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素人の主観としての雑な絵画史、ラファエロ以後 [歴史]

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ラファエロと言えば、ダヴィンチ、ミケランジェロと並び称されるイタリア・ルネサンスの天才との触れ込み。大物だ。その絵画は、一言でいうなら、心地の良い絵画空間を構成する。そして、その心地よさは、どこか、倦怠にも似ているような気がした。

西洋の絵画芸術を人間世界に取り戻した【point of no return】の代表選手が、ラファエロではないかと思う。

古代ローマ後期以降、人間の営為に絶望して普及したキリスト教は、全てのものを神に、そして宗教生活に従属させた。もちろん、絵画もその例外ではない。

イスラムを通じてキリスト教「以前」を知った地中海世界は、「神」を一気に相対化させ、ルネサンスが始まる。光学の理解による遠近法や解剖学を前提とした人体描写による絵画世界は、中世絵画とは完全に一線を画す。

また、画家個人の自我の自覚がなされるのも、このころからだ。

題材も、聖書を中心とする歴史画から、少しずつではあるが、より身近な存在である肖像画であったり、同じ歴史画であっても、キリスト教ではないギリシアやローマなどにシフトしていく。

このような、技法や技術、画家個人への注目、題材の多様化などは、ラファエロで一つの完成に達し、広く西洋に普及したのではなかろうか。

ミケランジェロで確立され、ラファエロで完成された方法論は、より強い表現を求めつつ、マニエリスムの袋小路で輝く。

反キリストを内包するルネサンス文化を警戒する教会は、より分かり易く、ドラマチックに聖書の世界を描く光と影のバロック様式を生み出した。しかし聖書よりも着目されたその絵画技法は、プロテスタントが栄えるネーデルラントで、ルーベンスやレンブラントの絵画として花開く。

荘重なバロックから軽快な宮廷生活を描くロココ様式、古典主義、ロマン主義、写実主義へと絵画の対象は移り変われど、そこには様々な人間の生活や生き様、そして物語が映し出されることに変わりはなかった。

模倣するにせよ反発するにせよ、ルネサンス以後の西洋絵画は、一度は、「ラファエロ的」なものを通過しているのだと思う。だからこそ、ラファエロの一連の絵画を見たとき、どこか、倦怠や既視感に似た心地よさがあったのだろう。

ルネサンスが、キリスト教から絵画を解放したとすれば、視覚や光学のさらなる知識の普及から生まれた「印象派」は、絵画そのものを他の芸術から自立させるきっかけとなったのかもしれない。

絵画が、平面に盛られた絵の具の塊である以上、そこには、何らかの具象物を映し出す必要は無い。

19世紀末以降、人間の内面への関心が高まるにつれて、神話や色、形のイメージを借りて、目に見えないものを映し出す象徴主義が現れる。

また、絵画が絵の具の塊であるとすれば、例えばアングルの裸婦像も、線で区切られた絵の具の平面に過ぎない。人に何らかの感動を与える表現であればいい。

ここまでくれば、モンドリアン、カンディンスキー、ポロックまでは、ほんの一息だ。絵画はここで、何かの模写や模倣ではなく、自立する。

ただ、絵画の自立が絵画と画家にとって有益だったかは、分からない。

結果、絵画の世界は、画家が自我と表現を競うあまり、一人一人の世界に細分化され、孤立化をしてしまったのではなかろうか。

孤立化した絵画は、まるで磨き上げられた壁面のように、他者の理解と共感を拒絶してしまう。それは、共通項であったはずの人間性が、個々の主観に分断されている現代を象徴するかのようだ。

なんて素人の記憶をまさぐりながら、西洋絵画を雑に振り返ってみる師走の午後なのである。



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