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覚書:新しい中世 [その他]

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僕らの誰もが望まない結果、生活水準の低下。
ジャーナリズムは国民のニーズに応えようと懸命なのだろう。

閉塞感の打破。分からないものへの不安。敵はどこだ?

敵は、僕らが依存している社会システムの融解にある。
信頼構造の喪失。

古代ローマを滅ぼしたのはメンテナンスの低下に伴う、
社会システムの融解だったと思う。

ローマが衰退から滅亡にいたる中、社会システムは寸断され、
経済規模は急速に縮小した。

欧州、北アフリカ、中東、小アジアに及ぶ地中海経済圏は、
小規模村落の自給自足型経済へと。当然、生活水準は下がる。

古代ローマ時代の生活水準に戻ったのは、ルネサンス以降、
約1000年後のこと。

高い生活水準を維持するには、高度に分業化された、
複雑怪奇にして精密な、社会システムが不可欠である。

そして、精密機械がそうであるように、
社会システムは複雑であるほど脆弱だ。

その維持に必要なのは、構成員相互の信頼関係と、
耐えざるリストラ、メンテナンス。

複雑な社会システムは、細分化された分業を前提とする。
個々人は、社会全体のごくごくわずかな一部にコミットすることしか
できない。

矮小な認識しか持たない個人が社会の総体をイメージするには、
荷が勝ちすぎる。

自分の矮小な知識経験で理解できないことに対し、
そして自分の理解できない領域で自分の運命が決められるという
不安に対し、人々は誰しも、大きな苛立ち、無力感を強いられている。

これが現状の閉塞感の尻尾だ。

さらに悪いことに、高い生活水準は、主観的な万能感を助長させる。
私は悪くない、のだ。

そして、個人の矮小な認識は、社会システム全体に対する想像力を、
惜しみなく奪う。メンテナンスなど、及びもつかない。

衰退期の古代ローマにおいては、生活水準の低下に伴う社会不安、
自信、信頼構造の喪失を、キリスト教が吸収し、暗黒の中世が生まれた。

中世では、閉塞感を打破するため、人々は生贄の「魔女」を屠る。

21世紀の我々も、正義の名において、「魔女」を屠り続けている。
あるときはタレントであり、あるときは名も無き犯罪者であり、
またあるときは政治指導者であり。。。

新たな暗黒時代を繰り返しているのだろうか。

それとも、いつの日か、信頼構造を立て直し、
高い生活水準を享受し続けることが出来るのか。

その鍵は、僕らの自覚にあると思う。

「新しい中世」という言葉が、
異様な現実味を帯びているのを感じざるを得ない。



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