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樽一、鯨肉、ハリハリ鍋 [新宿]

寒い夜、ふと鯨が食べたくなった。そんなわけで、新宿の居酒屋、樽一を訪ねることにした。目当ては、鯨のハリハリ鍋。

新宿駅を背に、都会の冷たい風を受け、靖国通りから区役所通りに入り、風林会館方向へ向かい右手、1階がローソンとなっているホテルの地下、階段を降りる。店内に入り、その温かさに安堵しつつ席へ。

店員から今日のおススメなどを聞きつつ、鯨の刺身盛り合わせと、浦霞の燗酒で始める。燗酒の馥郁とした香りが鼻に抜け、ぬくもりがすっと腹に落ちる。するとまるで波紋のように、腹から身体中に酔いが広がった。よし。

刺盛は、赤身、尾の身、鹿の子、本皮、さえずり(舌)、美脂、ベーコンの7種。醤油に、生姜、ワサビ、辛子など合わせて食らう。7種もあると、各部位ごとに異なる美味さが楽しめて面白い。例えば、同じ鯨の脂身でも、歯ごたえのある皮を残した本皮と、ほうわりまったりしている美脂では、美味さの質が違う。

個人的には、肉の繊維とゼラチン質的な旨味と脂とが絶妙に絡まったさえずりが好みだが、『美味しんぼ』で海原雄山が美味いと感じた刺身の一つという尾の身はやはり絶品だし、鹿の子の赤と白のエクスタシーは官能的ですらある。辛子をまぶして食うベーコンは酒のつまみとして秀逸だし、もちろん赤身の力強さと来たらない。

そうこうしているうちに、ハリハリ鍋がやってくる。鯨肉と水菜を醤油仕立ての出汁で煮て食うシンプルな鍋で、鯨肉は、美脂、本皮、さえずり、赤身の4種。

コンロに火をつけると、まず、美脂と本皮を少し鍋に放り込むことにしている。このとき入れた美脂と本皮は、最後まで食べず、溶けるがままにする。出汁に鯨の脂を溶け出させ、コクを出したいのだ。出汁が煮立ち、脂身もほどよく溶けたころ、いよいよ鯨肉を煮る。

といっても、煮るというほど煮るわけでもない。さえずりも本皮も美脂も赤身も、刺身で食べられるほどのものだ。好み次第ではあるが、しゃぶしゃぶのように、出汁にさっと付け軽く火を通しただけでも、十分にいただける。むしろ、煮過ぎないほうがいいかもしれない。

軽く火を通したさえずり、本皮、美脂それぞれ、刺身で食ったときとはまた違う美味さを存分に放ってくるが、やはり、赤身の美味さと来たらない。

沈んだ赤色の身を煮立った出汁に数秒ほどくぐらせ、ほんのりと桃色に染まった辺りでやっつける。先に溶かしておいた鯨の脂、醤油や出汁の香り、そして赤身の肉汁がじゅっとくる。血というか金属質というかのかすかな酸味を帯び、コクを迸らせる獣の肉。刺身で食ったときよりも、なんというか、より、血の通った味。牛でも豚でも無ければ鮪でも無い、まごうことなき肉の風味なんである。

箸休めに水菜を出汁でさっと湯がけば、ジャキジャキした歯触りが楽しい。もちろん、口の中でほろり崩れるさえずりも、ちょっとだけ歯ごたえのある本皮も、まろやか極まる美脂も堪能する。口の中の鯨の風味を燗酒で洗えば、またもう一口赤身が食いたくなる。こうして、鯨肉と水菜と酒は、瞬く間に胃袋におさまってしまう。

後に残るのは、空っぽの鍋と皿と燗徳利、そしてたおやかな満足感。

鯨肉を食らうことに批判的な人もいるのかもしれない。そういう考え方もあるだろう。しかし、ハリハリ鍋をはじめ、鯨肉料理の素晴らしさを堪能すると、鯨が生きて育った自然と鯨の食文化を営々と培ってきた人間の歴史の叡智とに、僕個人としては、素直に頭が下がる。

持続可能な鯨肉食の在り方を考えようにも、もう酔ってしまった。学んだり考えたりは、またの機会にしよう。

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チキッチン、ベーコンエッグ、再会を期し [新宿]

新宿ゴールデン街、馴染みの店がまた一つ閉店とのこと。チキッチン。

飲み屋が多いイメージのゴールデン街で、カウンター席しかないにも関わらずきっちりしっかりと飯を食わせてくれる店であり、もちろん、酒も飲める。メニューはほぼほぼ日替わりではあるが、お通しはじめ、店主のちぎらさんが巧みにアレンジをきかせた代物は、食い終えて、なんとなく、心が満たされる。

心もだが、それ以上に満たされるのは胃袋である。全体的に、量が多いのだ。

例えば、天丼。色とりどりの陶器のどんぶりで出してくれるのは嬉しいが、どんぶりの蓋がほぼほぼその意味を失い、海老やら何やらの黄金色の天ぷらが、自由奔放かつやんちゃに器からはみ出ている。かつ丼もそうだ。「これが一番おいしく揚げられるから」との理由で、肉は300グラム。切り口を見れば、ウェルダンのギリギリ手前で、薄ピンク色を残したとんかつは確かに食欲をそそる。

その他、魯肉飯、カレー、羊肉の串焼き、カツサンド、鶏唐揚げ、スタミナ焼き等々、万事盛りだくさん。始末が悪いことに、これらのメニューがすべからく美味い。これまで食べてきたそれらの料理とは、一味違う。したがって、チキッチンに訪れる人々は、若い時分の食欲をどうにかかきたて、料理に挑むことになる。

個人的に好きだったのは、ベーコンエッグだ。

「厚切りベーコンエッグ」とあり、1000円以上する。ずいぶん高いなと思いつつ、好奇心で頼んでみた。カウンターの隅でちぎらさんがベーコンを焼く音が聞こえ、香りが漂う。いい感じ。しばらくすると、大きな皿にベーコンエッグと名付けられたものが鎮座して現れた。

おお。

まるでかまぼこ板のような、厚さ約1センチ、長さ約10~15センチ、幅4~5センチのベーコンが十字に二枚(!)。加えて、その下に、目玉焼きが四つ(!!)。傍らに、粒マスタードがこんもりと添えられている。見るからに凶悪な一皿だ。

ジブリのアニメで見た炙りベーコンは、その薄さのため、しなって端がカリカリしているような感じだったが、厚さ1センチではしなりようがない。もはやステーキだ。それが二枚なのである。

ビジュアルのインパクトに気圧されつつ、やおらナイフとフォークを手に取り、食らう。ベーコンを一口大に切り噛み締めると、その風味、脂のコク。目玉焼きの白身はほんのり優しく、ベーコンの肉汁と脂に半熟の黄身を混ぜ合わせれば、その旨味は魔性だ。マスタードをたっぷりとまぶし、アクセントをつけながら食うのは、もはや愉悦である。

無我夢中でナイフとフォークを動かし、どうにかこうにか皿を空にする。戦い終えたかのような満足感。

惜しむらくは、このベーコンエッグをいつも腹を減らしていた10代のときに食べたかった。残念ながら、今の自分は不惑を過ぎ、食欲も胃腸も衰えている。でも、チキッチンのベーコンエッグには、見た目といい味といい、その衰えた消化器を駆り立てる何かがあったのである。

料理を食らう傍ら、満面に喜怒哀楽豊かな表情を浮かべて語るちぎらさんとのおしゃべりもまた、楽しい記憶だ。例えば、面白いからと、僕のTwitterを朗読されたときの気恥ずかしさときたらなかった。謎のお菓子フローレットの話も愉快だった。酔った他店店主がちぎらさんに魯肉飯の上の肉部分をせびるシーンを目の当たりにし、大いに笑わせてもらったこともあった。

料理はもちろん、店の雰囲気にも細心の注意が払われ、訪れる客たちは、ちぎらさんから周到に選別されていた。当然繁盛店であり、覗いてみては満席であることがしばしば。いい年をした紳士淑女が、開店前に店の入り口で待っているのも、よくある光景であった。そんな繁盛店にも関わらずたまたま客が僕一人のときがあり、新たに搬入された空気清浄機の設置作業を見つつだらだら飲ませてもらったことも、しんみりと思い出す。

そんなチキッチンが、2022年6月20日の営業をもって、とうとう閉店してしまったのである。

理由は、店主ちぎらさんの体調不良だそうだ。5月ころには、年内中の閉店がアナウンスされていたが、それがご事情により前倒しされてしまった。正直、もうしばらくはベーコンエッグが食べられると思っていただけに、残念であり、無念ではある。

今度は、カウンターの向こうではなく、同じ酒場の客としてちぎらさんと会うことが増えるのかもしれない。それはそれで楽しみではないと言えば噓になる。再会を楽しみにしているのは間違いない。

しかし、チキッチンの美味しくも楽しい時間がもはや記憶の中にしか残されていないのだと思うと、仕方ないで割り切るには、まだまだ、寂しい気持ちを抑えることは難しいのである。

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墨絵、移転後、宝石箱 [新宿]

先日、久しぶりに新宿の墨絵で食事をしたのである。

メトロ食堂街にあった墨絵が、その改築に伴い、2年程前、新宿センタービルに移転したのは聞いていた。メトロ食堂街にあったとき何回か食べに行き、その可憐な料理に舌鼓を打った記憶があるが、移転後すっかりご無沙汰していた。

店内も料理もすべからくお洒落なイメージがあり、背脂ラーメンともつ煮込みを愛好する中年男性として、訪ねるのを躊躇していたのは間違いない。でも、たまにはそういう飯も食いたいではないか。後日、異性を連れてくることもないわけではなかろうし。

そんなわけで、ちょっとだけ意を決して新店に行くと、メトロ食堂街のときよりも、二回りほど小さくなった感じ。でも飾られている花や壁の装飾の雰囲気はそのままだ。やはり、なんかこそばゆい。ディナータイムの早めの時間だったせいか、客は少なく、マダム二人が差し向かいで食事をしているのを横目に。

とりあえず山梨の白ワインをデカンタで頼む。軽く、ほんのり蜂蜜のような香りがして、悪くない。一心地つく。で、メニューを決める。前菜二種とメイン一種、それとデザートが選べるコースで。

そうこうするうちに、まずパンとバターが出てくる。最初はシンプルなバケット。これがまずイケる。小麦粉が香ばしく、バターと合う。瞬く間にパンを食べ終わると、パンのおかわりを促される。望むところだ。クルミ入りやオレンジ入りなど、6種類くらいのパンから選ぶ。イチジクを練りこんだやつと、玉ねぎを練りこんだやつの二種類が好みで、それを頼む。やはり墨絵のパンはステキだ。

パンとワインをたしなんでいると今度は前菜。

 ・チーズと豆とキャベツマリネ(シュークルート風)のグラスサラダ
 ・本日のポタージュ(ごぼう)

の二種。サラダは、柔らかいチーズところりとした豆とジャキジャキしたキャベツマリネの食感が楽しい。ポタージュは、クリーミーながら、確たるごぼうの存在感が印象的だ。

前菜を食い、パンとワインのおかわりを考えているうちに、メインディッシュが登場。

 ・しろみのポワレ 彩り野菜とパプリカソース
  魚介ムースのサラダ仕立て 黒オリーブ・アンチョビのタプナードソース

白身魚に野菜の色どりが映え、見た目にワクワクする。もちろん、食ったときの魚と野菜の風味が折り重なって広がる感じは得も言われぬ。ムースは、ほんわかとした温かみのある味で、酸味とコクのある黒っぽいソースでぎゅいっと引き締まる。

前菜とメインを食らい、そしてパンをおかわりするうちに、すっかり腹は満ちる。ここでデザートだ。

 ・クレームブリュレとはちみつローズマリーアイス

ふだんスイーツはほぼほぼ食べないが、コース料理のデザートは食わなければ漢がすたる。甘いものも嫌いではない。表面やや硬い薄いカラメルが乗ったブリュレは、パリフワの感触に玉子の甘さが香る。ひんやりとしたアイスは、食事の最後を飾るのによい。

これに、食後のホットコーヒーで一息。ふう。食った。

久しぶりの墨絵往訪だったが、最初の気恥ずかしさはどこへやら、結局、きっちりと飲んで食い、そして楽しんでしまった。万事が小綺麗で、そして可愛げのある、でもしっかり満足できる、宝石箱のような料理。こういう料理屋がきちんと残る新宿であってほしい、そう願った次第である。


≪東京・新宿 レストラン墨繪(すみのえ)≫
https://www.suminoe.in/%E3%81%8A%E9%A3%9F%E4%BA%8B-%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3/

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やんばる、沖縄そば、ゴーヤチャンプル [新宿]

新宿、アルタ裏あたりにある、沖縄料理の『やんばる』も好みだ。

まず場所がちょうどいい。歌舞伎町なりゴールデン街なりで飲んで、新宿駅に向かう。靖国通りを渡ったあたりで、どうも小腹が減っていることに気づく。そんなときに、ちょうど目に入るのである。ごく近くにカウンター席のみとテーブル席の2店舗あるが、大抵一人なのでカウンター席の方へ。いそいそと食券を買う。

普通に腹が減っているときならば、ミックスそばにアーサ(青のり)トッピングで。やや太めの麺に、あっさりした出汁。具は、かまぼこに、ソーキにラフテーにポーク。たいそう肉肉しい。これに、アーサの青が映える。ソーキの軟骨をかじり、骨をしゃぶり、ほろほろするラフテーを噛み締め、ポークを食い、麺を啜り出汁を飲む。そこはかとなく残るアーサの香り。たおやかな満足感。

米が食いたいときは、ゴーヤチャンプルの定食だ。カウンターから、中華鍋に玉子とゴーヤを炒めている姿を見るのは愉しい。味噌汁の代わりか、小さめの沖縄そばがついてくるのもありがたい。ゴーヤの青臭さが玉子や豆腐にくるまれて良い塩梅。飯が進む。そばと合わせてきちんと腹いっぱいになるのである。

泡盛を飲みたい気分なら、カウンターではなくテーブル席の店へ。肴の種類もとりどりだが、個人的にはてびちが好きだ。豚足の醤油煮込み。ごろりとした褐色の物体が運ばれてくる。ぬるぬるぶるぶるしたそれを、手でつかみ、割いて食らう。脂とゼラチンの食感、豚の旨味が醤油に乗って口の中に滑り込む。べとべとする口の中を泡盛で洗う。快楽である。

肴として、ポーク玉子もステキだ。カリっとしたポークの塩味と玉子のふうわりした香り。泡盛もよいが、ここは、オリオンビールも素晴らしい。ふと見れば、うみぶどうやらもずくの天ぷらやらにも誘われる。杯が進む。

やんばるは、新宿以外にもあるらしいが、やはり、アルタの裏辺り、新宿通りと靖国通りの間にあるあのやんばるが好きなのである。また、ほろ酔い気分で立ち寄ることにしよう。

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通じない、コマ劇 [新宿]

新宿コマ劇場が無くなって、13年ほど経つらしい。

どおりで、新宿で人と話していて、「コマ劇裏の〇〇」とか「コマ劇横にあった××」とかの会話があまり通じなくなっているはずだ。コマ劇場を見たことの無い世代が着実に増えているんである。

靖国通りから歌舞伎町の大通りをまっすぐ入って突き当り。20年以上前、僕が東京に出てきたころは、コマ劇は、歌舞伎町のまさしく正門に鎮座していた。

北島三郎をはじめとする様々な演歌興行を筆頭に、松平健のマツケンサンバやら何やらの催し物が相次ぎ、書き割りや垂れ幕が輝くにぎにぎしい空間。隣接していた東宝ビルにはグランドキャバレークラブハイツがあって、広い店内、ゆったりした客席、生バンドにホステスさんの接客。その他もろもろ。

そこは、昭和から平成にかけての、ある遊びの形があった場所だと思う。

平成も半ばを過ぎるころには、確実に、人々の遊びの形が変わってきたのだろう。老朽化と収益性の低下により、コマ劇場は解体され、建て替えられる。

正直、コマ劇場で観劇したことはなく、中に入ったことは無い。無いのだが、歌舞伎町にちょくちょく来ていた身に過ぎない自分でも、シンボルが亡くなったような、何とはなしの寂しさを感じずにはいられなかったんである。

今は、「TOHOシネマズ新宿」「ホテルグレイスリー新宿」などが建ち、付近は、通称でゴジラビルなどと言われているようだ。最新の映画を軸に、人々は相変わらずその場所に集っている。人の姿も心も変わり、失ったものはすぐ別のもので埋め合わされる。

大げさに言えば、人が生きていくとは、きっとそうした喪失と埋め合わせの新陳代謝の繰り返しなのに違いない。とはいえ、いくら埋め合わせがあろうとも、失われたものと全く同じものが帰ってくることは、決してない。

今は無きコマ劇場にちょいと思いを馳せながら、遅かれ早かれ失われていくであろう目の前の人であり空気であり物事たちを、ほんの少しだけ大事にしてみようかと思ってみる今日この頃なんである。

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