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日本の仏教についての雑な振り返り [歴史]

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折に触れて、良くも悪くも、日本人にとって仏教(ないしは仏教の影響を受けた信仰)の存在感は破格だと痛感する。

おそらく、6世紀半ばに伝来した仏教に接したことは、多くの日本人にとって、アメリカの物質文明に接した敗戦直後以上の、ないしは開国で西洋文明が一挙に流入した幕末以上の知的衝撃を受けたのではなかろうか。

寺院建築や仏像・仏具作成に伴う木材や金属加工の最先端技術、人間の生死という不条理を輪廻転生や解脱として見える化した経典の数々などは、日本人の向学心を大いに刺激したに違いない。それは、宗教や思想だけでない、芸術であり、科学技術であり、倫理であり、建築であり、言葉であり、要はライフスタイルの一大パッケージであったと思う。

例えば7世紀、飛鳥時代の玉虫厨子の各面には、経典にある捨身飼虎などの絵柄が飾られているが、その激しい題材を選んだセンスは、仏教とそれを通じた様々な知識を貪欲に学ぼうとする、時代精神を感じざるをえない。

飛鳥白鳳天平を経て、仏教は、奈良を中心に統治のツールとして確立される。都が京に移ると、奈良の寺院の影響を排した仏教へのニーズが高まり、最澄、空海の登場だ。

法華経を中心に仏教の体系を再構築した最澄の天台宗と、絢爛な仏具や祈祷を用いながら真言を説く空海の真言宗はそれぞれ奈良仏教のアンチテーゼとして普及することになる。平安時代半ば以降、貴族の基礎教養は法華経となるが、荘園制崩壊の足音が聞こえる中、阿弥陀如来導く西方極楽浄土への憧れが高まるのもこの時期だ。

鎌倉時代に入ると、貴族のものだった仏教思想が一気に民衆と武士に広まる。
いわゆる鎌倉時代の新仏教と言うヤツ。

民衆にとっては、浄土宗(浄土真宗)と時宗。例えば法然の絵巻では、祈る法然のもとに雲に乗って法具(グッズ)が飛んできたり、寺ごと極楽浄土がやってきたりする。一遍の絵巻では、踊念仏に興じる貴族ではない民衆の姿が活写されているジュリアナ感。

武士にとっては、禅宗の影響がやはり強い。禅宗は主に宋からの留学層が普及させたこともあり、以後、鎌倉、室町と武家を中心とする社会において、禅宗や宋の絵画芸術の影響を受けた作品が増えてくる。雪舟の水墨画とか。

ところで、伝来から大きな存在だった仏像が、鎌倉時代の運慶快慶を頂点に、以後、芸術の表舞台にはあまり出てこなくなるのが不思議。

さらに時代が下ると、芸術が直接仏教や信仰をテーマとすることはほとんどなくなってくる。安土桃山時代の長谷川等伯や狩野永徳の絵画には、自然を己の力で構築するという自負に満ちている。茶道からも、禅宗を元にしながらも宗教性が薄れていることは間違いない。

おそらくこのような背景にあるのは、生活水準の向上による人間の力の自覚なのではないかと思う。かつてはライフスタイルの体系であった仏教は、こうして、芸術、科学技術等々、様々な方向に分解され、吸収され、そして解消されていくことになる。

さて、21世紀、令和の世間。

かつてのように仏教が直接生活を律することはほとんどない。しかし、日本人が信仰をツールとして仏教という大きな物語をたくみに取り入れながら日々のささやかな暮らしを送っていた時代が厳然としてあったことは、たまには思い出してよい。

信仰について聞くことが稀となってしまった現代、かつてと今の日本人の幸せ感にどれだけの違いがあるのだろうか、などと澄んだ瞳で思いを馳せる日々なんである。



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