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人材育成の気概とは?経団連の提言報道への雑感 [経済]

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経団連が、学校教育や教員の改革に関する提言を出した旨報じられた。報道でしか見てないので理解が粗々なのはご愛敬だが、要するに、子供や若者の教育について、もっと将来の企業での労働を意識したものにしてほしいという要望のように感じる。

まあ、そういう気持ちは分かるし、教育にもいろいろと改善が必要なことが多いのは理解できる。一方で、「企業にとってもっと使い勝手のいい労働者を輩出せよ」と言っているかのように見える経団連の主張には、なんだかなあという違和感を禁じ得ない。ざっくり言えば、経営という、いわば人を指揮して目的を達成する業務への認識の齟齬である。

ちょっと突飛だが、歴史上の戦争になぞらえてみよう。

戦争では、士気が高くて優秀な兵士がたくさんいれば勝てる可能性が高まるだろうが、そんな事態にはほぼ恵まれない。だから、士気が低くて弱い兵を率いてどう勝つかを考え抜くのが古今東西問わず指揮官の仕事だったはず。でも経団連とかの提言を見る限り、21世紀日本の経営層は指揮官としての仕事ぶりがかなり微妙な気がするのである。

弱くて士気の低い兵士で勝つには、まず一つ、時間かけて経験を積ませて精鋭化させるのがある。例えばアルプス越えという苦難の共通体験で一体感を高めたハンニバルなんかがそうだし、ガリア遠征の8年兵士とほぼ寝食を共にして規律と関係性を築いたカエサルなんかもそうだと思う。

または、策略を用いて敵を弱めるのも有効だろう。例えば、自軍が弱いという風評を利用して魏の将軍龐涓を油断させ強行軍を強い、伏兵を用い馬陵で打ち破った斉の孫臏が挙げられる。敵を弱めるのではなく、逆に背水の陣で自軍の士気を無理やり底上げして勝利した韓信も、やはり稀有な指揮官に違いない。

指揮官が地位や名声や高い給料をもらえるのは、成果を上げる仕組みを作ってそれで実際に目的を達成するからであろう。仕組み作りもせずに、良い兵士や下士官を揃えられないから勝てないと嘆き、兵士や下士官の尻を叩くのみの指揮官は、いかに優秀な兵士や下士官だったとしても、指揮の任ではないとは思う。

これを経営になぞらえれば、結局、ビジネスモデルとマネジメントをいかに構築するかにあるはずだ。GAFAやらテスラやらなにやらと比べるまでも無く、80年代に世界を席巻した日本企業が以降後発の海外企業の後塵を拝したのは、労働者の意欲や能力が急激に落ちたからというより、むしろ、ビジネスモデルやマネジメントの変革についていけなかったためではなかろうか。

仮に営業や経理や何やらで一流の実績を上げたビジネスパーソンでも、それが指揮官として、すなわち経営者として有能かというと必ずしもそうでなかったのが日本企業なのではないか。

まあ、ハンニバルもカエサルも孫臏も韓信も、歴史上燦然と輝く将帥だし、それを基準に現代の経営者を云々するのはさすがにどうかと思うのは百も承知だ。ただ、経営、特にビジネスモデルやマネジメントの改革がロクに見えないまま、「どっかから優秀な人を雇えば勝てまぁす!企業にとって優秀な人を教育しない世の中がいくないです!」みたいな言動見るといくらなんでもとは思うわけで。

もちろん、経団連企業の経営層のまじめさや、彼らがそれなりの実績を果たしてきた事実を疑うものではない。しかし、一労働者としては、日本国内によりよい雇用やサービスを生み出すのであれば、別に日本人経営者で無くても良いし、なんなら日本企業でなくてもよい。

戦争の帰趨が末端の兵士の勇猛さ強靭さで決まるものではないように、企業経営の成否は末端の労働者の能力で決まるものではあるまい。何よりも経営層の判断が最重要であり、現在の企業の状態はその判断の積み重ねの結果のはずだ。経団連におかれては、労働者の改革を主導するよりも先に、まずGAFAに負けぬ良質なビジネスモデルとマネジメントを提供できるよう、経営層の改革にこそ力を入れるべきではなかろうか。

≪参考記事≫経団連が学校に喝「人材育成の気概を持て」
https://www.news24.jp/articles/2020/11/22/06766967.html



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