好きな競走馬、グラスワンダー [競馬・ウマ娘]
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グラスワンダーも、好きな競走馬の一頭だ。
競争成績は15戦9勝。主な勝鞍は、97年朝日杯三歳ステークス、98年有馬記念、99年宝塚記念・有馬記念で、G1級競争を4勝した名馬なんである。
初めて意識したのは、97年も末の朝日杯三歳ステークスのとき。それまで三戦三勝、しかも各レース圧勝だったグラスワンダーは、当然のように圧倒的な一番人気となる。結果、人気に応えて快勝。しかも勝ちタイム1分33秒6はレースレコードだ。こいつは凄いのが現れた、、、文字通り度肝を抜かれてしまった。
当時は外国産馬がクラシックや天皇賞に出られなかったため出走レースこそ限られるものの、四歳(馬齢は旧表記。以下同じ)になってどこまで連勝を伸ばすのか、グラスワンダーは、ワクワクが止まらない一頭になった。
ところが、そのワクワクはあっさりと腰を折られる。骨折。98年春、グラスワンダーは全休を強いられたのである。
しかしグラスワンダーのいない春競馬、特に、後に黄金世代と言われる同世代の四歳馬は多士済々だった。米欧の良血の結晶であるキングヘイロー、皐月賞をまんまと逃げきったセイウンスカイ、武豊にはじめてのダービー勝利をもたらしたスペシャルウィーク、さらに、グラスワンダーと同じ的場均を鞍上に、NHKマイルカップを無敗で制したエルコンドルパサー。いずれも後のG1戦線で活躍した名馬である。
ここにグラスワンダーがいれば、どんなレースをしただろう、そんな想像に駆られるのはもはやどうしようもなかった。
引退の不安がかすかに脳裏をかすめたものの、春、夏を超え、グラスワンダーは、ターフに帰ってきた。復帰戦は、毎日王冠G2。骨折明けのグラスワンダーを待っていたのは、歓迎ムードとは程遠い、強力極まりないライバル2頭だ。一頭は、逃げの才能を完全に開花させたサイレンススズカ、そしてもう一頭は、エルコンドルパサーである。
的場均は計り知れない苦衷の末、エルコンドルパサーではなく、グラスワンダーへの騎乗を選択した。これで僕の心は決まった。グラスワンダーなのである。
府中の東京競馬場にこのレースを見に行ったことは、20年以上経った今でもよく覚えている。G1かと見まごうばかりの大観衆。その目は、ただ三頭に注がれていた。僕の目にはグラスワンダーの栗毛が初秋に輝く。軽快に逃げるサイレンススズカを最終コーナーでとらえようとするエルコンドルパサー、そしてグラスワンダー。思わず、「スズカをつぶせ!!」と絶叫する。
そんな絶叫をあざ笑うかのように、サイレンススズカは、完璧としか言いようがない逃げ切り勝利を決めてみせた。二着にはエルコンドルパサーがどうにか。グラスワンダーは、離れた五着だった。次走のアルゼンチン共和国杯でも振るわず、六着。朝日杯で感じたワクワクは、どこへ行ってしまったのか。
その後、サイレンススズカは天皇賞秋で非業の死を遂げ、菊花賞ではセイウンスカイがレコードで逃げ切り、ジャパンカップはエルコンドルパサーがスペシャルウィークらの強豪を抑えて一着、グラスワンダーは、人々の話題から消え去ろうとしていた。
そして年末のグランプリ有馬記念。
僕の興味は、二冠馬セイウンスカイと、春の天皇賞馬メジロブライトとの対決。毎日王冠で熱狂したグラスワンダーは、もはや早熟馬に過ぎないと割り切っていた。ところがだ。このグランプリ、グラスワンダーはメジロブライトの追撃を振り切り先頭でゴールを駆け抜ける。
おおお!!心がざわついた。グラスワンダーの実力を疑った自分を恥じたのは、言うまでもない。
明けて99年。古馬になったグラスワンダーは、まさしく死闘と呼ぶにふさわしい戦歴を積み上げていった。京王杯スプリングカップを勝ったのち、安田記念はエアジハードに差され惜しくも二着。そして春のグランプリ宝塚記念を迎える。
相手は、春の天皇賞を完勝し、充実一途のスペシャルウィークだ。まさに両雄。レースは、早めに抜け出したスペシャルウィークを、直後でマークしていたグラスワンダーが直線でキレイに抜き去った。余りにも鮮やかな勝ちっぷり。
そして秋。グラスワンダーは初戦の毎日王冠を辛勝するが、かたやスペシャルウィーク、京都大賞典こそ惨敗するものの、秋の天皇賞に続き、ジャパンカップでは凱旋門賞馬モンジューを捻じ伏せて連勝。春以上の充実ぶりを見せる。そして、再度両雄並ぶ年末のグランプリ有馬記念。
宝塚記念を徹底研究したであろう武豊騎乗のスペシャルウィークは、後方からグラスワンダーを見る形に。最後のカーブを曲がって直線に入ったところで先頭に立つグラスワンダー、そして坂を駆け上がり襲いかかるスペシャルウィーク。粘り込むグラスワンダー。
ゴール地点、足色の勢いや体勢はスペシャルウィーク優勢に違いなかった。しかし、写真判定の結果、グラスワンダーが、鼻差、凌いでいた。有馬記念連覇達成である。三着はテイエムオペラオー。馬、騎手、そして関係者が死力を尽くして戦った結果がそこにあった。
有馬記念でスペシャルウィークは引退。翌2000年、グラスワンダーは3戦するが、いずれも勝てずに引退することになった。主役は変わり、2000年はテイエムオペラオーが席捲することになる。
三歳時の圧倒的な才能、四歳時の挫折と復活、五歳時の死闘、そして終焉と主役の交代。
グラスワンダーの競争生活からは、濃厚なドラマの薫りが立ちのぼってくる。それを醸し出したのは、自身の競走馬としての才能であり、主戦騎手の的場均の騎乗であり、調教師はじめ関係者の努力であり、そしてライバル馬とその関係者たちなのだろう。
あれから時は流れ、日々の記憶は薄れていく。しかし、グラスワンダーの思い出は、未だ褪せないままなのである。
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グラスワンダーも、好きな競走馬の一頭だ。
競争成績は15戦9勝。主な勝鞍は、97年朝日杯三歳ステークス、98年有馬記念、99年宝塚記念・有馬記念で、G1級競争を4勝した名馬なんである。
初めて意識したのは、97年も末の朝日杯三歳ステークスのとき。それまで三戦三勝、しかも各レース圧勝だったグラスワンダーは、当然のように圧倒的な一番人気となる。結果、人気に応えて快勝。しかも勝ちタイム1分33秒6はレースレコードだ。こいつは凄いのが現れた、、、文字通り度肝を抜かれてしまった。
当時は外国産馬がクラシックや天皇賞に出られなかったため出走レースこそ限られるものの、四歳(馬齢は旧表記。以下同じ)になってどこまで連勝を伸ばすのか、グラスワンダーは、ワクワクが止まらない一頭になった。
ところが、そのワクワクはあっさりと腰を折られる。骨折。98年春、グラスワンダーは全休を強いられたのである。
しかしグラスワンダーのいない春競馬、特に、後に黄金世代と言われる同世代の四歳馬は多士済々だった。米欧の良血の結晶であるキングヘイロー、皐月賞をまんまと逃げきったセイウンスカイ、武豊にはじめてのダービー勝利をもたらしたスペシャルウィーク、さらに、グラスワンダーと同じ的場均を鞍上に、NHKマイルカップを無敗で制したエルコンドルパサー。いずれも後のG1戦線で活躍した名馬である。
ここにグラスワンダーがいれば、どんなレースをしただろう、そんな想像に駆られるのはもはやどうしようもなかった。
引退の不安がかすかに脳裏をかすめたものの、春、夏を超え、グラスワンダーは、ターフに帰ってきた。復帰戦は、毎日王冠G2。骨折明けのグラスワンダーを待っていたのは、歓迎ムードとは程遠い、強力極まりないライバル2頭だ。一頭は、逃げの才能を完全に開花させたサイレンススズカ、そしてもう一頭は、エルコンドルパサーである。
的場均は計り知れない苦衷の末、エルコンドルパサーではなく、グラスワンダーへの騎乗を選択した。これで僕の心は決まった。グラスワンダーなのである。
府中の東京競馬場にこのレースを見に行ったことは、20年以上経った今でもよく覚えている。G1かと見まごうばかりの大観衆。その目は、ただ三頭に注がれていた。僕の目にはグラスワンダーの栗毛が初秋に輝く。軽快に逃げるサイレンススズカを最終コーナーでとらえようとするエルコンドルパサー、そしてグラスワンダー。思わず、「スズカをつぶせ!!」と絶叫する。
そんな絶叫をあざ笑うかのように、サイレンススズカは、完璧としか言いようがない逃げ切り勝利を決めてみせた。二着にはエルコンドルパサーがどうにか。グラスワンダーは、離れた五着だった。次走のアルゼンチン共和国杯でも振るわず、六着。朝日杯で感じたワクワクは、どこへ行ってしまったのか。
その後、サイレンススズカは天皇賞秋で非業の死を遂げ、菊花賞ではセイウンスカイがレコードで逃げ切り、ジャパンカップはエルコンドルパサーがスペシャルウィークらの強豪を抑えて一着、グラスワンダーは、人々の話題から消え去ろうとしていた。
そして年末のグランプリ有馬記念。
僕の興味は、二冠馬セイウンスカイと、春の天皇賞馬メジロブライトとの対決。毎日王冠で熱狂したグラスワンダーは、もはや早熟馬に過ぎないと割り切っていた。ところがだ。このグランプリ、グラスワンダーはメジロブライトの追撃を振り切り先頭でゴールを駆け抜ける。
おおお!!心がざわついた。グラスワンダーの実力を疑った自分を恥じたのは、言うまでもない。
明けて99年。古馬になったグラスワンダーは、まさしく死闘と呼ぶにふさわしい戦歴を積み上げていった。京王杯スプリングカップを勝ったのち、安田記念はエアジハードに差され惜しくも二着。そして春のグランプリ宝塚記念を迎える。
相手は、春の天皇賞を完勝し、充実一途のスペシャルウィークだ。まさに両雄。レースは、早めに抜け出したスペシャルウィークを、直後でマークしていたグラスワンダーが直線でキレイに抜き去った。余りにも鮮やかな勝ちっぷり。
そして秋。グラスワンダーは初戦の毎日王冠を辛勝するが、かたやスペシャルウィーク、京都大賞典こそ惨敗するものの、秋の天皇賞に続き、ジャパンカップでは凱旋門賞馬モンジューを捻じ伏せて連勝。春以上の充実ぶりを見せる。そして、再度両雄並ぶ年末のグランプリ有馬記念。
宝塚記念を徹底研究したであろう武豊騎乗のスペシャルウィークは、後方からグラスワンダーを見る形に。最後のカーブを曲がって直線に入ったところで先頭に立つグラスワンダー、そして坂を駆け上がり襲いかかるスペシャルウィーク。粘り込むグラスワンダー。
ゴール地点、足色の勢いや体勢はスペシャルウィーク優勢に違いなかった。しかし、写真判定の結果、グラスワンダーが、鼻差、凌いでいた。有馬記念連覇達成である。三着はテイエムオペラオー。馬、騎手、そして関係者が死力を尽くして戦った結果がそこにあった。
有馬記念でスペシャルウィークは引退。翌2000年、グラスワンダーは3戦するが、いずれも勝てずに引退することになった。主役は変わり、2000年はテイエムオペラオーが席捲することになる。
三歳時の圧倒的な才能、四歳時の挫折と復活、五歳時の死闘、そして終焉と主役の交代。
グラスワンダーの競争生活からは、濃厚なドラマの薫りが立ちのぼってくる。それを醸し出したのは、自身の競走馬としての才能であり、主戦騎手の的場均の騎乗であり、調教師はじめ関係者の努力であり、そしてライバル馬とその関係者たちなのだろう。
あれから時は流れ、日々の記憶は薄れていく。しかし、グラスワンダーの思い出は、未だ褪せないままなのである。
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2021-05-01 00:55
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