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挽歌、NESSUN DORMA [新宿]

ゴールデン街の馴染みのバー、NESSUN DORMA、いわゆるドルマが閉店した。
営業丸10年を目前の、この年末。

夏くらいから閉店のウワサは流れていたが、概ね客で賑わっていて営業上は問題なかろうし、酒場街あるあるのゴシップだろうと思い、気にもしていなかった。しかし、この12月の下旬に訪れたとき、カウンター越しに、店長の堀正幸(MASA)氏から、直接、閉店の話を聞いた。

なんと。

店長のMASA氏は、僕が飲み始めた15年くらい前、同じくゴールデン街の『流民』で、深夜働いていた。役者として芝居などで活躍する一方、正直めんどくさいほど愚直に、筋金入りにゴールデン街を愛している漢であり、年が近いのもあって、なんとなく意気投合。そんな彼がとうとう店長としてバーを出店したのである。

ゴールデン街の一番街と三番街をぶち抜いた一階の店内、今でこそ、新宿ゴールデン街は外国人観光客が増え、若い人たちも来るようになったが、今思えば、ドルマが開店した当初はその黎明期だったのかもしれない。

会員制の店も少なくない中、ドルマは常にオープンな店であり続けた。広い店内に積極的に外国人を入れる一方、20代前半くらいの若い人たちも飲みに来る店。ゴールデン街の他の店だと、居合わせた客の中で僕が最年少になることが多かったが、ドルマでは僕が最年長になることも少なくなかった。また、お客だけではなく、店員にも若い人を積極的に採用していた。

そこで出会った老若男女日本人外国人は数知れない。職種やら国籍やら人種やら年齢やら性別やら何やらの属性を超え、皆一人の酔客として、酒を飲み、くだらない話にうつつを抜かしていた。あるときはお習字で遊んだり、あるときはMASA氏イチ推しの渡辺美里を皆で歌ったり、あるときはカウンターの隅で芽生えそうな恋に歯ぎしりをしたり、あるときは泥酔して力尽きてしまったり。

時代が変わり、訪れる人たちの趣味や嗜好や年齢も変わる中、酒場は、酒場街は、ゴールデン街はいかにあるべきなのだろうか、MASA氏は、真摯に考え続けていたのだと思う。ドルマは、MASA氏の考える新宿ゴールデン街の在り方を試行錯誤する、実験場だったと僕は断じたい。

幸いなことに、その実験は成功したのではなかろうか。
それも、ドルマという一店舗を超えた、街の在り方として。

平成が終わり、令和。ゴールデン街には日々国内外の多くの人が訪れる。ドルマが閉店したとしても、今ゴールデン街がなんらかの魅力を人々に対して持っているとすれば、その魅力を作ることに、MASA氏が貢献してきたのは間違いないと僕は思う。

ドルマが閉店する理由や経緯を、根掘り葉掘り詮索するような野暮なマネはしたくない。ドルマがなくなった、その事実だけがあればいい。そして、MASA氏は依然としてMASA氏としてあり続けている。今は、その喪失を嘆くよりも、そこで出会った人々、交わした会話、そして素敵な場所としてのNESSUN DORMAの思い出を、自分の人生の一ページとして、大事にしたいのである。



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勝手な感情移入、明智光秀 [歴史]

戦国武将の中でも、明智光秀には、なぜか、結構魅かれるのである。

日本史上屈指の裏切り劇である「本能寺の変」の立役者。その直後に羽柴秀吉に惨敗し、敗走中のところを土民に殺される、あまりにあっけない最期。そこには、覇気あふれる野心家の挫折というより、出世の頂点にありながら初老を迎えた男の疲労と倦怠を感じてしまう。

最近では研究が進んでいるのかもしれないが、明智光秀の前半生は、どうも、ほとんどわかっていないらしい。

信長に仕える直前は、越前の朝倉家に仕え、そこに寄宿していた足利義昭配下、細川藤孝と親交を持ったことが窺える。細川との親交のきっかけは、連歌等の社交や教養によるものだそうだ。当代一の教養人である細川藤孝と親交を結べる当たり、只者ではない片鱗こそうかがえるが、あくまで、朝倉家の一被官に過ぎない。サラリーマンなら、平社員か、主任といったところか。

そして、信長による義昭庇護に伴い、光秀も織田家へ。当初は義昭と信長の両方の家臣扱いだったのが、いつしか信長の家臣となる。生年は不詳だが、様々な説によれば、このとき光秀は40歳くらいだったらしい。譜代でもなんでもない、まさに中途採用だ。

そこから約15年。曲折を経つつも、光秀は天下統一を進める織田家の最高幹部の一人にのし上がる。近江・丹波を中心に所領を構え、近畿の武将を与力として傘下に置いたその立場は、研究者によれば、「近畿管領」「近畿軍管区司令官」としての扱い。柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益らとならぶ、方面軍団長だ。それは、急成長の結果日本最大となった大企業における、取締役にも匹敵する立場だったに違いない。朝倉家の一被官とは雲泥の差だ。

細川藤孝の知己を得られるほどの教養と才気、信長に愛された折衝力や軍事的才覚に加え、今なお丹波地方で称徳されているように、光秀は、民政においても卓抜した手腕を示していた。

そんな順風満帆なはずの明智光秀が起こした暴挙、本能寺の変。信長弑逆。

遺恨・怨恨、野心、陰謀、様々な背景が語られる。そのいずれにも、それなりの理由はあるのだと思う。ただ、個人的には、コップに水が一滴一滴注がれて、表面張力いっぱいのところに落ちた不意の一滴が、無防備な信長だったのではないかと思ってしまう。

40歳過ぎた外様の家臣である明智光秀にとって、織田家は、そして信長は雄飛の機会を与えてくれた大恩ある存在だ。ただ、近畿管領とまで言われる権勢を誇る光秀も、本能寺の変のときには50歳半ば。当時としては隠居を考えてもおかしくはない年ごろだ。もっとも、光秀も隠居はできなかったろうし、信長も許しはしなかったろう。

端的に言えば、光秀は、疲れ果てていたのではないかと思うのである。先述のとおり光秀の前半生は不明だが、その知識や教養が評価されたことから、少なくとも幼少期までは、それなりの富裕層で、文化資本のしっかりした家で育てられたのだと思う。つまり、その時代における出世や振る舞い方について、ある程度の型をもっていたに違いない。

ところが、信長の人の使い方は、その型をどんどん破っていくスタイルだ。譜代の家臣である佐久間信盛や林通勝を追放したと思えば、秀吉や滝川一益など、実績を作った家臣を抜擢していく。皮肉なことに、光秀もその型を破ったスタイルのゆえに登用され、出世の街道を邁進した。

しかし、自分が年を取るにつれ、身に着けたある種の人生の型とそれが壊されていく現実に寂しさを覚えたのではなかろうか。そして、自分が信長の切り開く新しい時代にいるべき人間なのかどうか、自問し、焦燥を感じていたのではなかろうか。

そして、過去の人生の型の中であれば隠居でもして悠々と余生を送る年ごろになって、まだ、秀吉や柴田勝家らと競争を続けなければならない現状に、日々、しんどくなっていったのではなかろうか。そして、しんどさとともに、様々な信長による様々なイジリによる屈辱などが思い出され、その一方で、信長に従うことで今の地位を得てきた自分を振り返り、こんがらがった感情の中にいたのではないか。

そんな、こんがらがった感情からどうすれば逃れられるか煩悶しつつも、光秀は、日々の仕事を着実にこなしていったに違いない。そして、あるとき、万を超える軍勢を率いていた光秀に、本能寺に宿泊する信長の情報が入る。

あ。

表面張力ギリギリに張りつめていたに違いない光秀の心の器から、水が一滴、こぼれたのだと思う。あとは、一瀉千里だ。本能寺奇襲、信長の横死、秀吉の中国大返し、山崎合戦の敗北、そして敗走中に土民に殺されて終わる生涯。

才覚や教養に恵まれるも前半生を平凡に過ごし、信長と出会い、その天下統一を支えて破格の出世を果たし、そのこと自体が自分の勝手知ったる世界の型を一新していく。そして、その新しい世界に自分がいられないかもしれない焦り、ついていけないと感じてしまう疲労と倦怠。そんな、時代の狭間でもがき苦しむ人間としての明智光秀を、僕はどうも好ましく思ってしまう。

まあ、このような光秀像は、小説なりなんなりで見た僕なりの光秀像だし、それだって、研究が進めばきっと大きく変わってしまうのかもしれないが。

さて奇しくも、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀の生涯がテーマとのこと。ドラマは見ないけど、どんな光秀像か、なんとはなしに楽しみにしてしまう年末のある日なのである。

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【読書】問題は、デフレではなく、賃金デフレ? [読書]

『日本の景気は賃金が決める』(吉本佳生)が面白かった。

日本の経済的停滞の開始を1998年に求め、その背景を、一般的な物価下落であるデフレではなく、賃金上昇が無い状態である賃金デフレに求めており、そこからの脱却を訴えている。各省庁の白書や公的統計を丹念に読みこんだ結果である地に足の着いた経済情勢分析と、賃金デフレへの対策が非常にロジカルに組み合わさっているのがとても印象的だった。

筆者によれば、まず、日本経済の最大の課題は需要不足である。需要不足を解決するには、企業の成長力よりもまず、GDPの6割を占める民間個人消費を増やさなければならない。個人消費を増やすには、国民所得の7割を占める労働者の賃金をあげなければならない。そして労働者の中でも、特に消費性向の高い世帯の賃金が上がるような施策を打たねばならない。すなわち、低賃金層の給与を上げる必要がある。

ところが、賃金が一向に上がってこない。賃金デフレである。

賃金デフレの背景にあるのは、日本における賃金格差だ。筆者は、低賃金労働者の特徴を「女・小・非・短」の4つにまとめている。すなわち、女性、中小企業、非正規雇用、短期就業の4つ。ちなみにこの逆が、男性、大企業、正規雇用、長期就業の「男・大・正・長」である。この、性別、企業規模、雇用形態、同じ会社での就業期間という4つの切り口で見る賃金格差が、日本では甚だしい。

しかも、低賃金労働者の賃金は上がらず、高所得者の賃金や所得は増え続け、格差は拡大している状態。これでは個人消費は伸びず、不況からの脱却は難しい。

どうするか。

筆者の主張の面白いのは、まず、安易な再分配に頼らないことだ。所得税の累進性強化や相続税の増税による所得の再分配は、言うまでも無く富裕層の国外流出をもたらす可能性が高い。急速な最低賃金の引き上げも、かえって雇用を減らす効果になりかねない。これは経済にとって良くない。

また、この本の書かれた頃(2012年ころ)はまだ新鮮だった安倍総理の経済政策、すなわちアベノミクスの微調整を求めていることもユニークだ。もちろん筆者も、金融緩和や財政政策、企業の成長戦略を頭ごなしに否定しはしない。

ただ、2000年代半ばの日本の金融緩和による資金が、日本国内の賃金や資産や不動産に向かわずに海外の資源取引に向かったことで国際的に資源価格が高騰し、結果日本国内の輸入物価を押し上げてしまった。また、いわゆる2%の物価上昇の目標にしても、スタグフレーションの可能性も触れつつ、輸入価格の高騰なども含め、物価が上がるだけでは経済がよくならない点も指摘しており、アベノミクスそのままのやり方には懸念を隠そうとしない。

では、賃金デフレを退治するためにどうすべきか。

筆者は、まず先ほどの低賃金層が多い、つまり消費性向も高い、「女・小・非・短」の4つのカテゴリーが多く就業する業態を指摘する。つまり、サービス業、特に飲食・宿泊だ。彼らの賃金が持続的に上昇すれば、賃金デフレを退治できる可能性が高まる。そのためには、サービス業が栄えるよう政策的に誘導すべきとなる。

サービス業が繁栄するには、人口集積が必要だ。つまり、大都市圏への人口集中をさらに進めるべきとなる。そこで必要になるのが、不動産投資の強化や、都市インフラ拡充のためのさらなる公共事業なのである。

このように、金融緩和による資金を都市インフラ拡充や不動産投資に充てて都市への人口集積を促し、それによってサービス業を中心に産業を発展させ、比較的低賃金労働者が多いサービス業雇用者を中心に賃金を上昇させることで賃金デフレから脱却し、個人消費を増やして景気を回復させましょうというのが、本書を通じた筆者の大まかな主張である。

ついでに言えば、筆者の目線はつねに日本経済全体をいかに不況から脱却させるか否かのみにあるのも、個人的に好感が持てる。それ以外の視点、例えば、低賃金労働者の労働意欲や自助努力の問題、都市インフラ優先における地方切り捨ての問題など、経済政策になんらかの倫理的な視点を入れていないのである。

筆者の唱える経済政策が唯一の正しい処方箋かどうかを判断するには、僕には経済学的知見が足りない。ただ、昨今の政策担当者や、政治家が語る経済政策よりは、ロジカルだし頭には入ってくるんである。我ながら、さらなる勉強は必要なんだろう。

さて、アベノミクスから約七年。

雇用などの経済は少しはマシになったとはいえ、賃金の格差や賃金デフレは依然続いているし、その上さらなる消費増税。この状況下で、本格的な景気回復を実感している日本人はほとんどいないだろう。筆者の予見は、ある程度は的中してしまっている。

かつて明治のジャーナリスト池辺三山は、「立憲国の政治家に不可欠な素養は経済財政である」旨、主張した。また、湾岸戦争で勝利し高い支持率を維持していたはずの現職ブッシュ大統領(父)を破ったクリントン陣営のキャッチは、「It's the economy, stupid」である。

スキャンダル追及もいいだろう、安全保障政策も大切である。ただ、国民をどう豊かにするのか、いや、外国と比べても、豊かになれる可能性のある国民経済をどうして停滞させたままにしておくのか、現代の選良たちの責任は重いのではないかとは思う。

経済成長を軌道に乗せる道筋をキチンと語る政治家が必要な昨今であることを、改めて痛感するのである。

≪amazon≫
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%99%AF%E6%B0%97%E3%81%AF%E8%B3%83%E9%87%91%E3%81%8C%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%90%89%E6%9C%AC-%E4%BD%B3%E7%94%9F/dp/4062882051

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冷や飯礼賛、弁当は常温でこそ。 [食べ物系]

中国メディアによれば、中国人は日本の駅弁の魅力を認めつつも、それが冷めているがために食べたいとは思えないと考える人が多いとのことである。

【参考記事】
https://news.livedoor.com/article/detail/17525670/

まあ確かに、前菜の冷菜を除き、中華料理は熱々だし、たっぷりとした皿に盛られてくるし、見た目の満足感も大きい。また、繁華街の屋台の食事も、熱々のどんぶりに麺やら粥やら汁やらがぶち込まれていて湯気立つシーンが想像できる。美味そうだ。

ただ、個人的な好みとして、駅弁は、いや、もっと言えば弁当全般は、あくまでも凛として、常温に冷めても美味しくあってほしいのである。

だから、フライや天ぷらなどの揚げ物、のり弁とかで一切れ入っているのは仕方ないが、その比率が高いの揚げ物だらけはいただけない。また、脂が多い肉を多用したために、肉の周りが白く固まっているのはわろし。麺類なども、冷めてくっついてしまうので、あまり好ましいとは言えまい。

やはり、軽くごま塩がふってあり、中央に固めの梅干しが乗っている、ひんやりとした白飯のほのかな甘みとコクを嗜むのが王道だと思う。おかずとしては、フキをはじめ野菜の煮たヤツや、ブリとか鶏肉とかの照り焼き、お新香などがオーソドックスでよい。釜めしなどの炊き込みご飯系も、冷めてもしっかり味が付いていて知恵を感じる。

おかずではないが、鯖の押し寿司などの寿司系は、当然ながら冷めてなお美味し。ちょっと特殊なところでは、崎陽軒のシウマイ、貝柱の風味がほのかに、温めずとも美味い逸品。そういえば、シウマイなんて元々中華料理の点心ではないか。

まあ、今ではコンビニ弁当は温めるのが主流だし、牛タン弁当などをはじめ、紐を引っ張って温めるタイプの弁当もいろいろある。温めたい人には温めたい人なりの配慮があるのがこのご時世。とはいえ、冷めてもなお美味い弁当が当たり前であり続けることを、ひそかに望んでしまう今日この頃なんである。



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『マハン海上権力論集』~シーパワー、アメリカ、中国~ [読書]

『マハン海上権力論集』(麻田貞雄訳・編講談社 学術文庫)読了。

19世紀末、海上通商路の発展を包摂する海上権力(シー・パワー)の概念を提唱した著作で、後の海軍戦略理論に大きな影響を与えた、マハンのダイジェスト。日本海海戦の作戦立案で名高い秋山真之が滞米中にマハンに師事したことなんかは、有名かもしれない。

一読した限り、軍事力を中心とするパワーポリティクスの正統的な後継であり、また、米国国権拡張のための海軍の充実を強く訴える内容。

当時のアメリカは、ようやく太平洋岸まで領土が達したところ。また、南北アメリカ大陸への不干渉を欧州に対して主張する「モンロー主義」の影響の中、海を越えて国権を拡張させる政策に、米国内ではまだまだ反論も大きい状況だった。

つまり、19世紀末、アメリカは現在のような大国ではなかったのだ。

そんな現状に、マハンは果敢に挑戦する。切削進むパナマ運河への影響力保持や、ハワイへの進出などを著作の中で提言。その考え方の多く、特に太平洋への勢力拡大は、海軍に造詣の深いセオドア・ルーズベルト大統領の政策に採用され、曲折を経つつも米国の国是の一つとなる。

歴史にifは無いとはいえ、マハンの提言が無かったら、また、もしマハンの提言を米国政府が採用しなかったら、と考えるのは興味深い。

おそらく米国は、カリブ海やメキシコ湾を勢力圏とするローカルな大国のままで現代を迎え、中国大陸を巡り日本と利害を衝突させることはなかったろう。

マハンの議論で他に興味深いのは、日本や中国といった非キリスト教文明への懸念である。彼の懸念は、半世紀後に太平洋戦争として、そして一世紀を超えて、中国の台頭として的中する。

さて、21世紀。東シナ海、日本海において、中国は、マハン流海上権力政策の正当な後継者と言えるだろう。それらの海を超えて、太平洋をどうしたいのか。中華帝国の再来を目指す中国共産党政権の、識見が問われる今日この頃。

マハンが生きていたら、国際政治の中心が太平洋に移りつつあるこのご時世をどう解釈するだろうかと、だらだら想像してみるのである。


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