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あぶらぼうずの秋 [食べ物系]

先日、ある居酒屋に入ると、あぶらぼうずがあった。
塩焼か、煮付け。

10年と少し前、とある事情で沼津に立ち寄った際の刺盛りの中に、やたら濃厚な脂の乗ってるであろう、白身の、一際印象的な刺身があった。そのとき二日酔いでこんがらがっていたに違いない体内に、その脂がふわりと染みた。

それが、あぶらぼうず。

あとでちょいと調べたら、ギンダラの仲間で、最長1.8メートルになる大きな魚。クエに偽装されることも多いそう。非常に脂肪分が多く、食べ過ぎると腹を下すと言われるキラーコンテンツらしい。でも旨かった印象は消えない。

メニューの6文字を見て、あの日の沼津の秋風を思い出す。

そんなわけで、篠田麻里子似の店員に、あぶらぼうずの塩焼を頼んだ。冷酒を嘗めながら待つことしばし。焼かれた魚肉片が現れる。

大根おろしとはじかみを添えられた大振りの切身からはじくじくと脂が滲み出し、汁気たっぷりを予感させる。後は、ほろりほどける身と汁気と脂を、記憶とともに酒で流し込むのみ。ほどよくこげた皮のねっちりした感触もよい。

塩焼を食い終わり、旨い魚を食った満足に浸っていると、過ぎた年月と失ったもののほろ苦さが体内を駆けた気がした。

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夏の麺、あれこれ [食べ物系]

夏の麺、まず定番と言えば、博多天神の冷やし中華だろう。

ラーメンは30秒で出るのだが、冷やし中華はもう少し時間がかかる。なんか麺も薄緑がかってるし。

麺の上には、細切りにした薄焼き卵ときくらげと、きゅうりと紅ショウガと春雨、そしてささやかながらチャーシュー。からしが添えられて。ほのかに酢のきいた醤油味のタレに浸ったそれらを啜ると、うん。夏ですな。替え玉はないが、十分楽しい500円。

「冷やし中華は中華じゃない!」

と、さかきばら?先生に怒られても平気の平左である(ここ、美味しんぼネタなので注意)。

そういえば、最近そうめんを食べる機会が減っている。自炊をあまりしないからだろうけど。そうめんは、まず外食では食べない。高いし。例えば、昔近所の駅ビルに入っていた某蕎麦屋では、缶詰みかんやさくらんぼが投入された「フルーツそうめん」が、1200円もしやがった。そうめんが外食だとセレブの食い物扱いになってしまう。

引き替え、うどんはやはりリーズナブルだ。丸亀製麺も楽釜製麺所もよいが、個人的には、はなまるうどんのとろ玉ぶっかけ(冷)がよい。とろろとオクラと玉子のマリアージュで、コシのあるうどんがするすると飲める。

富士そばや、JRの駅の蕎麦屋はどこかもの悲しいが、ふらり入った新宿三丁目の蕎麦屋には「めふん」が置いてあり、蕎麦そっちのけで、カップ酒と酒肴にいそしんだこともある。むろん、蕎麦も美味しかったけどね。

そんなわけで、夏の麺、あれこれとりとめない思念を彷徨わせつつ、三連休初日の午前中を無為に過ごしている今日この頃なんである。

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夏、昼下がり、松本楼 [食べ物系]

用事で大手町に寄った昼下がり、そういえば昼飯を食ってなかった。自覚がちくちくと食欲を刺激してくる。さて、どうするか。丸の内でも八重洲でも悪くは無いが、なんか気分ではないのである。

そう思ってぶらぶら歩いているうちに、脳内に、日比谷公園、松本楼が点滅した。洋食。昔、霞が関で働いていたとき、課内の同僚とランチに行ったことがある。その後も、一人で1~2回は行ったことがあるはずだが、あまり覚えていない。よし。少し歩くことになるが、時間はたっぷりある。全く問題は無い。

大手町から、丸の内の高層ビル街、おしゃれブティック街を抜け、銀座をかすめて日比谷に出て、日比谷公園へ。

散策する人、テニスに興じる人、ベンチに座り語らうつがいどもなど、コロナ禍の緊急事態が一段落したせいか、思い思いに公園で過ごす人々。やや曇天模様の空の下、木々の緑の下に入ると、心なしか空気が心地いい。湿った木々や草花の匂い。松本楼への細かい道を忘れてしまったが、公園にいればいつかは着くだろうとだらだら歩く。

いささか彷徨うと、木々の間に姿を現す瀟洒な洋館。松本楼だ。

1階のグリル&ガーデンテラスで。外のテラスか店内か迷ったが、店内。歩いて喉が渇いたので、とりあえずビールを頼む。おしゃれなクラフトビールもあったが、せっかく洋食を食うのだから、てらわずに一番搾りを。

オーセンティックな洋食。カレー、オムレツライス、ハンバーグ、コロッケその他軽食諸々。メニューに心躍る。で、結局、ハヤシソースのオムレツライスに、クリームコロッケが添えてあるプレートという決断。

テラスの方をぼんやりと眺めビールをすすりだらり。五感からはもろもろ情報が入ってくるが、脳はただただ右から左へ受け流すのみ。しばし、肉の塊のオブジェと化す。

そしていざ、プレート見参。

左にハヤシソースのオムレツライス、右にクリームコロッケが鎮座。皿の上部には漬物と左からポテサラとブロッコリーと人参のグラッセが並ぶ。色目が楽しい。やおらフォークを取り、まずグラッセを突き刺して口に放り込み咀嚼。甘さ、そしてバターと人参の確かな風味がじんとくる。

いよいよオムレツライスだ。ソース、玉子、チキンライスのバランスを勘案し口に運ぶ。ソースの塩味がまずきて、それから肉だの香辛料だのなんだのを錬成したソースの香りと滋味が広がる。絶妙な火加減の玉子はあくまでも優しくふうわりとろけ、チキンライスのあえかな酸味と米の実感が腑に落ちる。それらがないまぜになって、一さじの中で明滅する。

素晴らしい。

気もそぞろにクリームコロッケに手を出す。からり揚がった衣のパン粉のかしゅっという食感、とろりもたりと流れるクリームの熱さにハフつきつつもそこにあるのは優雅な滑らかさと確かなコク、それらをトマト風味のソースがきりりと引き締めてくれる感じ。

よいね。

周囲の景色も店内の喧騒も忘れ、しばし食らうことに集中する。いつしかプレートは空に。ほどよい満腹感。

テラスを見やれば、同じように食事を楽しむ人々と、ほどよく切り取られた日比谷公園の木々や草花。雲が程よく遮る日差しの中で、緑はどこまでも穏やかだ。なんとなく、ここらで夕立か、あるいは霧雨あたりがさっと降ったら趣深いのではないかな、などと思ったある夏の週末、昼下がりの話なんである。

洋食に
舌ざわめかせ
森の中
心湿らす
一雨もがな

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桜でんぶ [食べ物系]

あの、太巻きとかに入ってるやつ。鱈とかの身を炒りほぐして甘くして色づけたもの。あの利用法について、疑問に思ったわけで。

実際、クックパッド先生などに教えをこうても、あの色を生かした何かしかなくて隔靴掻痒。玉子焼きに入れたり、おにぎりにまぶしたりですな。

なんかこう、違うのですよ。

例えば、料理の鉄人で鹿賀丈史がお題を「さくらでんぶ」と紹介して鉄人がでんぶメインで何か作る、もしくはでんぶの特徴を最大限生かした料理、そんな感じがほしいわけで。

でんぶと言えば、あの色と、繊維質のざらついた舌触りと、あまじょっぱい味。

空想および何人かのブレストベースでは、
 ・透明なあんかけに入れてみる
 ・白和えのゴマの代わりに使ってみる
 ・肉団子にまぶしてみる
などなどが比較的ましなアイデアとして登場した。

ちなみにご存知の方も多いと思うが、僕はほぼほぼ料理ができない。でもなぜか考えてしまうのですよね。。。

というわけで、もし何か思いついたらそっと教えてくれたらいいと思う今日この頃なんである。


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思い出、ミシュラン二つ星のレストラン [食べ物系]

新型コロナで鬱々としてる時期だし、昔の思い出をサルベージする。

6~7年前のことだろうか。

当時仕事上でおつきあいのあったY氏(当時、某IT企業法務部長)に、都内にあるミシュラン二つ星シェフの某フレンチレストランで、ごちそうになってしまったのである。

50代のY氏と30代のそれがしのメンズ二人。No女子。

何かいろいろ料理とかワインが出て、お互い四方山話をしつつ、とても楽しい時間だった。それにしても、食べ物に関し、人間の欲望は深いもんだと改めて痛感してしまう。

例えば、アミューズの次に出た牡蠣。

岩海苔のムースの上に生牡蠣をのせ、柑橘系のジュレをかけ、岩海苔を散らす。牡蠣と言えば、採れたての生牡蠣にポン酢かレモンが最高だと思っていた。

しかし出て来た料理は、牡蠣とポン酢の美味さをそのままに、らくらくとその上を行く味覚の記憶を振りかけてきた。

そして例えば、鮎。

鮎など、一匹丸々塩焼きにするのがベストだと思っていた。それがだ。身はムニエルで、腹には鮎の臓物で作ったソースをつめ、頭と骨は揚げられ、添え物になっている。

確かに、身の美味さと骨や頭の美味さを発揮する火の通し方は違うはずだが、鮎の美味さにかまけて、意識に上らなかった。やられた。

他にも色々あるのだが、割愛。

なるほど、慣れ親しんでるはずのシンプルにして至高なる日本の大いなる調理法は、素材の良さに溺れ、実は大いなる倦怠の中にあるのかもしれん。むむむ。

一皿一皿に、「美味いものを、もっと美味いもの」をという、求道的なものを感じるのである。詳細省くが、もちろん、ワインとチーズも大変すばらしかった。といっても、堅苦しくはなく、しっかりくつろげる空間なのは不思議。酒の力か何なのか。

7月に生まれた子供の写真をにこやかに紹介しながら、

「ここは、ウチの妻も気に入ってる店でね。キャバ嬢なら、この数ランク下の店でも楽しんでくれると思う。でも、今日は坂本さんをつれてきたかったんだよ。わかると思ってさ!」

などとのたまうY氏。心憎い。

「私は勉強頑張ったから、今更子供が勉強できないとか、かんがえられない~」

などと、子供の教育などについて語っている隣のテーブルの女性たち(といってもそれがしくらいだろうな)の会話は、いささか興ざめだがまあご愛嬌。

美味さと、酔いと、しびれと、そこはかとない敗北感。

今度はY氏を接待したおしたいものだ、などと感じたある夜の一コマ。とはいえ、数年たった今でも、Y氏をもてなせるような身分には一切なっておらず、忸怩たるものを抑えきれない今日この頃なんであった。


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