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子どもの貧困。論理と正しさを超えて [生活]

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子どもの貧困に関する湯浅誠氏のコラムが、コミュニケーションの問題として示唆的だったのでシェアします。

【子どもの貧困 「昔のほうが大変だった」への対処法】
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161206-00064974/

戦後間もない頃から、高度経済成長やIT革命を経て、人類史上を見回しても劇的に生活水準が上がったといっても過言ではない我々の両親世代(いわゆる団塊の世代の前後を想定しています)。その幼少期に比べれば、今の子どもの貧困、特に相対的な貧困がメディアで取り上げられる事実に対し、「昔の方が大変だった」と言いたいのは、至極当然だと思います。

ただ、「その人たちも悪意があって言うわけではない。今の子どもたちの大変さを否定したいのではなく、自分の幼少期の苦労を、自らの人生の一部として尊重して欲しいというだけだ。」という湯浅氏の発言は、政策や社会問題において論理性だけが重視される傾向に、大きな疑問符を呈していると言えます。

一方で、子どもの相対的な貧困を放置すれば、それぞれの子どもの生活はもちろん、社会全体として将来的な活力が失われてしまうこともまた、事実です。それは、老若誰もが望まない事態のはずです。

当たり前ですが、言葉の正しさや論理的な整合性だけでは、人を説得することは困難です。正しさや整合性を踏まえつつ、いかに個人の感情を尊重した表現をとるかが、社会問題を扱う言論に求められているのでしょう。

大切なのは、今とは違うと言って「昔の大変さ」を切って捨てるのではなく、「昔の大変さ」という事実そのものを認め(確かにそれは事実です)、そこを生き抜いてきた人生を尊重すること。その上で、現在の相対的貧困という問題とその解決について、合意できる点を積み重ねていくことなのだと思います。


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