cafe AYAという場所 [新宿]
かつて新宿に、cafe AYAという喫茶店があったのである。
なんというか、外観はシャノワールをもっと明るくしたような感じで、コーヒーや紅茶はもちろん、パンや蕎麦やカレーといった軽食も出す。値段も高くないし、なんといっても24時間営業。使い易いのである。
歌舞伎町にもあったが、やはり、より趣深いのは、区役所のはす向かい辺りにある新宿三丁目店だ。地上一階地下一階が店舗。場所柄、昼間も人が入っているのだが、終電を回るころから、じわじわとワンダーランド感が増してくる。
例えば、終電を乗り過ごして、小腹が空いたとする。かき揚げそばを頼み、トレイを持って地下への階段を下りる。広いフロアは深夜なのにそこそこ人が埋まり、もうもうとするタバコの煙をかいくぐって席につき周りを見れば、なんというか、新宿の断片が目に入る。
ホストとその客ないしはキャバクラ嬢といったわかりやすい水商売関係の人々はけたたましく語り、日雇いと思しき労働者やホームレス風味の男性たちはつかの間の憩いを求め、いかついスーツを着たお兄さんたちは談笑し、ネットワークビジネスなどの勧誘を受けている思しき人々は喧騒をよそに語り合い、黒人の客引きたちはにやにやしながらたむろし、酒なり仕事なりで力尽きたサラリーマンは思い思いに突っ伏したり椅子にふんぞり返ったりで高いびきをかいている。
僕は、出来合いのかき揚げをいささかしょっぱい汁にひたして咀嚼し、美味いかどうかは別として蕎麦であることを確認できる麺をすすりつつ、その場の空気となる。
さんざめく様々なる衣装の人々、そんな老若男女人種言語を問わない彼らの声、聞くともなく聞こえる会話、タバコの煙、寝落ちした人々のいびき、その他もろもろ。目と耳を緩慢に動かしつつ、熱くてしょっぱい蕎麦の汁が喉をとおり、腹が温まると、自分もそんな新宿という何か巨大な生き物の一部なのではないかという思いにしばし憑りつかれる。
そう、蕎麦やうどんをはじめ、カレーも、スイーツも、そしてもちろんコーヒーや紅茶も、cafe AYAにはいろんなメニューがあったが、別にどれもそれほど美味くない。そこも、ポイントが高かった。ともあれ、新宿に数多あるであろう喫茶店の中、大して美味くもないはずのcafe AYAには、ダイバーシティといってもよいほど、多種多様な人間たちを呼び寄せる得体のしれない磁力があったのである。
今思えば、僕がcafe AYAに求めていたのは、コーヒーでも軽食でもなく、新宿にいるという肌触りだったのかもしれない。
ああいう、言うなれば、大遊戯場歌舞伎町の澱というか、勝手口のような店は、もはやほとんど残っていないのではないか。何店かあるルノワールは猥雑さが足りないし、風林会館のパリジェンヌもどこか上品だ。
cafe AYAが無くなって10年くらいになるだろうか。今その場所は24時間営業の居酒屋だが、酒があるにもかかわらず、cafe AYAの持つある種の怪しさ、禍々しさとは全くもって遠い。
あのもうもうたるタバコの煙の中、コーヒーや紅茶を啜りながらたむろしていた人々は、いったいどこにいってしまったのだろうか。縁もゆかりも無いような人々だし、友達や恋人になりそうにない人々ではあるのだけど、そういう新宿歌舞伎町の生き物が勢ぞろいするような場所が少なくなるのには、一抹の寂しさを禁じ得ないのである。
なんというか、外観はシャノワールをもっと明るくしたような感じで、コーヒーや紅茶はもちろん、パンや蕎麦やカレーといった軽食も出す。値段も高くないし、なんといっても24時間営業。使い易いのである。
歌舞伎町にもあったが、やはり、より趣深いのは、区役所のはす向かい辺りにある新宿三丁目店だ。地上一階地下一階が店舗。場所柄、昼間も人が入っているのだが、終電を回るころから、じわじわとワンダーランド感が増してくる。
例えば、終電を乗り過ごして、小腹が空いたとする。かき揚げそばを頼み、トレイを持って地下への階段を下りる。広いフロアは深夜なのにそこそこ人が埋まり、もうもうとするタバコの煙をかいくぐって席につき周りを見れば、なんというか、新宿の断片が目に入る。
ホストとその客ないしはキャバクラ嬢といったわかりやすい水商売関係の人々はけたたましく語り、日雇いと思しき労働者やホームレス風味の男性たちはつかの間の憩いを求め、いかついスーツを着たお兄さんたちは談笑し、ネットワークビジネスなどの勧誘を受けている思しき人々は喧騒をよそに語り合い、黒人の客引きたちはにやにやしながらたむろし、酒なり仕事なりで力尽きたサラリーマンは思い思いに突っ伏したり椅子にふんぞり返ったりで高いびきをかいている。
僕は、出来合いのかき揚げをいささかしょっぱい汁にひたして咀嚼し、美味いかどうかは別として蕎麦であることを確認できる麺をすすりつつ、その場の空気となる。
さんざめく様々なる衣装の人々、そんな老若男女人種言語を問わない彼らの声、聞くともなく聞こえる会話、タバコの煙、寝落ちした人々のいびき、その他もろもろ。目と耳を緩慢に動かしつつ、熱くてしょっぱい蕎麦の汁が喉をとおり、腹が温まると、自分もそんな新宿という何か巨大な生き物の一部なのではないかという思いにしばし憑りつかれる。
そう、蕎麦やうどんをはじめ、カレーも、スイーツも、そしてもちろんコーヒーや紅茶も、cafe AYAにはいろんなメニューがあったが、別にどれもそれほど美味くない。そこも、ポイントが高かった。ともあれ、新宿に数多あるであろう喫茶店の中、大して美味くもないはずのcafe AYAには、ダイバーシティといってもよいほど、多種多様な人間たちを呼び寄せる得体のしれない磁力があったのである。
今思えば、僕がcafe AYAに求めていたのは、コーヒーでも軽食でもなく、新宿にいるという肌触りだったのかもしれない。
ああいう、言うなれば、大遊戯場歌舞伎町の澱というか、勝手口のような店は、もはやほとんど残っていないのではないか。何店かあるルノワールは猥雑さが足りないし、風林会館のパリジェンヌもどこか上品だ。
cafe AYAが無くなって10年くらいになるだろうか。今その場所は24時間営業の居酒屋だが、酒があるにもかかわらず、cafe AYAの持つある種の怪しさ、禍々しさとは全くもって遠い。
あのもうもうたるタバコの煙の中、コーヒーや紅茶を啜りながらたむろしていた人々は、いったいどこにいってしまったのだろうか。縁もゆかりも無いような人々だし、友達や恋人になりそうにない人々ではあるのだけど、そういう新宿歌舞伎町の生き物が勢ぞろいするような場所が少なくなるのには、一抹の寂しさを禁じ得ないのである。
ささやかな記憶、ロンドン [生活]
10年ほど前のある秋、海外出張の一幕。
シンガポール、バンコクを経てロンドンへ。
到着日は風邪っぽかったので、早めに就寝。
気温差約20℃はさすがに体調を崩して、
くしゃみがとまらねえ夜。
翌朝目覚めるとそんなに悪しくなく、散歩でもという気分。
そういえばロンドンは美術館とか多いとのこと。
夕方の仕事前にちょいと行って来ることにした。
常設展はどこも無料らしいし。
どこにしようか、大英博物館もあれば、
ナショナルギャラリーもあるし・・・
とのことで選んだのはテートギャラリーという、
英国人の画家の作品を集めた美術館。
有名どころは、ターナーとかロセッティとか、ミレイとか。
で、
ホテルの近くのスーパーでサンドイッチとジュースを買い、出発。
どうでもいいけど、ロンドンって、
昔本や写真でで見たとおりの町並みで、逆に驚く。
バンコクやシンガポールや香港は、昔ながらの街並みもありつつ、
かなり現代的なアヴァンギャルドな高層ビルがばんばか建ってたけど、
ロンドンはちがうっぽい。絵に描いたヨーロッパな建物が多い。
まあ、泊まった地域にもよるのでしょうが。
さて、調べたところ、テートギャラリーは、地下鉄で、
WESTMINSTER駅を降り、BIG BEN(あの時計台みたいなやつ)を、
左手に見て進むらしい。
鮮やかに方向を90度間違え、ST James Parkへ到着。
道理で公園ぽいと思ったんだよね。
ハトやカラスだけでなく、リスがぴょンぴょン跳ねてるし。
気を取り直して、ウェストミンスター寺院の前を通り抜け、
テートギャラリーへ。
うむ。
正直聞いた事無い作家のものもかなりあっていささか戸惑ったけど、
オフィーリア(女子が仰向けで河に沈みかけてるやつ)とか、
見た事があるのも多い。
やはりジョン・エバレット・ミレイは好きですね。
でも、レイノルズやゲインズボロー、コンスタブルなど、
日本では余り目に留めないのをちゃんと見たのは収穫か。
帰りは、テムズ川沿いを散歩しながらWESTMINSTER駅へ。
水を覗き込むともやもやして黒黄土色っぽい濁り。
『オーパ』のアマゾン川みたい。
こんな水の中で剣道のお面かぶったまま待ってるビッグ・ザ・武道は、
たぶん大変だったろうなと想像してみたり。
昼飯は、ホテル近くのパブみたいなところで、
フィッシュアンドチップス(S)を食らう。
Sのくせに20センチくらいの魚の半身が揚げられてきて、
割と腹いっぱいになり、部屋に戻ったのである。
シンガポール、バンコクを経てロンドンへ。
到着日は風邪っぽかったので、早めに就寝。
気温差約20℃はさすがに体調を崩して、
くしゃみがとまらねえ夜。
翌朝目覚めるとそんなに悪しくなく、散歩でもという気分。
そういえばロンドンは美術館とか多いとのこと。
夕方の仕事前にちょいと行って来ることにした。
常設展はどこも無料らしいし。
どこにしようか、大英博物館もあれば、
ナショナルギャラリーもあるし・・・
とのことで選んだのはテートギャラリーという、
英国人の画家の作品を集めた美術館。
有名どころは、ターナーとかロセッティとか、ミレイとか。
で、
ホテルの近くのスーパーでサンドイッチとジュースを買い、出発。
どうでもいいけど、ロンドンって、
昔本や写真でで見たとおりの町並みで、逆に驚く。
バンコクやシンガポールや香港は、昔ながらの街並みもありつつ、
かなり現代的なアヴァンギャルドな高層ビルがばんばか建ってたけど、
ロンドンはちがうっぽい。絵に描いたヨーロッパな建物が多い。
まあ、泊まった地域にもよるのでしょうが。
さて、調べたところ、テートギャラリーは、地下鉄で、
WESTMINSTER駅を降り、BIG BEN(あの時計台みたいなやつ)を、
左手に見て進むらしい。
鮮やかに方向を90度間違え、ST James Parkへ到着。
道理で公園ぽいと思ったんだよね。
ハトやカラスだけでなく、リスがぴょンぴょン跳ねてるし。
気を取り直して、ウェストミンスター寺院の前を通り抜け、
テートギャラリーへ。
うむ。
正直聞いた事無い作家のものもかなりあっていささか戸惑ったけど、
オフィーリア(女子が仰向けで河に沈みかけてるやつ)とか、
見た事があるのも多い。
やはりジョン・エバレット・ミレイは好きですね。
でも、レイノルズやゲインズボロー、コンスタブルなど、
日本では余り目に留めないのをちゃんと見たのは収穫か。
帰りは、テムズ川沿いを散歩しながらWESTMINSTER駅へ。
水を覗き込むともやもやして黒黄土色っぽい濁り。
『オーパ』のアマゾン川みたい。
こんな水の中で剣道のお面かぶったまま待ってるビッグ・ザ・武道は、
たぶん大変だったろうなと想像してみたり。
昼飯は、ホテル近くのパブみたいなところで、
フィッシュアンドチップス(S)を食らう。
Sのくせに20センチくらいの魚の半身が揚げられてきて、
割と腹いっぱいになり、部屋に戻ったのである。
不忍池、夢の中へ [日常]
新型コロナ感染の危険から、外出は自粛なんである。
普段は出不精なのだが、そんなご時世にはなんとはなしに反発したくなる。だからだろうか。ある日、お出かけする夢を見た。
良く晴れて、風もそこそこのある春の日。朝起きてうだうだするのに飽き、昼ころ、外出を決め込むことにする。マスクをつけてドアを出た瞬間はただの近所の散歩のつもりだったが、春風に背中を押されると、もう少しだけ遠出をしたくなる。
そうだ、上野行こう。
美術館や博物館はやってないだろうが、なに、公園が丸ごと封鎖されてるなんてことは無いだろう。そういえば、営業時間こそ短縮しているものの、吉池は開いているはずだ。吉池で酒と肴を買って、公園のどこかでランチ。それだ。これは必要かつ緊急の食事なんである。
気もそぞろに電車に乗る。いつもより空いてはいるが、マスク姿の人がそれなりに乗っている。まあ、人の移動を完全に無くすことなどできまいて。都内の川をいくつか渡り、緑と水の流れる景色に後ろ髪引かれながら、秋葉原で降りる。秋葉原から御徒町を経て、上野まで歩くのである。
メイドカフェの客引きを横目にずんずんと。中間目標は、御徒町。
ほどなく御徒町、吉池に着く。一階は鮮魚、地下一階には鮭やら乾物やら、地下二階は酒やら生活雑貨やらを商っている。よかった、営業している。
まず酒だ。
地下二階へ。地方の酒蔵が催事をしていたらそれを買うのが自分としてのセオリーなんだが、こんな時だし催事はないようだ。並ぶ酒瓶を見ながら、そして自分の懐具合を相談しながら、しばしむむむ。選んだのは『初孫』の純米生酛。これなら味に間違いはない。四合で千円強という値段もよい。ついでに350缶のヱビスとチェイサー用の水を買って万全。
次は肴だ。
吉池の鮮魚コーナーは常に素晴らしい。美味そうな鮮魚たちを尻目に、刺身コーナー辺りをうろつく。ホタルイカもよいし、アオヤギなんかも売ってる。カツオやマグロやタイもよい。さて。しばし悩んだ末、4点入り(マグロ、タイ、ハマチ、アカガイ)の刺身盛り合わせを一つ。火を通したのも欲しかったので、鯨の大和煮缶を一つ買う。ついでに刺身醤油。まあ、これでよかろう。
吉池のビニールを下げ、アメ横を抜ける。
閉まってる店もかなりあり、人通りも、無いわけではないがかなり少ないアメ横。文字通り、8割減くらいではなかろうか。すっぽんをはじめエキゾチックな食材に溢れるセンタービルの地下の食品街も覗いたが、やはり半分くらいは閉まっていた。でもすっぽんはある。地上に出てビールを歩き飲み。上野の山の上まで登ろうか悩んだが、疲れそうなので、不忍池のほとりへ。ロビンマスクVSアトランティス。
池の周り、木陰に腰掛ける。密集密閉密接ではないものの、なんだかんだで老若男女、マスク姿の人の往来がある。ジョギングしたり散歩したり自転車にのったり腰掛けて談笑してたり。親子だったり友人だったりたぶん恋人同士だったり家族だったり独りだったり。緊急事態宣言下というのに、マスク姿を除き、ほぼほぼ日常だ。なんと。
妙な感慨にふけりつつ、刺身のパックと初孫を開ける。とりあえずマグロから。端が少しひんやりジャリっとしたので失敗。もう少し置こう。初孫、純米ながら洗練された香りとコクが広がり、喉越しでキリリと締まり、腹に酔いがストンと落ちる。生酛づくりならではなんだろうか。よい。むろん刺身に合う。合わないわけがない。
右側数メートル先に腰掛けてパンか何かを手にしている男性の辺り、スズメの声がかまびすしい。見れば男性の周りにスズメが集い、手にのったりなんだりしている。文鳥ならぬ手乗りスズメだ。なかなかのものである。左数メートル先には、男性が二人腰掛け、消毒用ウオッカの話をしている。
刺身を食べ終えたところで、ちょっと場所を変えることに。池のほとりを歩きつつ、日差しも柔らかくなったので、日向のベンチで再開。初孫は半分くらい残っている。鯨大和煮缶を開ける。甘辛く味付けた鯨肉、白飯のおかずとしては甘塩っぱ過ぎる気もするが、初孫相手だとすこぶる良い。
空はあくまで青く、日差しはちょうどよく、風はやわらかく、スズメ、ムクドリ、ハト、その他もろもろの鳥の声、水面を揺らす鯉、花にはまだ遠い蓮の茎、池の向こうに見える弁天堂、初孫、鯨大和煮。本でも読もうかと思って持ってきていたのだが、そんなもったいないこと、できるわけないじゃないか。
初孫を飲み終えて、さて、どうしようかというところで目覚めて気づけば、不忍池は消え失せて自分の部屋のせんべい布団。奢れるものではないにせよ、ただ春の夜の夢のごとしとは。いささか口惜しい夢の中なのであった。
普段は出不精なのだが、そんなご時世にはなんとはなしに反発したくなる。だからだろうか。ある日、お出かけする夢を見た。
良く晴れて、風もそこそこのある春の日。朝起きてうだうだするのに飽き、昼ころ、外出を決め込むことにする。マスクをつけてドアを出た瞬間はただの近所の散歩のつもりだったが、春風に背中を押されると、もう少しだけ遠出をしたくなる。
そうだ、上野行こう。
美術館や博物館はやってないだろうが、なに、公園が丸ごと封鎖されてるなんてことは無いだろう。そういえば、営業時間こそ短縮しているものの、吉池は開いているはずだ。吉池で酒と肴を買って、公園のどこかでランチ。それだ。これは必要かつ緊急の食事なんである。
気もそぞろに電車に乗る。いつもより空いてはいるが、マスク姿の人がそれなりに乗っている。まあ、人の移動を完全に無くすことなどできまいて。都内の川をいくつか渡り、緑と水の流れる景色に後ろ髪引かれながら、秋葉原で降りる。秋葉原から御徒町を経て、上野まで歩くのである。
メイドカフェの客引きを横目にずんずんと。中間目標は、御徒町。
ほどなく御徒町、吉池に着く。一階は鮮魚、地下一階には鮭やら乾物やら、地下二階は酒やら生活雑貨やらを商っている。よかった、営業している。
まず酒だ。
地下二階へ。地方の酒蔵が催事をしていたらそれを買うのが自分としてのセオリーなんだが、こんな時だし催事はないようだ。並ぶ酒瓶を見ながら、そして自分の懐具合を相談しながら、しばしむむむ。選んだのは『初孫』の純米生酛。これなら味に間違いはない。四合で千円強という値段もよい。ついでに350缶のヱビスとチェイサー用の水を買って万全。
次は肴だ。
吉池の鮮魚コーナーは常に素晴らしい。美味そうな鮮魚たちを尻目に、刺身コーナー辺りをうろつく。ホタルイカもよいし、アオヤギなんかも売ってる。カツオやマグロやタイもよい。さて。しばし悩んだ末、4点入り(マグロ、タイ、ハマチ、アカガイ)の刺身盛り合わせを一つ。火を通したのも欲しかったので、鯨の大和煮缶を一つ買う。ついでに刺身醤油。まあ、これでよかろう。
吉池のビニールを下げ、アメ横を抜ける。
閉まってる店もかなりあり、人通りも、無いわけではないがかなり少ないアメ横。文字通り、8割減くらいではなかろうか。すっぽんをはじめエキゾチックな食材に溢れるセンタービルの地下の食品街も覗いたが、やはり半分くらいは閉まっていた。でもすっぽんはある。地上に出てビールを歩き飲み。上野の山の上まで登ろうか悩んだが、疲れそうなので、不忍池のほとりへ。ロビンマスクVSアトランティス。
池の周り、木陰に腰掛ける。密集密閉密接ではないものの、なんだかんだで老若男女、マスク姿の人の往来がある。ジョギングしたり散歩したり自転車にのったり腰掛けて談笑してたり。親子だったり友人だったりたぶん恋人同士だったり家族だったり独りだったり。緊急事態宣言下というのに、マスク姿を除き、ほぼほぼ日常だ。なんと。
妙な感慨にふけりつつ、刺身のパックと初孫を開ける。とりあえずマグロから。端が少しひんやりジャリっとしたので失敗。もう少し置こう。初孫、純米ながら洗練された香りとコクが広がり、喉越しでキリリと締まり、腹に酔いがストンと落ちる。生酛づくりならではなんだろうか。よい。むろん刺身に合う。合わないわけがない。
右側数メートル先に腰掛けてパンか何かを手にしている男性の辺り、スズメの声がかまびすしい。見れば男性の周りにスズメが集い、手にのったりなんだりしている。文鳥ならぬ手乗りスズメだ。なかなかのものである。左数メートル先には、男性が二人腰掛け、消毒用ウオッカの話をしている。
刺身を食べ終えたところで、ちょっと場所を変えることに。池のほとりを歩きつつ、日差しも柔らかくなったので、日向のベンチで再開。初孫は半分くらい残っている。鯨大和煮缶を開ける。甘辛く味付けた鯨肉、白飯のおかずとしては甘塩っぱ過ぎる気もするが、初孫相手だとすこぶる良い。
空はあくまで青く、日差しはちょうどよく、風はやわらかく、スズメ、ムクドリ、ハト、その他もろもろの鳥の声、水面を揺らす鯉、花にはまだ遠い蓮の茎、池の向こうに見える弁天堂、初孫、鯨大和煮。本でも読もうかと思って持ってきていたのだが、そんなもったいないこと、できるわけないじゃないか。
初孫を飲み終えて、さて、どうしようかというところで目覚めて気づけば、不忍池は消え失せて自分の部屋のせんべい布団。奢れるものではないにせよ、ただ春の夜の夢のごとしとは。いささか口惜しい夢の中なのであった。