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【読書】ヒトラー演説~熱狂の真実~ [読書]

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『ヒトラー演説~熱狂の真実~』(中公新書)読了。

ヒトラーの演説を分析し、150万語に渡る使用語彙と話法を、ナチスを中心とした
ドイツ近代史と絡め、時期ごとに解説したもの。面白かった。

ヒトラーの演説というと、政権奪取後の大規模な党大会のイメージが強いが、
実はその内容やフォーマットは、「わが闘争」が公表された1920年代末には、
ほぼ完成の域に達していたらしい。

政権奪取以降は、完成された演説が、マイク、スピーカー、ラジオ、映画の発達で、
国内外の津々浦々に配信され、文字通りプロパガンダは洗練の粋を見せる。

しかし、絶頂は常に衰退を孕む。

そのような大規模な舞台装置が整えば整うほど、そして総統の肉声が世界に広がるほど、
総統の声は飽きられ、強制視聴や強制動員といった不毛な施策へと落ち込むことになる。

そしておそらく、そのことに一番敏感だったのは当のヒトラーだったのかもしれない。

1939年ころをピークに、ヒトラー自身の演説の数はめっきり減り、代読や、ゲッベルス等の
他の幹部の演説も見えるようになってきた。

これは、戦況の悪化等もあるだろうが、ヒトラー自身が、政治や軍事における演説ないしは
イメージの限界を痛感し、倦怠を感じていたのだと思う。

人々を熱狂させ政治的なエネルギーを調達するために、言葉やイメージは不可欠だ。
しかし、言葉やイメージだけでは、配給物資を増やすことはできないし、ソ連の戦車を
破壊することはできない。

ヒトラーは、政治における言葉やイメージが発揮する最大限の効果とその物理的な限界を
世界史で体現した人物と言えるのかもしれない。

さて、水木しげる『劇画ヒットラー』によれば、生涯ヒトラーは自称芸術家であったという。

ヒトラーという自称芸術家が政治に挑み、多くの物理的悲劇をまき散らしながら敗北していく、
ナチスドイツの運動とは、そのようなものではなかろうか。



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