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問題意識の素描 [その他]

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社会的分業の進化と生活のアウトソーシング化によって、
人は、自らの生活能力を減退させつつある。

通常は、そのことに気づくことすらないだろうし、
その流れをとどめることは誰にもできないだろう。

なぜなら、それは便利で自由な生活だからだ。

便利で自由な生活のどこが悪いのだ。
面倒なこと、いやなことは誰だってしたくない。
分業とアウトソーシングが進めば、その費用がかかる。
みんな、生産と消費を拡大し、経済成長のマッチポンプが
成立する。ある意味、いいことづくめだ。

こうして、人は主観的な万能感に浸りつつ、
客観的にはどんどん無能力化していることに、
気づこうとはしないし、誰も教えようとはしない。

それどころか、経済は需要に従い、主観的な万能感を助長する
コンテンツを手を変え品を変え提供し続ける。
しかも最近は、年少者が大きな市場となっている。
年少時代から、消費社会の中で育ち十分な万能感を身につけた
「保育器の中の大人」(岸田秀)が、こうして大量に栽培される。

そしてある日突然自分の無能力に気づき、驚愕する。

なぜ、私の意思が阻害されるのだ。

万能感にとって自分の意思がかなわないということは、
自分に対する不当な侵害以外の何者でもない。

敵は、他者なのだ。

そのとき人は、自由、もしくは考えられる美名の下に、
自分に不当な侵害を与えていると考えられる者を、
情け容赦なく排除しようとするだろう。

「神は自己だ。僕は絶対だ。」(夏目漱石「行人」)

こんな言葉は、明治よりも平成にこそふさわしい気がする。
夏目漱石は、坂の上の雲を追っていた時代に、いったい、
何を見ていたのだろうなあ。

やれやれ。



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