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ある暑い日、まるます家、鯉の旨煮 [食べ物系]

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先日また、赤羽のまるます家へ行ったのである。暑い最中、休日だったこともあってか行列ができており、一応庇の下には入れるものの、店の人が保冷剤を配っていた。30~40分ほど並ぶうちに、その日の作戦を考える。

酒は日本酒が好みだが、赤羽の銘酒丸真正宗が無くなったのは寂しい。サッポロラガービールもよいが、ここは爽快感と他所であまり飲む機会の無いジャン酎にするか。食べ物は、鯉の洗いを頼むのは確定。鰻も名物であり白焼きで飲むのは最高ではあるが、適正価格ではあるものの、やはり自分の懐では安いとは言えない。揚げ物という気分でも無いし、と悩みつつ店の入り口近くに、鯉を推すポスターが目に入る。洗い、鯉こく、旨煮。

洗いと鯉こくは食ったことがあるが、そういえば、鯉の旨煮は食べたことがない。これで行こう。あとお新香なり何なりを頼めば、1リットルのジャン酎の肴としては、申し分あるまい。などとつらつら考えているうちに、行列は終わり、店内に入る。

カウンターにかけて、まずはジャン酎をどぶどぶとグラスに注ぎ、鯉の洗いをキメル。まるます家の鯉の洗いは、新宿は思い出横丁の岐阜屋における蒸し鶏と同じ位置づけであり、とりあえずの一品として申し分ない。旨煮にいきたいが、鯉が続くのもなんなので、セットアッパーに、たぬき豆腐ときゅうりの漬物。浅漬けを想像していたきゅうりがしっかりとぬか漬けだったのはポイントが高い。

ジャン酎を六分ほど飲んだ辺りで、いよいよ鯉の旨煮を頼む。

きゅうりを齧りながら少々待つと、鯉の旨煮が登場。平たい皿に、内臓も何もかも筒切りにした鯉が乗り、濃い醤油色と脂のギラつきが、攻撃力の高さを予感させる。いざ、箸をつけ、食らう。

おお。

第一印象は、舌の奥に突き刺さらんばかりの剛毅なまでの甘塩っぱさ。砂糖と醤油がこれでもかという風情。そして、その甘塩っぱさに負けない、鯉の力強い風味。それは、ぎっちりとした身はもちろんのこと、みっちりとした皮目のゼラチン質や脂、食感こそ残るものの噛んで食える鱗、そしてほろりとした臓物から放たれる旨味である。泥臭いとは感じないが、鯛やらのどぐろやらとは違う、まさに鯉としか言いように無い香りがある。

なるほど、これは、文字通り旨煮だ。

口の奥から脳髄にキンキンと響くような甘塩っぱさを噛み締めながら、辻留店主の辻義一が書いていた一節を思い出す。それによれば、京都に比べ江戸の料理はおしなべて砂糖と醤油を多く使うとのこと。江戸時代以降、当時は高級品だった砂糖と醤油をふんだんに使って見せることは、いわば料理人の心意気でもあったのではないかと推測している。もちろん、辻義一はそのことを決して褒めてはいない。

辻義一には敬意を払うとしても、鯉の旨煮のこの甘塩っぽさは、味覚を惹き付けて止まない何かがある。美味い不味いの話ではない。むろん毎日ではあり得無いが、ときおり無性に食べたくなるような、そんな味。体調もそんな気分だったのだろう。

みたらし団子のタレをも遥かに凌駕するようなこの甘塩っぱさに耐えるのは、鯛ではまず無理だろう。鰤ならいけなくもないだろうが、まだ鰤の方が弱い気もする。むしろ豚肉がありえなくもないが、さすがに豚の脂がくどすぎる。となると、やはり鯉が適任なのかもしれない。気が付けば、口の中の甘塩っぱさと鯉の風味をジャン酎で洗い流す機械と化す。

しばらく鯉の旨煮を堪能し、ジャン酎を平らげる。醤油色の皿を尻目に、最後、残しておいた二切れほどのきゅうりの漬物をポリポリとやり、まるます家を後にしたのであった。



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