SSブログ

牛やら鶏やら、家畜の扱いをどこまで「人道化?」すべきか [経済]

スポンサーリンク




<参考記事>
抗生物質にまみれ…日本のニワトリが辿る「悲劇」をご存知ですか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81209

鶏や牛とかの家畜にどの程度「人道的」な扱いをするかで優先すべきなのは、食料としての安全性や品質と、経営および生産性向上を含めた供給の安定であり、要は人間の都合にならざるをえないと思う。

もちろん、ひよこなり鶏なりの家畜が、人間や愛玩動物に対しては決して許されないような残酷な扱いを受けて殺されるのは、気分が良いものではない。しかし、それは程度や技術は異なれど、肉を食う目的で家畜を飼ってから人間が有史以来続けてきた営みの延長なはずである。

それを生死から切り離された環境にいる現代人が知ってショックを受けてしまうのは、これまでの知的な怠慢に過ぎないのではないかとも思う。むしろ、その残酷さによって、多くの人間が安価に安全に肉を食えるようになったことの方が、人間にとって大切かもしれない。

例えば近所だと鶏むね肉が100グラム50円台なんだけど、「人道的」な扱いにおける良質な環境のためにこれが100円になれば困る人々も出るだろう。コストの価格移転が直接には無くても、政策として設備や環境改善の補助金が税金から出るのであれば、そのコストはやはり誰かが負担せざるを得ないものとなるはずである。

また、日本国内で家畜のために良好な環境を作ることができたとしても、そのためにコストが上がり、一方で安くて安全な肉へのニーズがあるなら、輸入が活発化するだろう。これは食料安保やトレーサビリティから疑問が残る。輸入基準を厳しくすることも考えられるが、貿易自由化に真っ向から反するはず。

当面は、安全性を満たしているのは大前提として、良質な環境で育てられた家畜の肉はきちんとその旨表示し、消費者の選択を注視することではないか。個人的には、安全であれば安さが第一というニーズも、家畜にできるだけ負担をかけないことを第一とするニーズも、どちらも否定すべきでないと思うので。

もちろん、鶏はじめ牧畜の実態を知り、自分らが食ってる肉の来し方を知るのはとても大事なはずだ。その上で、何千年もの間、家畜を殺し肉を得てきた営みであったり、安くて安全な肉を求め続けてきたりといった人間の営為や欲求について、現代視点からの安易な断罪では無しに、考えるヒントとしたいとは思うんである。



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。