつもより空いてはいるが、マスク姿の人がそれなりに乗っている。まあ、人の移動を完全に無くすことなどできまいて。都内の川をいくつか渡り、緑と水の流れる景色に後ろ髪引かれながら、秋葉原で降りる。秋葉原から御徒町を経て、上野まで歩くのである。

メイドカフェの客引きを横目にずんずんと。中間目標は、御徒町。

ほどなく御徒町、吉池に着く。一階は鮮魚、地下一階には鮭やら乾物やら、地下二階は酒やら生活雑貨やらを商っている。よかった、営業している。

まず酒だ。

地下二階へ。地方の酒蔵が催事をしていたらそれを買うのが自分としてのセオリーなんだが、こんな時だし催事はないようだ。並ぶ酒瓶を見ながら、そして自分の懐具合を相談しながら、しばしむむむ。選んだのは『初孫』の純米生酛。これなら味に間違いはない。四合で千円強という値段もよい。ついでに350缶のヱビスとチェイサー用の水を買って万全。

次は肴だ。

吉池の鮮魚コーナーは常に素晴らしい。美味そうな鮮魚たちを尻目に、刺身コーナー辺りをうろつく。ホタルイカもよいし、アオヤギなんかも売ってる。カツオやマグロやタイもよい。さて。しばし悩んだ末、4点入り(マグロ、タイ、ハマチ、アカガイ)の刺身盛り合わせを一つ。火を通したのも欲しかったので、鯨の大和煮缶を一つ買う。ついでに刺身醤油。まあ、これでよかろう。

吉池のビニールを下げ、アメ横を抜ける。

閉まってる店もかなりあり、人通りも、無いわけではないがかなり少ないアメ横。文字通り、8割減くらいではなかろうか。すっぽんをはじめエキゾチックな食材に溢れるセンタービルの地下の食品街も覗いたが、やはり半分くらいは閉まっていた。でもすっぽんはある。地上に出てビールを歩き飲み。上野の山の上まで登ろうか悩んだが、疲れそうなので、不忍池のほとりへ。ロビンマスクVSアトランティス。

池の周り、木陰に腰掛ける。密集密閉密接ではないものの、なんだかんだで老若男女、マスク姿の人の往来がある。ジョギングしたり散歩したり自転車にのったり腰掛けて談笑してたり。親子だったり友人だったりたぶん恋人同士だったり家族だったり独りだったり。緊急事態宣言下というのに、マスク姿を除き、ほぼほぼ日常だ。なんと。

妙な感慨にふけりつつ、刺身のパックと初孫を開ける。とりあえずマグロから。端が少しひんやりジャリっとしたので失敗。もう少し置こう。初孫、純米ながら洗練された香りとコクが広がり、喉越しでキリリと締まり、腹に酔いがストンと落ちる。生酛づくりならではなんだろうか。よい。むろん刺身に合う。合わないわけがない。

右側数メートル先に腰掛けてパンか何かを手にしている男性の辺り、スズメの声がかまびすしい。見れば男性の周りにスズメが集い、手にのったりなんだりしている。文鳥ならぬ手乗りスズメだ。なかなかのものである。左数メートル先には、男性が二人腰掛け、消毒用ウオッカの話をしている。

刺身を食べ終えたところで、ちょっと場所を変えることに。池のほとりを歩きつつ、日差しも柔らかくなったので、日向のベンチで再開。初孫は半分くらい残っている。鯨大和煮缶を開ける。甘辛く味付けた鯨肉、白飯のおかずとしては甘塩っぱ過ぎる気もするが、初孫相手だとすこぶる良い。

空はあくまで青く、日差しはちょうどよく、風はやわらかく、スズメ、ムクドリ、ハト、その他もろもろの鳥の声、水面を揺らす鯉、花にはまだ遠い蓮の茎、池の向こうに見える弁天堂、初孫、鯨大和煮。本でも読もうかと思って持ってきていたのだが、そんなもったいないこと、できるわけないじゃないか。

初孫を飲み終えて、さて、どうしようかというところで目覚めて気づけば、不忍池は消え失せて自分の部屋のせんべい布団。奢れるものではないにせよ、ただ春の夜の夢のごとしとは。いささか口惜しい夢の中なのであった。

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終戦の日、雑感 [日常]

終戦の日。

言うまでも無いことながら、1941年から1945年にかけての大東亜戦争では、国内外の多くの方々が亡くなられ、あるいは苦難を強いられました。

勝利するあての無い戦争をはじめた当時の政治指導者の決断や、必ずしも合理的とは言えない人命を軽視した作戦指導で兵員の犠牲を増やした軍指導部の判断、そしてそれらを支持し許容した当時の国内世論は、今なお検証され、批判されてしかるべきだと思います。

一方で、民間人であれ軍人であれ、国内であれ国外であれ、日本人であれ外国人であれ、戦争で亡くなった方々に対しては、改めて深い哀悼の意を捧げたいと思います。また、数々の悲劇を通じ、戦争を否定する今日の日本の考え方の礎を築いた存在として、最大限の敬意を表するものでもあります。

さて、このような様々なレベルでの悲劇を生んだ戦争を二度と繰り返さないことは、後の世代に託された重大な任務のはずです。悲しいことではありますが、国外では、まだまだ軍事力を使って目的を達成しようと考える人々は少なくありません。

「戦争反対」と戦争への嫌悪を声高に叫ぶことも重要でないとは思いません。ただ、それに加え、戦争が発生するメカニズムや、そこに至る世論形成、そして外国との相対的な軍事バランスなど、戦争に至る様々なポイントを押さえ、それを一つ一つ除いていく地道なプロセスもまた大切なのだと思います。

そのためには、過去の戦争はもちろん、今こうしている間にも、戦争が起こらないよう様々な現場で任務を遂行し活動している方々を思いつつ、学び続けなければならないと思いました。

改めまして、黙祷。

タグ:終戦の日
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