SSブログ

夏は夜、神楽坂はさらなり [日常]

スポンサーリンク




日が落ちて、少し涼しくなった夏の夜、散策するなら、神楽坂辺りがよい。

生活圏ではないから、気が向いたときにぶらり出歩けば、表通りは、だいぶ明るくのっぺりとしてしまった感が無きにしも。いつの間にか、中華屋の五十番は移転していて、饅頭の販売スペースだけが小奇麗に残っている。

路地に出て、ちょいと薄暗い狭い坂道を縫うと、住宅の合間合間に、ちんまりとした料理屋とかビストロの玄関の灯りがほの見えて、なんというか、心地よい。坂を巡る風などあれば、申し分無い。

そんなとき、行ったことがある店を思いがけず見つけると、つい、吸い寄せられてしまう。例えば、カド。

10年位前、今は四ツ谷のあの人やなんや、五人くらいで押しかけたっけ。確か、沈んだ深い緑色の鮎のうるかに、舌鼓を打ったはず。そんなに、高くも無かったと思う。たぶん。

民家風の戸を開け、畳敷きの座敷の一隅に通され、胡坐をかいた目の前には膳。喉が冷たいものを欲している。ここは、ビールよりも冷酒だ。

その日初めて飲む良い酒は、一口で、味蕾をざわつかせ、全身を覚醒させる。

四畳半と六畳が繋がった座敷、エアコンの風を、30~40年くらい前の扇風機がガタガタ攪拌する中、各々、膳を前にして語らう人々。その声は、不思議と、うるさくは感じない。

膳に上がる酒肴は、若い頃なら、全て一口二口で飲み込んでしまうだろう代物。それを箸の先でついばみついばみ、冷酒と合わせ、味覚に沁み込ませる。

語らう人々を見るとも無く眺め、会話を聴くことなく耳にしているうちに、決して短すぎるとは言えない人生のよしなしごとが、酒の波に乗ってか、ゆらゆらと、寄せては返し、寄せては返し。

まあ、何はともあれ、生きてはいるんだよなあ。

うすぼんやりして杯を重ねているうちに、いつしか、座敷の人々も入れ替わり、自分が古株になったようだ。 畳に根を生やしちゃいけない。コップの残り酒を干し、勘定を済ませ、外へ。ねっとりとした夏の夜風に身を委ね、駅まで、のんびりだらりと坂を下りる。

ふと見上げれば、月は上弦だった。

月を背に
家路へ下りる
神楽坂
手すり代わりに
もたれて夜風



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました