SSブログ

通じない、コマ劇 [新宿]

新宿コマ劇場が無くなって、13年ほど経つらしい。

どおりで、新宿で人と話していて、「コマ劇裏の〇〇」とか「コマ劇横にあった××」とかの会話があまり通じなくなっているはずだ。コマ劇場を見たことの無い世代が着実に増えているんである。

靖国通りから歌舞伎町の大通りをまっすぐ入って突き当り。20年以上前、僕が東京に出てきたころは、コマ劇は、歌舞伎町のまさしく正門に鎮座していた。

北島三郎をはじめとする様々な演歌興行を筆頭に、松平健のマツケンサンバやら何やらの催し物が相次ぎ、書き割りや垂れ幕が輝くにぎにぎしい空間。隣接していた東宝ビルにはグランドキャバレークラブハイツがあって、広い店内、ゆったりした客席、生バンドにホステスさんの接客。その他もろもろ。

そこは、昭和から平成にかけての、ある遊びの形があった場所だと思う。

平成も半ばを過ぎるころには、確実に、人々の遊びの形が変わってきたのだろう。老朽化と収益性の低下により、コマ劇場は解体され、建て替えられる。

正直、コマ劇場で観劇したことはなく、中に入ったことは無い。無いのだが、歌舞伎町にちょくちょく来ていた身に過ぎない自分でも、シンボルが亡くなったような、何とはなしの寂しさを感じずにはいられなかったんである。

今は、「TOHOシネマズ新宿」「ホテルグレイスリー新宿」などが建ち、付近は、通称でゴジラビルなどと言われているようだ。最新の映画を軸に、人々は相変わらずその場所に集っている。人の姿も心も変わり、失ったものはすぐ別のもので埋め合わされる。

大げさに言えば、人が生きていくとは、きっとそうした喪失と埋め合わせの新陳代謝の繰り返しなのに違いない。とはいえ、いくら埋め合わせがあろうとも、失われたものと全く同じものが帰ってくることは、決してない。

今は無きコマ劇場にちょいと思いを馳せながら、遅かれ早かれ失われていくであろう目の前の人であり空気であり物事たちを、ほんの少しだけ大事にしてみようかと思ってみる今日この頃なんである。

nice!(0)  コメント(0) 

スンガリー、ブリヌイ、いつの日か [新宿]

新宿のスンガリーと言えば、言わずと知れたロシア料理の名店だろう。

初めて行ったのはいつだったか。20年近く前だったはずだが、覚えていない。西武新宿前の店も、スバルビルの店もどちらも訪れたことがあるし、スバルビルから移った三丁目店にも顔を出したことがある。とはいえ訪れるのは、1~2年に1度くらいだろうか。

独り、豚の脂身の塩漬けを肴にウオッカをあおったこともあるし、仲の良い友人知人とさし飲みでグルジアワインとロシアンティーを嗜んだこともある。とある知人の送別会が開かれたこともあったっけ。そういえば昔、月村さんとの打ち合わせで使ったこともあった。

レモンバターで食べるペリメニ(水餃子)もよい。酸味と野菜の風味が利いて、どんぶりいっぱい飲みたいはずのボルシチの皿を恨めし気に眺めたこともある。ハヤシライス的なものを想像したビーフストロガノフが、意外に肉がしっかりしていて食べ応えがあったのも楽しい。他にもいろいろ飲み食いしたことがあるのは間違いない。

でも、好物をあげるならば、やはりブリヌイに限る。マリノーブナヤ・ケタとブリヌイ(ロシア式フレッシュサーモンマリネのブリヌイクレープ包み)なんである。

注文してしばらくすると、まず皿に盛られたサーモンマリネやらブリヌイやらを見せつけに来る。これからこいつらを包みますよとの宣戦布告。軽くうなずいてしばし待つと、今度は半分にたたまれたパンケーキが皿に載って現れる。野菜やサーモンのチラリズムが心憎い。

おもむろにナイフとフォークをとり、一口大に切って食らう。ふむ。

サワークリームの酸味とコク、サーモンの滑らかな舌触りと風味、タマネギのしゃっきりした歯ざわりと爽快さ、細かく刻まれたトマトの香り、仄かな香草、そしてそれらを包み込むやや厚めのパンケーキのしっとりとした強さ。これらが口の中を瞬時に駆け抜けるのである。

美味い。

ナイフとフォークをせわしなく動かすうちに、皿の上に存在が消えてしまう。なんと。そうすると、次の料理が運ばれてきてそちらに目が移る。ブリヌイは、いつも前菜ないしは二品目くらいに出てきては、味覚に対し鮮やかに先頭打者ホームランをかっ飛ばしていく素晴らしい食べ物なんである。

その後に出てくる料理も期待を決して裏切らない。裏切らないのだが、舌の記憶の一部は間違いなくブリヌイにある。どうしようもない。

いつの日か、コースも何も頼まず、ブリヌイだけを何回かおかわりしてワインとだらだら楽しみたいと願う。だが20年近く、様々なシーンで訪れている店のはずなのに、まだそうはできずにいる小心者の僕なのである。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

歌舞伎町、ラーメン屋のバミューダトライアングル [新宿]

そこを通りかかるたび、店が入れ替わっている感じなんである。

かつてはなんでんかんでんだったし、家系ラーメンの店でもあった。エビ出汁ラーメンの店だったこともあれば、にらそばの店でもあったし、煮干しラーメンで有名な凪の系列だったこともあり、しかも最近また別の店に変わっている。たぶん覚えてないだけで、後何件かの栄枯盛衰はあったろう。

いったい何なんだ。

ラーメン店どうとんぼり神座歌舞伎町店のはす向かいで、つるかめ食堂の隣あたり。そこはラーメン屋が開店しては、2~3年くらいで消え失せ、別のラーメン屋に入れ替わってしまう魔性の地。まあ、向かいは神座だし、すぐ近くには天下一品もあるし、少し行けばとんこつのわ蔵も、一蘭もある。ラーメンの激戦区なのは間違いない。

でも、近所の神座も天一もわ蔵もそれなりに生き延びているのに、その場所だけ異様に店の入れ替わりが早い。また、近所のラーメン店と比べて、そこに開店しては消えていくラーメン屋、特段味が悪いというわけではない。もちろん、コロナ禍が理由で閉店したラーメン屋は歌舞伎町に複数あろう。でもそこはコロナ禍前からすっとそうだ。本当に、理由が分からない。除霊でもした方がいいんではないかとすら思う。

まるでラーメン屋にとってのバミューダトライアングルのごとし。

先日も、そのバミューダトライアングルに最近開店と思しき店で、ラーメンを食らった。決して不味くは無いし、何ならそこそこ好みの味でもある。しかし、その店がいつまでこの場所で続けられるのか、それを思うと、妙なワクワク感が抑えきれない。

どこのラーメン屋がこの悪循環を断ち切るのか。期待と不安を抱きながら見守り続けたいと思うんである。

nice!(0)  コメント(0) 

24時間営業、玉蘭、羊肉のスープ [新宿]

コロナ禍かどうか知らんが、勝手知ったる新宿の飲食店が軒並み閉店の知らせで寂しい思いをする中、頑なに24時間営業を貫きとおしている店もある。歌舞伎町の中華料理屋、玉蘭である。

以前は新宿区役所のすぐ裏にあり、とても分かりやすい立地だった。店頭では常に肉まんの蒸し器が湯気を上げ、入り口傍の席では野菜を刻んだり仕込みをしていたりと、妙に生活感があるところも味があった。また、500円のランチがあり、炒め物のおかず、ごはん、スープに肉まんが付き、結構リーズナブルだったので愛用していたものである。

数年ほど前、歌舞伎町のやや奥の方に移転し、大きく、小ぎれいになった。移転もありコロナ禍もあり、若干足が遠のいていたが、思い出したころにちょいちょい顔を出してはいる。

餃子やチャーハン、麺類、炒め物など、一通りそろってはいるものの、個人的には、少し酸味のきいた白菜の漬物と肉の炒め物だとか、肉まん付の羊肉のスープとか、玉蘭でしかあまりお目に係れないような代物が好みである。

例えば深夜、やや酒を飲んで胃や食道が荒れているようなとき。とはいえ小腹が空いてなにかは入れたい。そんな思いに、羊肉のスープと肉まんはほどよく応えてくれる。

胡椒と羊肉の香りが漂う半透明の汁。すくって飲むと、程よい塩味と羊肉のコク。具は細かく刻んだ羊肉と春雨。肉を噛み春雨を啜り、汁を飲むうちに、滋味が胃腸に滲みる。そこで登場するのが肉まんだ。

肉まん単体でももちろん良い。湯気立つ大ぶりの白い塊にかぶりつくと、ボリュームのあるふかふかの皮、餡の肉汁が滲みてしっとりとした皮の内側、そしてみっちりとしたひき肉の餡。ハフハフと食らえば、たいそう美味い。その肉まんの皮を一ちぎりして、羊肉のスープに浸して食うのである。

汁の羊肉の旨味と餡のひき肉の旨味を存分に吸ってちょいとほとびた肉まんの皮を頬張れば、ジューシーで素晴らしい。いつの間にか、疲れていたはずの胃腸が食欲に刺激され、肉まんとスープを堪能していることに驚かされる。味覚の快楽を伴う咀嚼と嚥下を繰り返しているうちに、目の前には空の器が並んでいる。

そんな玉蘭、歌舞伎町の出前よりも、店に行って食べたいのは否めない。昼のランチや、飲みあけで締めの朝もよいが、やはり深夜の歌舞伎町のホテル街を通り抜けていくところに、趣深さを感じる今日この頃なんである。

<食べログ:北京料理 玉蘭>
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13194625/


nice!(0)  コメント(0) 

激震、歌舞伎町清龍閉店 [新宿]

蔵元居酒屋清龍歌舞伎町店が、2020年8月21日で閉店するとのこと。正直、痛恨の知らせなんである。新宿ゴールデン街をはじめ、歌舞伎町で過ごす人々も、大なり小なり同じ思いを抱いているのではないかと推測する。

ときおり値段改定等もあったが、とにかく、なんでも概ね安くてうまいのである。

蔵元居酒屋だけあって、まず日本酒が安い。料理も、マグロブツや鯛の兜焼き、サンマの塩焼きやスズキの刺身など、季節を彩るその日のおすすめメニューに心躍らされるのはもちろん、定番メニューも素晴らしい。おススメメニューも、定番メニューで好みの丸々一尾のニシンの塩焼きも、一品500円するかしないかの値段なんである。

加えて、さすがに一人では食いきれないが、ピザが美味いのもユニークだ。板に乗ってくるややクリスピーな生地。某イタリアンレストランのシェフをからかい、「ここのピザは清龍と同じかそれより美味い!」と言ったら、「当たり前や!清龍のピザは俺が仕込んでる!」というブリリアントな冗談で返しをくらい、一本取られたこともある。一部有識者たちは、清龍のことをこっそり「ピッツェリア」とすら呼んでいるのである。

冬場には、一人用の鍋が素晴らしい。牡蠣鍋、寄せ鍋、キムチ鍋等、一通り種類があるが、個人的には湯豆腐を推したい。一人カウンター席に座り、ほろりと温まった豆腐をポン酢しょうゆでやっつければ、燗酒の滋味が腹に滲みる。豆腐を食ったら第二ラウンド。別に頼んでいた刺身、冬ならばブリ辺りを残った湯でしゃぶしゃぶして食らうと、これまた贅沢な気分になる。

そんなこんなで、日本酒を1合半くらいの大徳利で一本頼み、肴を2~3品頼んで、2000円を超えることはほぼ無かったんではなかろうか。

例えば、
・ゴールデン街で飲む前に、晩飯がてらにふらりと一人入るとき。
・今は亡き真紀ママはじめ常連が集う一人飲み用のカウンターゾーン。
・懐が厳しい友人知人と仕事終わりに少しでも安くて美味いもので楽しみたいとき。
・昼酒夕酒で過ごした仲間と飲み足りないとき。
・知人とのちょっとした打ち合わせのとき。
・物凄く気心のしれた異性をお連れ申し上げるとき。
・ややカジュアルではあるものの職場や何かの歓送迎会のとき。
・そして、ゴールデン街関係者の新年会という100人を超える大宴会のとき。

そんな僕らのあらゆるニーズに、歌舞伎町の清龍は応えてくれた。

その清龍歌舞伎町店が、この8月で閉店するという。悲しいというか寂しいというかなんというか、ただただ湿った喪失感が心を吹き抜けていく。もちろん、清龍の店舗は池袋はじめ他にもあるが、歌舞伎町店には、他に代えがたい磁力が、間違いなくあったのである。

コロナ禍もあるのかもしれない。経営上の判断もあったのかもしれない。それは僕にはわからないし、当然ながら、知る必要も無い。ただこうして新宿歌舞伎町を彩る名所が消えていくのは、僕が大人になり、そして確実に老いていっているだけなのであろう。

できることは、残された期間、清龍との思い出をいつくしみ、そして感謝を持って見送ること。そして気心の知れた知人と、ときたま清龍の思い出を語り合うこと。それくらいなんである。

酒に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ


nice!(0)  コメント(2)