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相次いで覆る死刑判決。裁判員裁判の意義とは? [政治]

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裁判員裁判での死刑判決が、最高裁によって覆される例が続いています。最高裁は、主に過去の事例との権衡を理由としている模様です。これに対し、被害者のご家族からは「被害者に公平などない」との批判もあり、また、一部専門家からは「市民感覚」を取り入れる裁判員制度の趣旨を否定するものとして、批判があるようです。

では、裁判員の判断は、制度上どこまで尊重されるのでしょうか?よく引き合いに出されるのが、米国の陪審制度です。米国の陪審制では、事実審と法律審が区別されていることに大きな特徴があります。陪審は事実認定、法律審は職業裁判官がそれぞれ担当します。例えば、人がナイフで刺され殺されたとします。

その際、大まかに言うと、「人がナイフで刺されそれが原因で死んだ」と判断するのが陪審で、それが「故意による殺人罪に該当し懲役〇年に値する」と判断するのが裁判官となります。また、陪審裁判では、原則として事実認定への不服申し立ては認められないため、「人がナイフで刺されてそれが原因で死んだ」と認定された事実は、その後も変わりません。ただ、法律審については上訴が認められるので、殺人ではなく傷害致死と判断されたり、量刑が変わったりする可能性は、残されています。

一方、
日本の裁判員裁判では裁判員と裁判官の役割分担は、陪審制ほど厳格ではなく、双方が事実審と法律審査に関わることになります。日本では、事実認定を理由にした上訴も認められるので、「人がナイフで刺されて死んだ」という事実も、控訴審や上告審で覆されることもあるわけです。

報道にある死刑判決が破棄された事例は、どちらも事実認定では争いなく、量刑判断と考えられます。したがって、米国の陪審裁判でも、量刑が覆される可能性はあったと言えるでしょう。

結局、最高裁の死刑判決破棄は、現行裁判員制度上、問題ないことになります。とはいえ、裁判員の判断と上訴審の結果がかけ離れることは、やはり裁判の信頼性を損ねることになり兼ねません。

裁判員の判断を覆す際には、「先例に従って」などの紋切り型の表現ではなく、過去のどの例とどのように違い、どのように等しいのか、丁寧に説明することが、控訴審、上告審の裁判官に求められているのは間違いないでしょう。


≪参考:<裁判員裁判>初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため≫
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150204-00000114-mai-soci


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