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【読書】国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ(中公新書) [読書]

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18世紀ヨーロッパからと銘打っているが、その前史である、三十年戦争を頂点
とした17世紀の宗教戦争や、ハプスブルク家VSブルボン家の対立にも触れ
ており、世界史の復習として大いに楽しんだ。

個人的には、国際秩序は勢力均衡概念以外にありえないと思っていたが、
この本では、「均衡」という力の要素を大前提に置きながらも、「協調」
「共同体」といった国際秩序の形成要因が、歴史上の事例を基に丁寧に
指摘されている。

18世紀は、太陽王ルイ14世のフランスに抗すべく締結された対仏同盟後、
フランス、イギリス、オーストリア、ロシア、そしてフリードリヒ大王
治下で躍進したプロシアの5大国による勢力均衡時代に入る。

勢力均衡の時代は、ある意味寛容と多様性の時代であり、啓蒙思想が
華やかな理性主義の時代であった。大国の君主たちは、パワーバランス
を保ちながら、大国間の大戦争に陥ることなく、秩序を構築していく。

この均衡を破ったのが啓蒙思想の鬼子であるフランス革命とナポレオン
戦争だったのは、大いなる皮肉であった。ナポレオンの軍事的天才と、
革命のナショナリズムによる暴力は、寛容と多様性と理性を、物理的に
引き裂いていった。

壊れた勢力均衡を戻すために、イギリスは幾度にもわたる対仏同盟を
組織し、どうにかナポレオンを封じた後、ウィーン体制が訪れる。

ウィーン体制の立役者は、オーストリア宰相メッテルニヒと、イギリス
外相カッスルレー。彼らの総合的評価はさておき、ナポレオン戦争後の
混乱を大国間の秩序に収れんさせることに成功した。

そこにあるのは、両者のみならずフランスも含め、各国指導者間に共有
された、18世紀的、理性主義的、コスモポリタン的教養であり、敗戦国
フランスに対する戦勝国の自制と寛容である。

このように各国指導者が共通の時代認識を持ち、大国間の会議によって
紛争の解決を模索するとき、そこに均衡を前提とした「協調」の体制が
成立する。

ウィーン体制は30年ほど後、オーストリアの2月革命を頂点に、各国国内
のナショナリズムと君主制への疑問で内政的な危機を迎え、大きく変質
してしまう。変質後の国際秩序を担ったのは、ドイツ帝国宰相ビスマルク。

オーストリア、フランスを破ったプロシアは、ドイツ帝国として
ヨーロッパ中部に君臨する。それは勢力均衡を破り、ナポレオンの
ときのようにヨーロッパは戦乱の巷になる、はずだった。

しかし、ヨーロッパ内のフランス封じ込めを主眼としたビスマルク
外交は、弱体化したオーストリア、帝政ロシアとの同盟、そして
ヨーロッパ域外でイギリスに対する配慮を重ねるという離れ業で、
ヨーロッパでの平和を実現する。

それは、ビスマルクという政治家の個性に依存した「均衡」の体系への
回帰だった。当然、約30年ほど国際社会で力を振ったビスマルク退任後、
この均衡はあっさり綻びを見せる。

急進する国力を背景にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が世界政策を唱える
中、まずフランスがロシアに接近し、三帝同盟の一角が崩れる。また、
世界政策は七つの海でパックスブリタニカを誇るイギリスを大いに
刺激し、瞬く間にドイツは孤立した。

ビスマルクと「協調」を欠いた勢力均衡は、猜疑心による軍拡競争に陥る。
ドイツの友邦は往年の力がもはやない、オーストリア。列強としての地位を
維持したいオーストリアにとり、東欧のバルカン半島へのロシアの浸透は、
我慢ならぬ事態であった。

バルカン諸国は、オーストリアやロシアの力を背景にバルカン戦争で
合従連衡を繰り返す。オーストリアとロシアが列強のメンツをかけて
軍事衝突すれば、それぞれの同盟国ドイツとフランスが戦う。

こうして、第一次世界大戦というヨーロッパ史の一大カタストロフが
始まった。その結果、ドイツ帝国、オーストリア帝国、オスマン帝国、
ロシア帝国が崩壊。代わりに、ヨーロッパ域外のアメリカ、そして日本
が国際社会で台頭することになる。

戦後の国際秩序は、ウィルソン率いるアメリカが主導することになった。
国際秩序の舞台が、ヨーロッパから大西洋に代わる。

ウィルソンは、ヨーロッパ流の勢力均衡政策を大戦の遠因として排斥し、
その間隙を埋めるものとして、国際連盟を創設。ここに国際秩序は、
「共同体」の考え方を取り入れることになる。

ただ、勢力の「均衡」を完全に否定するウィルソンの「共同体」構想は、
アメリカ国内での挫折に加え、ナチスドイツと日本の台頭に対し、あまりに
無力であった。

そして、第二次世界大戦。

戦後の冷戦秩序は、主に全面核戦争の恐怖とともに語られることが多いが、
そこには、米ソの微妙な「均衡」と「協調」とそして米ソともに常任理事国
である国際連合という名の「共同体」が存在し、全面的な破壊を免れていた
という、著者の指摘は面白い。

冷戦後。

国際秩序はヨーロッパを超え、中国の台頭とともに、太平洋が主役に躍り出る。
太平洋の力の実態は、日米中であるが、この3国には、ウィーン体制における
列強のような共通の認識が無く、裸の勢力均衡しかない。

「協調」の無い勢力均衡は、第一次大戦前夜のヨーロッパのような、猜疑心と
軍拡競争に陥り、全面戦争のリスクが高まる。

この地域に、「協調」や「共同体」が作れるか否かが、今後の課題なのだろう、
のような感じで本書が締められている。

などと、歴史のおさらいと、今後の国際秩序の一つの見方を面白く学んだ。

ふと思ったのが、紀元前5世紀から3世紀における、シナ大陸の戦国時代。
あの時代の割拠も、かなり国際秩序のようなものになっていたはずだ。

にも関わらず、国際秩序は近代ヨーロッパから考えられる。シナ大陸が
統一と分裂の両極端を繰り返したのは何故だろうか。

近代ヨーロッパを思いながら、東西の違いを考える宿題も背負った気がする。
ま、折に触れて調べてみましょ。



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Felipa

Dɑddy wins!? Thе twѡins decⅼareɗ.
by Felipa (2018-04-13 02:10) 

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