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メタフィクションと混沌~『第三世界の長井』~ [読書]

かつてゲッサンで不定期連載され、そのたびに立ち読みしていた、『第三世界の長井』の1~4巻を改めて読んでみた。

帯に「ながいけん上級編」とあり、ながいけん閣下の代表作にして個人的には少年ギャグマンガの金字塔だと思っている『神聖モテモテ王国』(愛称:キムタク)のグルーピーで秘密マンションの秘密を暴きたい我が身としては、まとめ読みの期待180%(約二回期待する計算)。

で、だ。

むむむ(横山光輝三国志風に)。。。

立ち読みで読んでよく判らなかったのが、まとめ読みで、なおさらメダパニル感じ。

いや、確かに面白いのだよ?

キムタク以来のエッジの効いたパロディや、当時の時事ネタ(「シンゴー」)、無駄なポエム、何の脈絡なく中年男性の写真(主人公の父親)が登場するなど。なんか絵もうまくなった気がするし。個人的には、マッハエースの狂人ぶりの味わいが好きだし。

正直、これよりつまらない漫画は、世の中に、大量に流通している。

ただ、なんというか、読み返すたびに、「痛ましさ」や「苦悩」という、ギャグ漫画らしからぬフレーズが浮かぶ。推測に過ぎないが、おそらく、ながいけん閣下は、キムタク的な世界に対する、メタレベルでの説明を漫画の中で完結させようとして、収拾がつかなくなっている。

その傾向は、実はキムタク末期の当時からあったのであるが。

「こんなこと描いて、わかってくれるだろうか?」

そんな読者への不信に似た感情が透けてしまう気がする。説明なんか全くなくても、読者は読者で勝手におもしろがるのだが。

その辺りの潔さが、例えば、たぶん長尾謙一郎さんにはあるのかもしれない。そこにあるのは、ギャグマンガとメタフィクションと、そして混沌であり、漫画を読んであまり感じない気持ちになったので、備忘までに。

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紀伊国屋、モンスナック、カツカレー [新宿]

いつの間にか、モンスナックが紀伊国屋ビルに戻ってきていた。

とろみが付いてない、シャバシャバとしたスープ状のカレーが名物の店。年に一回くらいは顔を出しては、カレーを飲み下すのを常としていた。

あるときは、朝どころか昼まで飲んだ後にするすると喉と胃袋に滲みるカレーの滋味に感謝し、またある休日のランチ時に訪れ、常と異なるややもったりとしたダル(豆)カレーに舌鼓を打っていると、カウンターのはす向かいにいた知人N氏に気が付いて目が合い、お互い気恥ずかし気に会釈したこともある。

紀伊国屋ビルの改装に伴い近隣の別店舗で営業をしていたのだが、どうも紀伊国屋に無いモンスナックには気が進まず、行かずにいたのである。それが、帰ってきた。

で、夜の用事が済んだときに行ってみたのである。

以前は、店員が中を通れるU字状のカウンター席のみだったが、改装後はテーブル席とカウンター。店内に貼られていた有名人たちのサイン色紙も今は無く、歴史を感じさせるものは何もない。むしろ、モダンな感じすらしないでもなく、ちょっとだけ違和感。

とはいえカツカレーを注文し、待つことしばし。

運ばれてきたカツカレーの姿に、まずはほれぼれする。モンスナックに限らないが、カツカレーは好物なのだ。トンカツも好きだし、カレーも好き。カツカレーには、そんな欲望を存分に満たそうとするパワフルな業の深さがある。かつ丼もよいが、カツカレーの方が業が深いと思っている。褒めてる。

いそいそとカツをカレーにひたして食らいつく。カリ、ジュワ。揚げたてのカツの衣の食感に、口の中に広がる豚の脂と肉汁。それらを包むカレーの出汁とスパイス。モンスナックのカツはカレーと合わせるためかやや薄い印象だったのだが、心なしか、以前よりカツが厚くなった気もする。

ついで、カレーのみをスプーンで掬う。ベースはポークカレーであり、カツと含めて豚肉&豚肉。カレーにほとびた豚バラ肉のほろりとくる味わいは素晴らしい。もちろん、カレーはとろみのついてないシャバシャバだ。スープのように啜れば、カレーの香りと出汁のコクがきちんと立ち現れる。

佳き。

途中、知人のG氏が近くに席を取ったのが見えた。向こうも僕に気が付いたらしく、やはり、苦笑いしつつ軽く会釈し合う。

ともあれ、あとはほかほかの白飯で、カツとカレーのアンサンブルを楽しむのみだ。中年の衰えた消化器に喝を入れつつ、カツを咀嚼し、カレーと白飯を吸い込んでいく。皿は瞬く間に空になる。付け合わせのミニサラダでさっぱりし、満足満足。

カレーの名店、カツカレーの名店は数あるし、モンスナックよりも評判が良い美味しい店はあるに違いないが、それでも、モンスナックには、一抹のかけがえなさがある。

時は移ろい、人は死に、街は変わる。それは仕方ないことだ。自分だって10年前の自分とはいろいろな意味で変わっている。それでもなお、変わらない思い出の象徴のようなものが人や街に残っていると、何とはなしに、嬉しいではないか。

モンスナックのシャバシャバのカレーは、自分にとっての新宿のそんな嬉しさを灯してくれるものの一つなんである。

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短歌、俳句、冬~春(2023年11月下旬~4月中旬くらい) [その他]

燗酒を啜る背中に熊手買う拍子木の音刺さる夕暮れ

霜月の上野の山の夕暮れを黒一閃に割く大烏

立つ湯気に浮かぶまだ見ぬ家族かな

茶葉買えぬ家に白湯沸く侘び師走

望みなき師走の午後よ長閑なり

恥を背負い生き長らえた足跡よ師走の雨に溶けて流れよ

吐く息の白きは魂か今朝の生

隅田川照らす灯りに星の降るアルルよぎれば帰りの車窓

背中押す師走の風の冷たさは清く厳しい師の声に似て

死に損ねまた蕎麦香る大晦日

元旦に白湯温かし生きよ皆

翼無く命綱無く果てし無く虚空を落ちよ刻至るまで

成人の日を振り返る老い支度

独り寝に心凍てつく寒さにも残躯蝕む熱の火照りは

白湯啜り己の冬を生き延びよ

待ちわびた姿おぼろに寒い夜

芯までかじかんた指で文字を打ち君の返事のぬくもりを待つ

脳髄にハリガネムシを飼うごとく鈍き水面に身投げ思えど

傘の無い我が身を射るや冬の雨

雨の夜に会いたい人の面影が思いの底に揺らぎかそけし

うなだれて吐くため息の白き朝

白湯に溶く醤油に暖の春まだき

生きる気持ちは心から枯れ果てても髪と爪とが伸びる我が身は

如月の雨をたくわえ香る土

稲妻が裂く雪の夜の裁きかな

世の中はとてもかくても膿爛れサルダナパールの鼻は崩れぬ

積もる雪融かすや祈る経の声

街角に冬のほどける風優し

黎明に冬討つ風の凄まじき

春雨の闇にカレーの香りかな

ぬるまった燗を惜しめば名残酒

雨寒し抗う冬の涙かな

燗酒の湯気を透かして恋心

暁に覚めれば白きなごり雪

逝く春や平成遠くなりにけり

ひねもすの春雨に酔うつぼみかな

花散るや風凄まじき朝ぼらけ

凍てついた風に射られて彼岸かな

泣けるまで大蒜まぶせ初鰹

花冷えの闇に震えて沸かす白湯

夜桜の知られずに散る思いかな

花冷えが凍みて目覚める午前四時

君と僕。いつか必ず死ぬことがただ一つだけの近しいところ。

花冷えに抱かれ闇に咳一つ


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