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期待値の超えられない高さ~小泉進次郎環境大臣について~ [政治]

2019年9月11日の第4次安倍再改造内閣の発足。

その目玉人事と言ってよいのが、小泉進次郎議員の初入閣だった。環境大臣。言わずと知れた小泉純一郎元総理の息子で毛並みもよく、容姿端麗にして弁舌さわやか。しかも直近では人気キャスターの滝川クリステルさんとの結婚も発表し、まさにスポットライトを全身に浴びつつ、将来の総理大臣としての道をひた走っていると言っても過言ではなかろう。

環境大臣としての業務は様々だが、やはり注目を浴びるのが原子力規制関連の行政だ。東日本大震災における福島第一原発事故から8年。放射性物質による健康被害の懸念は未だ払しょくされたとは言い難く、しかもその懸念には必ずしも科学的な事実に基づかないものも少なくない。各国の原子力政策では当然とされる処理水の海洋放出一つとっても、国内世論で実行に移せていないのが現状だ。

国内だけではない。隣国韓国では、政権の要人たちが自国の原発政策を棚に上げ、相次いで日本の放射性物質の管理対応を批判し、輸入食品への風評被害への加担や、2020年のオリンピックに対する否定的な国際世論の形成に余念がない。

個人的には、注目を集める小泉環境大臣が、国内外に対する原子力関連のリスクコミュニケーションに本格的に取り組むことに期待していた。小泉氏がきちんと事実を主張し、誤解を正すことで、原発事故の風評被害が少しでも緩和されるのではないかと思ったのである。

しかし、就任から約1週間、早くもその期待がしぼまざるを得ないことに我ながら驚いている。その発言をいくつか拾ってみよう。

■小泉原子力防災相「どうしたら原発をなくせるのか考える」
https://www.sankei.com/politics/news/190912/plt1909120005-n1.html

■石炭火力発電「減らす」=ESG投資に注目-小泉環境相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091301011&g=pol

■小泉進次郎・環境相、前任者の発言をおわび 訪問先の福島県で
https://www.huffingtonpost.jp/entry/koizumi-kankyosho-fukushima_jp_5d7af866e4b03b5fc880ad1b

現在の政府の方針は、「脱原発」ではなく、エネルギー基本計画に基づき、基準を満たした原発を順次再稼働させることだが、小泉大臣の発言はこれに反しているのではないか。

また、石炭火力発電を減らすとのことだが、先の脱原発的な発言と相まって、全体的な電力政策の中で石炭火力をどう位置付けているのか不明確である。それに加え、エネルギー需給を所管する経済産業省では、石炭火力を減らすのではなく、その効率化・技術推進の推進を主張しており、小泉大臣の石炭火力発言は経済産業省との調整を経たものではない可能性が高い。

(参考)国によって異なる石炭火力発電の利活用
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/sekainosekitankaryoku.html

また、前任の環境大臣原田氏による処理水の海洋放出を前向きに考える発言に対し、これを批判し、事実上撤回したことで、すでに貯蔵が限界になりつつある処理水の海洋放出に向けた議論をとん挫させることになってしまった。

このように、小泉環境大臣には、従前の政府の立場を無視し、かつ関係者間での事前調整が無いままの発言が目立つ。

もちろん、一議員として様々な考えを持つのは当然だろう。しかし、小泉環境大臣は仮にも政府の一員である。もし、政府の立場がおかしいと考えるのであれば、自ら総理をはじめ他の閣僚を説得して、政府方針を変えるべきだ。それができる見込みが無ければ、政府方針に沿った発言をするのが筋なのではなかろうか。

また、関係省庁で議論が分かれる問題について、両省庁での合意が無ければ具体的な行動に踏み出すことはできないし、調整が無いままの発言は、合意に必要な省庁間の信頼を著しく損ねることになるだろう。

もっとも、事前調整をせずに問題提起をして注目や支持を集め、政府内の調整や省庁間交渉を自分のペースにしたいという思惑が小泉大臣にはあるのかもしれない。そしてそれは、父親である小泉純一郎元総理のやり方に似ていなくもない。しかし、衆議院の解散権や閣僚の任免権を持つ総理大臣と、それらの権限の無い一環境大臣では、仕事の進め方は異なって当然だ。

その意味では、現時点では小泉環境大臣の発言には危惧の方が大きい。結局、絢爛にして空疎な弁舌を振りまいた挙句、施策が具体的に前進しなかったことを自分の意見に反する「抵抗勢力」のせいにして、自らの説得力、交渉力、調整力の不足を棚に上げて自己保身に走ってしまうのではないか。

絶大な人気を誇りながら実際にはほとんど仕事ができず大臣を解任された存在として、小泉純一郎内閣の生みの母とされた、田中真紀子元外務大臣の存在がちらつく。小泉環境大臣は同じ轍を踏んでしまうのだろうか。

さて、このように小泉環境大臣に言及してしまうのは、我ながら図らずも、小泉氏に対する期待値をかなり高くしていたことにあるのは否めない。普通の議員が大臣になったなら、こんなに期待もしないし、そして発言にも失望しはしなかっただろう。高い期待値は、その分リスクにもなりうるのだと思う。

とはいえ、落ち着いて考えれば、就任からたったの1週間。小泉環境大臣にはまだまだ挽回のチャンスはあるはずである。早くから将来の総理候補として注目されていた小泉氏には、きっと底力があるに違いない。どうか、体面の維持と自己保身に走るのではなく、環境大臣として泥を被るような仕事を通じて実績を重ね、近い将来堂々たる総理候補として名乗りを上げてほしいものである。

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【雑感】第25回参議院議員選挙結果~どこも負けなかった選挙~ [政治]

7月21日投開票の参議院議員選挙の結果が出そろった。結果の詳細は末尾リンク参照として、とりあえず感じたことをつらつらと書いてみたい。

今回の選挙を一言でいうならば、主要な勢力が『どこも負けなかった選挙』と言えるのではなかろか。

消費増税を既定路線として苦戦が予想された自民党・公明党の与党は、自民党が議席こそ減らしたものの、勝敗ラインと主張してきた改選過半数は遥かに超えた。野党第一党の立憲民主党は、与党の勝敗ラインを脅かすことはできなかったが、改選議席をほぼ倍増させた。

その他、与野党の議席配分に大きな影響は無いものの、維新は議席を増やし、共産・国民民主は議席を減らし、れいわ新撰組とN国は議席を新たに獲得した。また、社民党は1議席を死守し政党要件をどうにか維持することができた。

与党が勝敗ラインである改選過半数を超えたものの、いわゆる改憲賛成勢力とされる自民・公明・維新で、改憲発議に必要な数を下回ることとなり、この点については、立憲民主党はじめとする野党勢力が一矢報いたと言ってもよかろう。

このように、自民、公明、立憲などの主要政党は、ある意味では勝ったとも言えるし、ある意味では目的を達成できなかったと言える。だから、結果的にはあまり大きな動きは無いと言ってよいのかもしれない。だから敢えて言えば、どこも負けなかったと言うべきなのだと思うのである。

このような選挙結果を全体的に評価した場合、有権者の総体は、政権の枠組みについてゆるやかな現状維持を望んでいるという意思を表示したのではないかと考えられる。

これは、与党が大きく負けなかったことと、いわゆる改憲勢力が発議に必要な議席を得られなかったこと、その双方から言えることだ。有権者は、引き続き自民・公明の連立政権の枠組みでの政策遂行を望んではいるものの、憲法改正まではそれほど強く望んでいないということが示されたのではないか。

各党について、もう少し感想を述べたい。

<自民党、公明党>
自民党が10以上議席を減らしたことは、率直に言って、敗北と言っていいはずだ。しかしそれが敗北に見えないのは、選挙戦早々に勝敗ラインを改選過半数と定めたことであろう。消費増税を掲げてもなお「負けなかった」という前代未聞の選挙を展開することができた、情勢の読みの的確さ、ダメージコントロール、戦術の巧みさが光った。

<立憲民主党>
議席をほぼ倍増させることができたのは、野党共闘の成果の一つだと思う。ただ、選挙に不利な増税を掲げる与党を脅かすまでに至らなかったのは、今後の反省材料のはず。例えば、いわゆる「おしどりマコ」候補の擁立について、各方面から批判や問い合わせがあったにも関わらず党として黙殺したことで、失望した有権者は多かったのではないか。

<日本維新の会>
議席を増やせた件、立憲民主は嫌だけど自民に投票をしたくもない層をうまく拾えたのでは。

<共産党>
ほぼ現状維持に成功。野党共闘では、立憲民主党に比べ、やや貧乏くじを引かされたのではないか。

<国民民主>
議席はやや減らしたが、今後与党が改憲の手続きを進めるならばキャスティングボードを握れる位置につけたことから、各種駆け引きで発言力を得られるのではないかと思う。

<れいわ新撰組>
れいわ新撰組が2議席を獲得し、山本太郎氏の存在感は高まった。山本太郎本人は落選したが、これで次の衆院選でほぼ当選は堅いのではないか。山本太郎氏を侮ってはならないと思う。


さて、このように、個人的には『どこも負けなかった選挙』と思うわけで、各党その支持者に自勢力の勝利を喧伝することになるだろう。しかしそのことは、同時に、『どこも勝てなかった選挙』と同じ意味であり、反省材料は各党あるはずだ。各党、傷のある勝利に酔わず、次の選挙を見据えた行動をとっていただきたいし、それができる政党が国政で影響力を発揮できるのだと思う。

国会議員は、そして政党は、国政で競争し、選挙で審判を受ける。それは、民主制の一丁目一番地である。今回当選された選良たちの奮起を、改めて期待したいと思う。


<選挙結果>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC25%E5%9B%9E%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%9A%E5%B8%B8%E9%81%B8%E6%8C%99
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外交、安全保障、インフラ整備とかへの資源配分に関する一般論 [政治]

閣僚の外遊や軍事費やインフラ整備の話で、そんなことにお金を使うなら、もっと別のこと、例えば貧困家庭への所得や学生への学費といったより直接的な所得支援にお金を回せという声がちょいちょいあがる。確かに外交や安全保障やインフラ整備とかにかかる非日常的な金額を考えると、そう思う気持ちも分からんでもない。

ただ例えば、貧困支援の一環として、目の前の貧窮している人への炊き出しを考えてみよう。

まず炊き出しをする食べ物をも買わなきゃならんし、食べ物を買うにはお金がいる。お金を稼ぐには、働いたりモノを作ったり、作ったものやサービスを買ったり売ったりしなきゃならんし、モノを作ったりサービスを提供したりするには資源や原材料やエネルギーがいる。

働いたり、モノやサービスを取引したり、資源や原材料やエネルギーをやりとりするためには、道路や航路やパイプラインや通信整備といった、ヒトやモノや情報を運ぶ輸送や通信のインフラが不可欠だろう。また、国内で犯罪が頻発していたら、危なくて安心して活動できないから治安維持も必要だ。

外国から資源を輸入したり外国にモノやサービスを売るには、その国と日本が友好的でなきゃならないから、良好な外交関係も維持しておくべとなる。また、国内外でモノやサービスをやりとりするのに、途中のルートで国同士で戦争が起こったら輸送のが滞ってしまうから、日本国内だけでなくそのルートを含む国際関係も戦争が起こらないように、軍事的なバランスを維持するために近隣諸国の状況を見ながら武器を買ったりたりなんだリしなければいけない。国同士が仲良くても海賊や犯罪組織が跋扈してたらやはり輸送が滞るから外国と協同してそれらに対処しなければならない。

結局、貧窮してる人を助けるために炊き出し一つやるにも、インフラ整備や外交や安全保障にはある程度の資源配分は必要になってしまう。では、その資源は誰が提供すべきか。

困っている人にお金やモノをあげて助けるなら、政府だけでなく、篤志家や企業、そして非営利組織だって十分可能だろう。その一方、外交や安全保障やインフラ整備は、個々の篤志家や企業や非営利組織などが支出するには、あまりにも高額だしあまりにも長期に渡って投資が必要だから、実質的には不可能だ。

当然そこは、政府に任せざるを得ない。

もちろん、個々の支出や全体の資源配分が手続的、内容的に妥当かは議論と説明とコンセンサスが必要だけど、政府は政府にしか出来ないことにより注力した方が合理的であるとは言える。やはり、例えば貧困対策など、他の経済主体が行うことができる施策のために、政府でしか行うことができない外交や安全保障やインフラ整備への資源配分を振り替えるというのは、本末転倒のような気がしないでもない。

もちろん、政府支出の手続き・内容面へのレビューや全体的な資源配分の妥当性は議会や会計検査等を通じて常にチェックしなければならない。ただ、貧窮している人々を助けるのが目的なら、政府のお金の配分への注文だけでなく、篤志家や企業、非営利組織の活動を促した方が早い気もする。どうしたら、例えば貧困家庭の生活水準を向上させることが出来るか、もしくは、国民全体の教育水準を引き上げることができるかといった視点で、政府にできること・すべきことと民間ができること・すべきことの整理をし、知恵を絞らなければならないのだろうとは、思うんである。

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問われる「まっとうな政治」、どっちもどっちからの脱却を。 [政治]

与党批判の急先鋒たる立憲民主党は、スローガンに「まっとうな政治」を掲げている。この意味するところは様々であろうが、少なくとも、与党や政権が行っているような会見対応や国会対応などは「まっとうな政治」ではないという含意のもと、批判されるべき同じようなことはしない、という趣旨だと思う。

ただ、立憲民主党ないしはその支持層から聞こえてくる声を見た限りは、この「まっとうな政治」という言い方をきちんと理解しているのか、個人的には疑わしいと思う。

もし「まっとうな政治」というものが冒頭の理解でそれほど誤っていないなら、立憲民主党としては、現状の振る舞いに対し、かなりハードルを、というか、人々の期待値を上げてしまっているのではないかと懸念する。

実際、野党支持者ないしは与党の批判者は、与党による予算委員会での集中審議の開催拒否などに対し、「野党批判の理由となった行動を与党もしているのだから、与党支持者は同じように与党を責めるべきだ」と言う。それはそれで一理ある。

しかし、多くの消極的な与党支持者にとっては、「野党も与党も同じだよな」というマインドになり、かつ、積極的与党支持者の耳には届かないので、結局与党の支持は変わらず、野党の支持も上がらない。

なぜか。

簡単なことで、立憲民主党が「まっとうな政治」であり与党自民党がそうでないと語るなら、立憲民主党は自民党をはるかに超える「まっとう」さを言動で示さなければならないからだ。それが与党と同じようなレベルでは全く「まっとう」とは言えず、せいぜいどっちもどっちであり、与党の消極的支持層に対して、全くアピールにならないからである。

立憲民主党が政権奪取の中心となるには、当たり前だが、選挙で勝たねばならず、そのためには現状の消極的な与党支持層を野党支持層にひっくり返すべく説得を続けなければならないはずである。そうであるならば、消極的与党支持層にもすぐにわかるような「まっとうさ」を見せ付けなければ意味が無い。

どっちもどっちと見られるようでは、「まっとう」とは言えないのである。

だから、自民党が審議拒否をしてそれを批判するのであれば、立憲民主党は決して審議拒否をしない姿勢を見せなければならないし、与党議員の問題発言を批判するのであれば、立憲民主党議員が問題発言をした際には少なくとも党内において厳しい処分をしなければならない。与党の会見でのぶっきらぼうな応対を批判するのであれば、立憲民主党は自らの反対勢力からの質問に対しても懇切丁寧に答えなければならない。

現状、立憲民主党にこれらができているとはいい難い。理由はどうあれ審議拒否はするし、所属議員や公認候補者が自衛隊や原発に対し理解の浅い発言をしても処分どころか問題視すらしないし、SNS上を見る限り、別件では更新をしているにも関わらず、都合の悪い質問には応答すらしようとしていない。

もちろん、細かいところで違いがあるのかもしれないが、現状がこれでは、多くの人々にとって、自民も立憲も、どっちもどっちとしか言いようが無い。

自民党と比べれば支持率が低いとはいえ、立憲民主党には一定の固い支持層がある。また、与党への批判としての支持層もそれなりにいるはずだ。しかし、そんな既存支持層に甘えるだけでは、政権を取れないことは明らかである。

立憲民主党が真に政権奪取の中心となるために「まっとうな政治」を主張するのであれば、自民党支持層や無党派層、すなわち既存支持層の外へそのメッセージを伝えなければならない。そのためには野党支持層も驚くような「まっとうさ」を分かりやすく見せ付けなければならないのではなかろうか。現状、それがほとんど伝わってない結果としての政党支持率の調査結果なのではないかと思うのである。

政治改革により、自民党内の派閥抗争がかつての激しさを失った以上、与党自民党に選挙での敗北を意識させ緊張感を与えるのは野党しかいないし、野党第一党である立憲民主党の責任は重い。もし「まっとうな政治」を標榜するのであれば、ぜひとも、自民党と違う「まっとうさ」を分かりやすく示していただきたいものである。


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野党へのエール~政治改革を無にしないために~ [政治]

立憲民主党をはじめとする反政権の野党は、政権獲得を目的とせず、国民の一部のファン層のガス抜き活動に精を出していた55年体制下の社会党にどんどん近づきつつあると思うし、それは90年代の政治改革(選挙制度改革および政治資金規正法改正)の成果を無にするものではないかと懸念している。

思えば、55年体制での社会党は、政権奪取を期待されなかった代わりに、いわゆる革新派インテリ層や、労組、その他非自民層の政治的代弁者としての地位を確保した。一方の自民党は、政権への野党からの挑戦が無い代わりとして、国対政治を通じた社会党とのコミュニケーションで野党の見せ場を確保して面子を立てるとともに、複数派閥相互の権力闘争である種の自浄作用を保っていた。

しかし自民党内の派閥抗争は、様々な不合理を露呈した。例えば、大平内閣時代の四十日抗争をはじめとした国民置き去りの不毛な消耗戦、派閥抗争での巨額資金の必要が生んだリクルート事件や佐川献金事件等の疑獄、政府与党の役職とは無関係に最大派閥(田中派、そして竹下派)が事実上総理総裁の生殺与奪の権利を持つ歪な権力構造等々。

そこで90年代初頭、自民党内の派閥抗争から政権交代可能な政党同士の政策論争をすべきということで、小選挙区制を軸にした選挙制度改革と、政党助成金制度など、派閥ではなく政党への政治資金の集中を企図する、いわゆる政治改革が実現することとなった。

政治改革は、自民党内の派閥抗争から政党同士の政権交代を志向するため、与野党ともに政権担当能力が問われることとなった。そして政治改革後、選挙での勝利による初の本格的な政権交代である2009年の民主党政権誕生は、政治改革の一つの成果となる、はずだった。

しかし、民主党政権は、既存官僚組織への不信感丸出しの姿勢、沖縄米軍基地問題をはじめとする安全保障問題、参院選での唐突な消費増税言及などの財政問題への軽率な対応、東日本大震災での不適切な対応、鳩山氏や小沢氏といった党内有力者の金銭スキャンダル、小沢一郎氏を巡る権力闘争、選挙公約に無い消費増税の決定などで自壊し、結果2012年に選挙で敗北した。

以後、自民党の安倍政権が続く中、旧民主党は離合集散を重ね、野党は支持率を上げられず、国政選挙では政権奪取に程遠い結果を出し続けている。そのためか、立憲民主党をはじめとする野党は、いわゆるおしどりマコ氏の候補者擁立などのように、既存支持者層の繋ぎとめに汲々としているように見える。

野党のその様子は、55年体制下の社会党に先祖がえりしているかのようで、それはそれで組織の生き残りとしては一つの手段なのかもしれない。ただ、すでに90年代の政治改革を経た現在は、55年体制とは大きく異なる。

それは、自民党内の自浄作用の喪失である。

小選挙区制をはじめ、政党執行部に資金や権限を集中させる制度では、かつての自民党の派閥のような党内の相互牽制は働かないし、相互牽制の不合理を否定したところに今がある。政権交代をちらつかせて与党を脅かせるのは、野党しかない。しかし、その野党がファン層の囲い込みに走って広く国民に訴えることを忘れているのが現状である。

率直に言って、これは90年代の政治改革の否定だ。

現状のまま、抑制の効かない与党を放置するのか。中選挙区制に戻し、政権を目指さない去勢された野党と仁義なき派閥抗争の与党という時代に戻るのか。政治改革が目指した与野党の政権交代を目指すのか。選択のカギは、野党にある。野党が心地よいファン層の声だけを聞く姿勢に埋没するか、与党の消極的支持層を果敢に引き剥がしにかかるか、いずれかであるはずだ。

今の安倍政権を積極的に支持している国民はそう多くは無いと思う。むしろ、野党との相対評価の問題であり、野党の主張によっては消極的支持層を与党から引き剥がすことは、不可能ではないはずだ。

野党の支持者や有力者の中には、90年代の政治改革で汗をかいた人も少なくないだろう。どうか、野党のイニシアティブで、政権交代可能な政党同士の議論で政治を活性化することを切に期待したいところである。

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