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中華文明雑感~宋から清、そして中共へ~ [その他]

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かつて上野で開催した故宮博物院展の思い出がてらに。

そのときは、例の有名な翠玉白菜の展示も終わって平日だったこともあり、館内思ったより空いていて一安心だったのを覚えている。

殷の青銅器や玉壁など数多あったが、展示の前半、宋代の展示がまず面白かった。西のローマと並び、東洋における古代中華帝国の精髄であった漢が滅び、唐を頂点とする中世を経て、西欧のルネサンスと並び称される宋代。

宋代には、古典の徹底暗記を中心とする官吏登用試験、科挙が完成し、以後、約1,000年にわたり続く、専制君主と士大夫なる文人エリートによる社会指導体制が作られた。そして芸術もまた、士大夫の手でおりなされることになる。

青磁や白磁の品のいいなまめかしさや、典麗な書。特に北宋最後の皇帝である徽宗の書は、やたらモダンな精巧さであり、王羲之を理想とする中華の書とは一線を画す。写実の中に精神性を託す文人画を透かして見れば、数百年後の異国に、雪舟や、狩野永徳、長谷川等伯などの存在がほの見える。なるほど、この辺からきたか。

ところで21世紀の現代まで残る故宮の収蔵品収集に執念を燃やしたのは、清朝最盛期を現出した乾隆帝。18世紀における世界最大の帝国に、60年間君臨した帝王である。

その帝王が、様々な家具や小物にまで関心を持って収蔵品を収集する様子を想像すると、何やら微笑ましい。中華文明の一つの到達点ともいうべき存在が、中華の辺境満州族出身の皇帝というのも、なかなかに興味深い。

乾隆帝の収集物をつらつら眺めるにつれ、中華文明の完成と爛熟、そしてその崩壊の足音が聞こえてくるような気がする。乾隆帝死後半世紀余りの小康を経た後、アヘン戦争という不幸な文明の衝突をきっかけに、支那大陸は混迷と自信喪失に叩き込まれることになる。

清朝の崩壊、国民党政府、国内の混乱、日本との戦争、そして国共内戦を経て、共産党政府の大陸制覇。大躍進運動や文化大革命、天安門事件などの悲劇を経て、中国は、軍事および経済の大国である中国共産党政権として復権し、自信を回復したかに見える。

しかし、自身を回復したはずの中華文明にあったのは、ある意味文明や文化をかなぐり捨てた、裸の軍事力と経済力であった。

おそらく中共政権は、清朝の瓦解で名実ともに終わりを告げた中華文明の、正統な後継者を自任しているのだろう。しかしかつて中華文明が他国からの朝貢と交換に周辺国へ最新の思想や技術を伝えたのに対し、共産党政府は陰に陽に力を誇示し、威嚇を続け、あまりにも国家エゴを前面に出した行動に終始している。

そこに、古代から近代にかけて、日本をはじめ周辺国が憧れた中華文明の姿は存在しない。

中華が再び文明の一中心になるのか、パワーポリティクス上の歴史の通過点として消えるのか。豊饒な故宮博物院の物品を見て、未来の中華に、ふと思いをはせて見た次第なんであった。



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