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新・帝国論、試論にして始論 [政治]

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人間の多様な属性を多様に維持したまま、なおかつ統合していくための政治形態として、歴史における「帝国」を見直し、その知恵を活用していく必要性が現代にあるんではなかろうかとざっくり思っているんである。

本来、「帝国」といえば複数の民族や文化や政治共同体を統合するための政治形態であったと思う。ローマしかり秦しかり、モンゴルしかりオスマンしかり、ソ連しかりアメリカしかり。ただ、現代においては、何となくデカいし、軍事力による圧政や弾圧とか、悪そうなイメージがつきまとう。どちらかと言えば、「民族自決」や「エスニシティ」が優先される現代、ある国を「帝国主義」的と指摘するのは、おそらく、褒めてはいないだろう。

このように、「帝国」がある意味否定された現代においてではあるが、人間のアイデンティティを構成する要素が人種、宗教、民族、複数国籍、性的嗜好などなどに多様化し、それに基づく主張が拡散される結果、多様性の名の下に、人々の属性の孤立化が進んでいるように思われる。アイデンティティを国家にある程度結び付ける近代国家の試みは、大いに相対化されているのではなかろうか。

現代の生活水準を維持向上させていくために、かつては「帝国」とは言えなかった政治形態や政治的共同体の下でも、「帝国」的な発想、つまり多様な文化やアイデンティティを持つ人々を共同体としてどのように統合していくか、という発想が必要になってきたのではないかと思う。

理由は、求心力と遠心力のバランスを取る必要があるからである。

現代では、歴史上の様々な「帝国」以上に、国境を越え、あるいは国境の内部で分業が進み、人々の文化や経済活動およびそれらを実現するための通信や交通のインフラが密接につながっている。少なくとも先進国において生活水準を維持しようとすれば、ヒト・モノ・カネを国境を超えて動かさざるを得ないだろうし、一つの国の内部でも、統合されたインフラの利用が生活水準維持の前提であろう。

高度な分業と統合されたインフラの利用が強い求心力をもって現代の生活水準の維持向上を果たしている一方、それらを破壊する遠心力もまた強い。それは国家間であれば例えばナショナリズムであり、個人であれば、政治的信条、宗教、人種、性別、性的嗜好などのアイデンティティとなる。そして、BLM運動などのように、アイデンティティの遠心力を完全に封じることは、もはやできないだろう。

このように、我々の生活は求心力を持った分業とインフラの体系によって支えられているにも関わらず、その体系は、アイデンティティの遠心力により常に弱体化ないしは破壊の危険にさらされていると言えるのではなかろうか。

求心力と遠心力。これらのバランスを取るには、多様性を維持した政治形態がどうしても必要になるだろう。そこで、歴史における「帝国」ないしは「帝国」の考え方が必要になってくる背景が立ち現れるのである。

歴史上の「帝国」は、その成立の背景や、治乱攻防、盛衰の推移など、様々な特徴を持っている。しかしそれぞれの「帝国」が、何らかの多様性を領域内におさめつつ、一定程度の平和なり政治的安定を持続することができていたのは、共通の事実といってよかろう。

とりあえず、一つ一つの「帝国」が多様性を内包した政治共同体を実現、維持するために、どのように知恵を絞ってきたのか、折に触れて学んでいくことにしよう。

そんな、試論にして始論なんである。


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ClintonHY

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by ClintonHY (2022-01-18 20:24) 

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