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勝手な感情移入、明智光秀 [歴史]

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戦国武将の中でも、明智光秀には、なぜか、結構魅かれるのである。

日本史上屈指の裏切り劇である「本能寺の変」の立役者。その直後に羽柴秀吉に惨敗し、敗走中のところを土民に殺される、あまりにあっけない最期。そこには、覇気あふれる野心家の挫折というより、出世の頂点にありながら初老を迎えた男の疲労と倦怠を感じてしまう。

最近では研究が進んでいるのかもしれないが、明智光秀の前半生は、どうも、ほとんどわかっていないらしい。

信長に仕える直前は、越前の朝倉家に仕え、そこに寄宿していた足利義昭配下、細川藤孝と親交を持ったことが窺える。細川との親交のきっかけは、連歌等の社交や教養によるものだそうだ。当代一の教養人である細川藤孝と親交を結べる当たり、只者ではない片鱗こそうかがえるが、あくまで、朝倉家の一被官に過ぎない。サラリーマンなら、平社員か、主任といったところか。

そして、信長による義昭庇護に伴い、光秀も織田家へ。当初は義昭と信長の両方の家臣扱いだったのが、いつしか信長の家臣となる。生年は不詳だが、様々な説によれば、このとき光秀は40歳くらいだったらしい。譜代でもなんでもない、まさに中途採用だ。

そこから約15年。曲折を経つつも、光秀は天下統一を進める織田家の最高幹部の一人にのし上がる。近江・丹波を中心に所領を構え、近畿の武将を与力として傘下に置いたその立場は、研究者によれば、「近畿管領」「近畿軍管区司令官」としての扱い。柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益らとならぶ、方面軍団長だ。それは、急成長の結果日本最大となった大企業における、取締役にも匹敵する立場だったに違いない。朝倉家の一被官とは雲泥の差だ。

細川藤孝の知己を得られるほどの教養と才気、信長に愛された折衝力や軍事的才覚に加え、今なお丹波地方で称徳されているように、光秀は、民政においても卓抜した手腕を示していた。

そんな順風満帆なはずの明智光秀が起こした暴挙、本能寺の変。信長弑逆。

遺恨・怨恨、野心、陰謀、様々な背景が語られる。そのいずれにも、それなりの理由はあるのだと思う。ただ、個人的には、コップに水が一滴一滴注がれて、表面張力いっぱいのところに落ちた不意の一滴が、無防備な信長だったのではないかと思ってしまう。

40歳過ぎた外様の家臣である明智光秀にとって、織田家は、そして信長は雄飛の機会を与えてくれた大恩ある存在だ。ただ、近畿管領とまで言われる権勢を誇る光秀も、本能寺の変のときには50歳半ば。当時としては隠居を考えてもおかしくはない年ごろだ。もっとも、光秀も隠居はできなかったろうし、信長も許しはしなかったろう。

端的に言えば、光秀は、疲れ果てていたのではないかと思うのである。先述のとおり光秀の前半生は不明だが、その知識や教養が評価されたことから、少なくとも幼少期までは、それなりの富裕層で、文化資本のしっかりした家で育てられたのだと思う。つまり、その時代における出世や振る舞い方について、ある程度の型をもっていたに違いない。

ところが、信長の人の使い方は、その型をどんどん破っていくスタイルだ。譜代の家臣である佐久間信盛や林通勝を追放したと思えば、秀吉や滝川一益など、実績を作った家臣を抜擢していく。皮肉なことに、光秀もその型を破ったスタイルのゆえに登用され、出世の街道を邁進した。

しかし、自分が年を取るにつれ、身に着けたある種の人生の型とそれが壊されていく現実に寂しさを覚えたのではなかろうか。そして、自分が信長の切り開く新しい時代にいるべき人間なのかどうか、自問し、焦燥を感じていたのではなかろうか。

そして、過去の人生の型の中であれば隠居でもして悠々と余生を送る年ごろになって、まだ、秀吉や柴田勝家らと競争を続けなければならない現状に、日々、しんどくなっていったのではなかろうか。そして、しんどさとともに、様々な信長による様々なイジリによる屈辱などが思い出され、その一方で、信長に従うことで今の地位を得てきた自分を振り返り、こんがらがった感情の中にいたのではないか。

そんな、こんがらがった感情からどうすれば逃れられるか煩悶しつつも、光秀は、日々の仕事を着実にこなしていったに違いない。そして、あるとき、万を超える軍勢を率いていた光秀に、本能寺に宿泊する信長の情報が入る。

あ。

表面張力ギリギリに張りつめていたに違いない光秀の心の器から、水が一滴、こぼれたのだと思う。あとは、一瀉千里だ。本能寺奇襲、信長の横死、秀吉の中国大返し、山崎合戦の敗北、そして敗走中に土民に殺されて終わる生涯。

才覚や教養に恵まれるも前半生を平凡に過ごし、信長と出会い、その天下統一を支えて破格の出世を果たし、そのこと自体が自分の勝手知ったる世界の型を一新していく。そして、その新しい世界に自分がいられないかもしれない焦り、ついていけないと感じてしまう疲労と倦怠。そんな、時代の狭間でもがき苦しむ人間としての明智光秀を、僕はどうも好ましく思ってしまう。

まあ、このような光秀像は、小説なりなんなりで見た僕なりの光秀像だし、それだって、研究が進めばきっと大きく変わってしまうのかもしれないが。

さて奇しくも、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀の生涯がテーマとのこと。ドラマは見ないけど、どんな光秀像か、なんとはなしに楽しみにしてしまう年末のある日なのである。



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