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思い出の抜け道、寺子屋、残照 [新宿]

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新宿の名店が、また一つ失われる。

歌舞伎町風林会館近くに、「思い出の抜け道」という通りがある。思い出横丁やゴールデン街よりなお狭い路地の範囲に連なる飲食店街。映画『不夜城』でも使われた中華料理の『上海小吃』なんかがわりかし有名かもしれない。ともあれ、『闇金ウシジマくん』など、フィクションの世界でしか見たことが無いような、それでいて、確かに存在しているその通り。

その抜け道に、燦然と輝く店と人がある。それが、『寺子屋』であり、その女将である工藤翔子さんなんである。

もう20年以上翔子さんが開けている『寺子屋』を知ったのが、10年以上は前だと思うが、いつだかはもうわからない。そのときは、朝5~6時から昼過ぎまで開いている、カウンター居酒屋。酒というのは、夜に飲み始めて朝には帰るもんだ、『寺子屋』は、そんな常識を軽々と破ってくれた。

前日夜から飲み続けまだ帰る気分になれない人、休日の朝から一杯ひっかけに来る人、夜職の終わりに憩いを求めてくる人、そんな、朝からの酒と酒場を求める人々が列をなすのが『寺子屋』だ。ゴールデン街はじめ近隣の店では、いつからともなく「寺子屋待ち」という言葉が生まれ、SNS上の寺子屋開店告知を見た店員は、居合わせた客たちに、「寺子屋開いたからうちは閉めるぞ!」と言って閉店するという慣行すら、一部ではできていた。

寺子屋は、カウンター居酒屋である以上、食べ物も出す。これがいい。店内の黒板に掲げられたメニューは肉魚卵飯麺などとりどりで、あんなに狭いカウンター内、それほど充実した設備があるとは思えないのに、翔子さんが作るものはどれも美味い。個人的には焼飯が好みであり、新宿では思い出横丁は岐阜屋のチャーハンと双璧をなす代物とすら思っている。とはいえ、寺子屋に着くころには酒で食べ物を食えないことが多く、そんな素晴らしい焼飯を食ったのは、年に一回あるかないかではあった。

真夏を除いては、テラス席も味わい深い。店内は7~8人も入れば満席で、あとは店内で立つか、外が晴れていれば、テラス席。といっても、各自店内からグラスを持ち出し、酒のケースであしらったイスとテーブルについてだらだらと飲むだけだ。春や秋は路地を吹き抜ける風がどうにも心地よく、冬はお湯割りの湯気がメガネを曇らす。見上げれば、路地に切り取られた新宿の空。テラス席では飽き足らず、路地で段ボールを敷いて昼寝をする剛の者たちも散見された。

そして何より、店主たる工藤翔子さんの人柄だ。映画や舞台で女優として活躍しているからか、中年を自負する僕よりもちょいと年上のお姉さんながら、すらりとした長身に、凛とした風情と愛嬌。そして、海千山千老若男女からなる新宿の酔客たちを、ときには優しく受け入れ、一朝ことあれば叱り飛ばし、とにもかくにも仕切って見せる手業には、何度となく驚嘆したものである。寺子屋は、翔子さんとそこに集まる人々で織り成される、新宿のいわば小宇宙と言っても過言ではあるまい。

そんな翔子さんも、他の仕事や生活スタイルの影響か、開店時間がいつしか早朝から朝になり、朝から昼になり、昼過ぎになり、という流れにはなりつつあった。何なら、ご愛敬で開かない日もたまにはあった。それでも、寺子屋は寺子屋だった。翔子さんに会えれば楽しいし、そこでのいろいろな思い出もまた、かけがえのないものであった。

珍しく誰もいない寺子屋の前でUSAを踊る練習とその直後喧嘩に巻き込まれた話、翔子さんの誕生日のサプライズケーキを巡る話、店内にいる酔客全員でヤクルト八重樫の真似をした話などなど、くだらなくてバカバカしいけど、どこかキラキラしたいい大人たちの思い出。

それが、翔子さんが寺子屋からいったん退くとのことなんである。2023年7月いっぱい。あまりにも突然の話。

現時点では詳しくは知らないが、『寺子屋』の場所と店の名前は残るそうだ。また、翔子さんも機会があれば臨時で店に入ることも無いではないとのことだそうだ。それはそれでありがたいのだが、やはり、開店時間が遅れようと、開いてない日があろうとも、「工藤翔子のいる『寺子屋』」は、かけがえのない場所である。

だから、翔子さんが店の一線から退くことは、寺子屋の一酔客として、とてもとても、寂しいことだ。といっても、その判断に何があったかは知る由も無いし、詮索する趣味も無い。また、今生の別れということも無い。ほどなく、翔子さんと飲みながら話す機会もあるだろう。

今は、テラス席でだらだらと飲んだ夕暮れ時の思い出と少しの寂しさを抱えながら、翔子さんの新しい出発を寿ぎたいのである。



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