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ジャーナリストの「自己責任」とは? [国際]

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ISIS(イスラム国)に拉致された日本人二名が、話題を集めています。

これについて聞かれるのは、「危険が告知されていた場所に自ら赴いたのだから、拉致され、場合によっては殺害されるのは自己責任である」という論調です。 もちろん、拉致を実行し、身代金ないしは政治的要求を行うテロ組織がもっとも非難されるべきであることは大前提です。その上で、本人が危険を認識して現地に赴いたのだから、その結果について、本人に責任があるという指摘です。 

では、 いわゆる自己責任論を押し通した場合、拉致された方々にどのような責任が生じるのでしょうか?例えば、今回の救出交渉にかかった費用(税金)の負担を、本人ないしは家族に求めることができるか。例えば、国民の間で議論になったことが、何らかの刑法上の非難に値するか。 

ざっと考えても、現行制度上、

少なくとも、賠償や法的責任を拉致された方々に負わせるのは、難しそうです。とすれば結局自己責任とは、現地に赴いた方が殺されたとしても、事前に警告していた日本政府に責任が無いことを示すに過ぎない、という意味に帰着しそうです。(繰り返しますが、最大の責任は拉致を実施したテロ組織にあります)

拉致されたこと自体には日本政府に責任は無いとしても、国民の保護は政府の責務であり、解放交渉などを担うのは政府の当然の活動であるのは、言うまでもありません。仮に政府が、「自己責任だから救出のための行動は一切取りません」と言おうものなら、その方がおかしいのは自明でしょう。

さて、拉致されたうちの一人後藤健二さんは、ジャーナリストとして、取材のために現地に赴いたとのこと。ジャーナリストだからといって危険なところに赴いて許されるのか、という指摘もあります。ただ、外務省の海外安全情報は、あくまで退避の勧告であり、渡航者に渡航をさせない法的義務を課すものではありません。その意味では、渡航自体は許されており、危険な目にあうのは、まさしく「自己責任」です。

この「自己責任」が法律上の責任で無い以上、あるのは、道義的責任となります。後藤氏にとっての道義的な責任とは、今回の取材経験を、ジャーナリストとして、いかに伝えていくか、その作品の質ということになるでしょう。イスラム国については、自分も含め、勉強できていないことが少なくありません。後藤氏が生還の暁には、今回の経験を糧にした良質な作品を期待したいです。

やはり、後藤氏の「自己責任」のためにも、政府を中心とする救出活動が奏功することを願ってやみません。

*この記事執筆時に、すでに拉致されたうちの湯川氏が殺害された可能性が高いと指摘されていますが、確定的な情報ではないのでコメントは差し控えます。 




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