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総理は本当に無能なのか?~安倍政権を倒すための出発点試論~ [政治]

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総理批判の暗黙の前提として「安倍総理は無能」という認識があると思う。確かに、超一流大学出身でもないし、難関資格をもっているわけでもなく、政治家になる前の職歴も、ものすごく目立つわけではない。また、テレビなどで話す様子を見る限り、レトリックやロジックが特に優れているわけでもない。軽率な発言も多い。

ただ、政治家としての能力は、もしかしたら、それらとは別なのかもしれない。

例えば、特定秘密保護法や安全保障法制など批判の多い法律であっても、通したい法律は必ず通し、かつ政権運営への影響を最小限に抑えたり、曲がりなりにも党内の意見を集約して造反を出さないようにしたり、党内の権力闘争や国政選挙で勝ち続けたり。これらは、並みの政治家ではとても不可能だ。

考えても見よう。舌鋒は鋭く、学歴や経歴では安倍総理と比べてキラ星のような野党議員たちは、選挙で勝つことはおろか、野党共闘すら実現できていない。そもそも共産党の志位氏を除き党内抗争すら満足に戦えていない。分裂と抗争の仁義無きイメージでしかない。ビジネスマンや研究者や運動家や評論家としてはともかく、政治家としては有能であるとは、とてもいえないのではなかろうか。

もちろん、運もあろうし、安倍総理個人だけの能力ではないのは分かる。運はさておき、安倍総理は政権の必要条件であり、どんなに有能な人が傍にいたとしても、安倍政権の総理は安倍晋三氏しかありえない。むしろ、それぞれの有能かつ個性や癖があるに違いない人々を活用し、政権に大きな破たんをきたさないのは、安倍総理の能力の一端と考えてもよいのではないか。

要は、安倍総理を侮ってはいけないということ。

安倍総理の進める政策やその思想が、日本のためになるかどうかはさておく。しかし、安倍総理を敵として批判し、その失脚を目指すのであれば、敵の能力を低く見積もることは、厳に避けなければならないはずだ。しかし、総理の軽率な物言いや行動への批判など、巷の総理批判を見る限り、総理が無能であることを前提とした批判が多いように見受けられる。

はじめは、総理の無能を印象付けようとして、また批判者たちの身内の鼓舞のために総理の無能さを際立たせて批判していたのかもしれない。でもそのうちに、自分達も総理の無能を信じ込んでしまったかのような感がある。あたかも、国内の鼓舞のために日本人の精神力を称揚しているうちに、不敗神軍を信じた軍隊のようだ。

安倍総理を倒すのに必要なのは、総理の無能さをあげつらって溜飲を下げることではない。世論調査で人気があるとは言えない法律を通したり、スキャンダルに関する説明が不十分であったりしても、なぜ政権を維持できるか。つまり安倍総理の有能さ、もしくは有能さを発揮できる要因を真正面から認めることから始めなければならないと思う。そして、それらの要因を分析し、くさびを打つような主張や行動をとらねばならないのではなかろうか。

反対派の自我を保つための批判対象としておもちゃにされている間に、安倍政権は、自己のやりたいこと、やるべきことを着々と進めていくだろう。安倍総理を無能だと揶揄しているうちは、それを止めることなどできはしないと思うのである。



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