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日露戦争、国民国家の栄光と斜陽 [読書]

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最近、『海の史劇』、『ポーツマスの旗』ともに吉村昭)を立て続けに読んだ。どちらも、日露戦争の話。前者は、日本海海戦がメインで、後者はポーツマス講和会議が舞台。

明治時代、封建体制からたかだか30年余りで、欧米に伍する国民国家を作り上げた、その国民的な努力には素直に敬意を表する。だがそれがいかに人々に無理を強いていたかを感じると、とても複雑な気持ちになる。

今では自明のことだが、日露戦争において、日本は個別の戦闘では連戦連勝だったものの、講和会議のときにはすでに戦争を継続する国力が尽きていた。一方ロシアは、たかだか辺境の果ての局地戦に破れたのみという認識で、戦意十分。

そのような事情を、当時の日本国民は知る由もなかった。

講和の結果ロシアから賠償金が取れないことが判明すると、日本国民は戦争継続を求めて暴動を起こす。日本の国力を考慮した政府の政策判断は、講和会議でロシアに足元を見られないための、すこぶる合理的な判断だった。

しかし、重税による軍備拡張や徴兵制の導入など、これまで欧米に伍する国になるよう我慢に我慢を重ねてきた国民にとっては、戦争で勝利したにもかかわらず賠償金や領土(南樺太を除く)を獲得できなかったことに我慢の限界が来たのだろう。それぞれに国を思い、心からの怒りを爆発させた。

いささか後知恵ではあるが、客観的にいえば、日露戦争は、戦闘の勝利というより、アメリカを仲介にした事態収拾の巧みさや、革命勢力が跋扈するロシア国内に対する情報工作、外債による資金調達等、国家としての総合力が評価されるべきものだったにも関わらず。

思えばここで、国家と国民の幸福な関係は終わったのだろう。そして日露戦争に「勝利」したと思いたがった大多数の人々の擬似成功体験が、大正昭和の日本に大きな呪縛を施してしまったのではなかろうか。

でも、そのときどうすればよかったのか、僕にはわからない。だから、このくだりを読むと軽い眩暈を感じるような、憂鬱な気持ちになってしまう。

そんな、国民国家の栄光と斜陽を、日露戦争から感じてしまうのである。



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