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読書寸評、2023年1月(不定期更新) [読書]

■ブルーバックス『新しい高校地学の教科書』
土、水、風、星など、何万年何億年もの時間を経た物質の循環と変遷を巡る壮大な物語。物理も化学も生物もひっくるめた世界認識への欣求は、人間存在への内省を余儀なくさせる、限りなく哲学的もしくは宗教的な営みに近いのではないかと思った。

■帚木蓬生『臓器農場』
新人看護婦が、ふとしたことで、無脳症児からの臓器移植を巡る勤務病院の謎を追うことに。救命への切実な思いが人々の名誉欲や金銭欲に絡められて変質し、医師や看護師への殺人事件にまで発展。医療倫理をはじめ人間の命の意味を考えさせられる、骨太の物語だった。

■小池滋『ロンドン』
シェイクスピア、モーツァルト、ディケンズ、マルクス、切り裂きジャック、長谷川如是閑等の目線で各々の時代のロンドンを漫歩する一風変わった都市紹介。時代時代の人々の生活感が楽しい。当時の警察制度や治安への言及がちょいちょいあるのは個人的に勉強になった。

■牧山桂子『次郎と正子』
白洲次郎・正子夫妻の娘である筆者による、両親の回顧録。伯爵令嬢出で自我剥き出しの母と英国通の実業家で不器用な拗らせ愛の父が織り成す、ある意味セレブな家庭生活。どこか滑稽どこか悲壮な様子は、家庭というものの本質かも。透徹に描かれた二人の死も見事。

■志賀直哉『和解』
確執のある父との和解を軸に、新生児である娘の死と新たな娘の誕生という死生と、父との関係をテーマにした創作へのメタ的な苦心とを簡にして鮮やかに描く。私小説だろうけど、ノンフィクションではなく、作為は丁寧に消されながら、透徹した企みと確かな技術が滲む。

■若田部昌澄『ネオアベノミクスの論点』
アベノミクスというより、持続的な経済成長実現のため、マクロ経済学の基本的な考え方に基づく政策パッケージの解説といった感じ。池田勇人の経済論戦にも触れ、日本で経済成長への忌避感が強いのはもはや半世紀以上前からの伝統かと天を仰いだ。

■吉行淳之介『紳士放浪記』
盛り場潜入や旅行記、出版社勤務の顛末などを描いたエッセイ集。当時は新しい現代風俗の紹介だったはずの文章が、時を経て、時代風俗についての歴史資料のような趣を呈するのは愉快。現代に彼が生きていたら令和の今をどう描いたのか、少し興味深く思った。

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チェンソーマン感想~あるいは、多様な暴力における人間の社会と倫理の相対化~ [読書]

『チェンソーマン』、遅ればせながら第一部公安編を読んだ。面白かった。

それは、僕らが当たり前のように依拠している人間の社会とか倫理とかいうものが、実はたいそう儚く相対化されたものに過ぎないのではないかというゾッとするような問題提起であり、それでもなお、人間は生きていくのだという太々しさの提示だと思う。

そして何より、周囲の人々とともに主人公が悩み苦しみ成長し、そして苦難を乗り越える、正統的な叙事詩であり、エンターテインメントであった。

様々な能力を持つ「悪魔」と人間が共存している社会、死別した父親の借金を背負いつつ、かつて血を与えて助けた「チェンソーの悪魔」ポチタとともに最底辺の暮らしをしている少年デンジが、借金のトラブルでヤクザと「ゾンビの悪魔」に殺害される。その際、ポチタからその心臓を譲られることで復活。頭と両腕からチェンソーが飛び出す愉快な姿で周囲をなぎ倒す、チェンソーの悪魔に変身する力を得た。

その後デンジは、内閣官房直属の公安組織のリーダーの一人にしてデビルハンターであるマキマに拾われ、デビルハンターとしての生活を始める。デビルハンターの同僚ないしは上官として、早川アキはじめ悪魔と契約した人間や、血の魔人たるパワーはじめ人間の死体を乗っ取った悪魔である魔人たちと悪魔退治のミッションをこなすことで、デンジは、パンにジャムやバターを塗れる、いわゆる普通の生活を手に入れる。

デンジ含め公安組織は「銃の悪魔」討伐を狙うが、その過程そのものが、実は「支配の悪魔」であるマキマが「チェンソーマン」を支配して、その能力により、「なくなったほうが幸せになれるもの」を消し去って「より良い世界」を作ろうとする試みの一環とも言えるものだった。マキマは、デンジに普通の暮らしや仲間や家族の存在を与え、そしてそれらを奪うことで「チェンソーマン」を呼び出し、その支配を企む。

結果、ポチタやパワーの協力もあり、マキマはチェンソーマン、あるいはデンジに敗北。その肉体をデンジに文字通り食われる(いわゆる、マキマ定食)ことで消滅し、第一部は終了。

さて、『チェンソーマン』では、様々な悪魔が様々な暴力を振るい合い、とにかく人間が死ぬし、悪魔も死ぬし、魔人も死ぬ。「銃の悪魔」のシーンでは、その絵とともに悪魔に殺された死者の名前がひたすらに羅列されていくし、個人的に大好きな「闇の悪魔」のシーンは、11人の宇宙飛行士の上半身と下半身が切断された遺体の間をレッドカーペットとして登場する。そして、悪魔は悪魔のロジックがあるにせよ、人間にとっては不可解にして不条理であるままに、ただ暴力との対峙を強いられる。

そのような、人間の理解を超えた圧倒的な暴力の存在は、一連のクトゥルフ神話とか、『幽遊白書』の魔界を思わせる。作中の人間社会は、このような悪魔の世界と地続きであり、そこには人間の倫理は通用しない。悪魔こそいないが、僕らが生きている現実の人間社会の倫理も、実は当たり前ではなく、全く異なる理解できないロジックで動く一連の人々がいるものの、それが可視化されていないだけなのかもしれない。

にも関わらず、デンジを代表として、作中世界では、きちんと人々が生活している。飯を食い、排せつをし、働き、性欲を持つ。そこには、悪魔という人間の社会や倫理を強く相対化する存在があり、不可解で不条理な悪魔の暴力に晒されつつも、日々を生きる人間のしぶとさがある。

そして、当初は食うこともままならず、パンにジャムが塗れるような普通の暮らしを求め、異性への儚い性欲に囚われる、あまりにも情けなく人間的なデンジが、悪魔との度重なる戦闘の経験と早川アキやパワーをはじめとする人物たちとの交感を通じ、ついには人間社会に巣食いそれを意のままに文字通り支配しようとする「支配の悪魔」たるマキマと対峙。それを打倒するまでに至る。

このように、『チェンソーマン』は、自分たちの世界への疑いが投げかけられる恐怖の片鱗を基調としながら、どこかしぶとくユーモラスで、そしてヒロイックな叙事詩であり、とても楽しい作品であった。第二部の学園編も追っかけてみたいと思う。

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読書寸評、2022年11月 [読書]

■米山正信『化学ぎらいをなくす本』

兄と妹の対話編形式による化学入門の概説書。共有結合やイオン結合、酸化や還元、モルや気体など、化学の基本的な概念や考え方が平易な表現で書かれていて興味深かった。高校時代、化学を習って卒業したはずなのに、真っ新な知識に感じたのはご愛敬で、、、


■田中慎弥『切れた鎖』

表題作含め三作の短編集。ぬろりどろりとした言葉の使い方には、明晰さや快適さとかとはまた異なる得体の知れなさがあり、どことなく、生命のグロテスクさとそこへのおののきが感じられる。三作の中では、妻の妊娠から広がる妄想を描いた『不意の償い』が好きかも。


■宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人 』

日本と南洋を主な舞台に、鰹漁や鰹節の製造加工に携わる人々のネットワークとその歴史を、統計と個人史を交えつつ概説。鰹節の基本情報と、国内市場の変化、商品としてのダイナミズムが実に印象深い。ちょっとよい本枯節の出汁が飲みたくなった。


■角井亮一『すごい物流戦略』

物流、というか商品やサービスが顧客の手に渡るまでの流れを基点にした経営戦略論。アマゾン、ZARA、ニトリ、アイリスオーヤマ等の具体例と物流戦略の枠組み両方が示され面白かった。儲ける仕組みを作るには、戦略に加え大胆な投資が必須であることを再認識。


■吉田一郎『国マニア』

ちょっと変わった国や自治領などの地理、歴史がコンパクトに紹介され、平面上の線に過ぎないはずの国境にドラマを思わせる。日本人としては当たり前な国とその運営が、日本の外では必ずしもそうではないらしい。国の維持は人々の意思と努力の賜物なのだと感じた。


■北方謙三『三国志読本―北方三国志〈別巻〉』

北方三国志はかなり前に読んだけど、こちらは初めて。張飛とか呂布への思い入れや、日本の天皇観と中国の皇帝観の相違等を北方謙三自ら語るのがよい。正史準拠の情報が比較的コンパクトにまとめられているので、三国志入門としても面白いかも。


■村上龍『ラッフルズホテル』

演技する精神を地でいく女優が、かつて接した元戦場カメラマンの男を追いシンガポールへ赴く。金持ちによる切実な遊びの非現実感が、熱帯の熟れ腐る果実のような甘ったるい言葉でドロリ描かれ、どうにか現実に繋ぎ止められる。一切は存在していたのだろうか。

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『十三夜の焔』~ある月村文学のカタチ~ [読書]

月村了衛『十三夜の焔』読了。面白かった。

御先手弓組の武士幣原喬十郎と元締め代之助傘下の盗人千吉。境遇も性格も全く異なる同世代の二人が、天明四年(1784年)五月の十三夜、ある往来の殺人現場に居合わせたことで、運命の歯車が回りだす。殺人犯として千吉を追う喬十郎に対し、千吉は、その追求と殺人の濡れ衣を躱そうと知恵を絞る。

互いに持てる力や人脈を最大限に用い、どうにか目的を達成しようとするうち、喬十郎は幕閣の陰謀に巻き込まれ、信じていた人物にも裏切られ、佐渡へ左遷。一方千吉は、両替商銀字屋利兵衛と名を変え、本両替仲間に食い込み、商人世界で栄達の道を歩む。

時は流れ、帰任し出世した喬十郎と商人として栄達を続ける利兵衛は、またしても江戸で遭遇。驚きとともに、お互いを憎悪し、強く意識する中、経済政策を巡る幕閣内の権力闘争に翻弄され、それぞれがそれぞれの立場で苦衷の選択を強いられる。

曲折を経つつ、政治や運命に玩ばれる無力にひしがれながら、それでも妻子の幸せを願って懸命に働き、全力で自分の本分を尽くす同時代の一人の男の姿として、二人はお互いを認め合っていく。作中の謎が一つずつ明らかになるにつれ、時間は流れ、二人は老人となって一線から退き、友情というにはあまりに重々しい感情を互いに抱きながら晩年を迎える。

そこにあるのは、時代小説の体を取りながら時代小説を超え、これまでの月村さんの作品のあらゆる要素がてんこ盛りとなった、非常に贅沢な作品であった。

江戸時代という背景や剣劇には当然のように『神子上典膳』『コルトM1851斬月』以降の時代ものの作品があり、喬十郎と千吉という二人の男の憎悪や友情に似た巨大な感情による交錯は『機龍警察 暗黒市場』を思わせる。長年にわたり政治権力に振り回されながらも己の矜持を保って生きようと足掻く姿には『東京輪舞』が脈打ち、家族を愛し守りたいがゆえに正しくない道を選ばざるをえない苦衷は『欺す衆生』を彷彿とさせる。

他にも、過去の月村文学のエッセンスが随所にちりばめられており、あたかも、過去の作品が丁寧に消化され、その滋養が文と物語の隅々にまで行き渡ってる感じ。

それだけでも堪らないのに、『十三夜の焔』の最後は、やるせなさや失望や苦汁や驚きに満ちた過去作品のどれにも似ずに新しく、すこぶる端正で美しい。これまでの作品をきっちりと踏まえつつ新しい境地に一歩踏み込もうとする、月村さんの強烈な開拓精神を感じる。

これは、月村文学の新しいカタチなのではなかろうか。

すでに多くの人気作品をものにし、作家として押しも押されもせぬ立場であるはずの月村了衛さんがこのような開拓精神を持つことは素晴らしいし、守りに入らないその姿勢は、驚嘆に値する。これからも、月村さん本人の筆で月村文学を乗り越えていくことを期待したい。その過程そのものが、月村文学のカタチなのかもしれないのだから。

≪『十三夜の焔』amazon≫
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読書寸評、2022年7月 [読書]

町田康『パンク侍切られて候』読了。
風変わりでナンセンスな時代小説かと思いきや、言葉を縦横に駆使して世界認識や個人のあり方に迫る、まさに純文学だった。大江健三郎や筒井康隆や高橋源一郎の香りもしつつ、時代小説を音楽のように遊ばせてみせる手腕は希有。蓄積の上に咲いた無二の花。

邱永漢『我が青春の台湾 我が青春の香港』読了。
台湾で生まれ、日本の大学で学び、香港に亡命し、日本で作家を目指すまでの手記。日本の植民地からの解放を寿ぐ間もなく国民党政権の苛政に喘いだ台湾史の証言として貴重だし、時代に翻弄されつつ強かに生きる若者の立志伝としても面白かった。

源了圓『徳川思想小史』読了。
政治的安定と平和が実現された江戸時代の思想史。儒学の系譜を主な軸に、農民や町人の思想、国学、幕末まで一通り概説。身分制・封建制の限界こそあるものの、その豊饒さは西洋近代に勝るとも劣らず、明治以降の近代化はある意味で必然だったのかもと思った。

沢山美果子『性からよむ江戸時代』読了。
春画等から、江戸時代は性にルーズというイメージをもっていたけど、「家」や共同体の維持の観点から性と結婚と妊娠に様々なルールを設けようという人々の根強い意思がある一方、そこからすり抜ける現実の性接触との鬩ぎ合いや折り合いが印象的だった。

『聞き書き 緒方貞子回顧録』読了。
UNHCRやJICA理事長を勤めた緒方氏の回顧録。ある女性の一代記としても、旧ユーゴなど国際政治のオーラルヒストリーとしても秀逸。目の前の人を助けたいという情熱、政治や行政を説得する冷徹さ、現場視点の現実主義など、稀有な実務家の姿を垣間見た気がする。

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