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制度と個人、昭和天皇の場合。 [読書]

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「昭和天皇伝」(伊藤之雄)読了。

明治憲法における天皇の制度的役割と昭和天皇の個人的葛藤を知る良書だと思いました。内閣総理大臣に国政の権限を集約させた現行憲法に比べ、明治憲法ははるかに デリケートで分権的な仕組みです。

確かに天皇は統治権の総覧者だが、万能ではなく、大臣の輔弼に制限される他、枢密院や元老など、憲法にも規定の無い様々な政治勢力の一つに過ぎません。 天皇としての政治権力の源泉である権威を守るには、その指示は必ず実施されねばならず、政治勢力間の微妙な調整が不可欠です。

真面目で杓子定規な若き昭和天皇は、ときには、張作霖暗殺の責任を追及し田中義一首相を辞任に追い込むなど突っ込み過ぎた介入をし、ときにワシントン条約問題では消極的に過ぎ、統帥権干犯問題を顕在化させたるなど、明治天皇と比べ、国政への距離感が測りきれず。

治世初期から伊藤や山県、岩倉などの大物政治家との直接の接触を通じて政治的カンを培った明治天皇と比べ、唯一の元老西園寺は高齢に過ぎ、頼れる側近が牧野伸顕しかいなかった昭和天皇では、どうしても政治教育に限界があったという指摘はユニークです。

2.26事件で叛乱将校の処罰を命じた大元帥であるはずの天皇の意向が、数日にわたり軍に無視されるという点、明治憲法下の天皇の権力を率直に示しているといえるでしょう。

憲法秩序において軍部を止める合理的な手段は無く、大東亜戦争は開戦。

ただ、経験を積んだ天皇の判断は戦況悪化とともに徐々に円熟味を増してきます。軍部の一部を巻き込み政治勢力をどうにか糾合し、時期的にも条件的にもギリギリのところで終戦 にこぎつけることに成功しました。

戦後、立憲君主としての政治的権能を奪われるも絶望せず、象徴として、戦争の道義的責任を癒すために国内外を奔走します。 そこにあるのは、失敗と成功を繰り返しつつ、時の憲法に定められた自己の職務に一貫して忠実であろうと努力し続ける、真面目な日本人の姿でした。

ところで、入江隆則氏の『敗者の戦後』では、ナポレオン戦争のフランスと第一次大戦のドイツ、大東亜戦争の日本の戦後を相互比較し、天皇を象徴とすることで、国民における政治的正当性を確保することで国内の政治的混乱を最小限に食い止めた日本を高く評価しています。

皇室については賛否あるでしょうが、日本国民にとって有用であれば活用すればよいと思うし、少なくとも、昭和天皇のような真面目な日本人がその地位におられるのならば、十分に使い勝手はあると思いました。

などといささか不敬な感想まで。

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