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侠気と稚気と、ときどき狂気。ある友人の話。 [新宿]

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矢月秀作さんは、友人なのである。

100万部を超えた『もぐら』シリーズをはじめ数々の作品を世に送り出す、当代の人気作家の一人だ。小説だけで飯が食える、珍しい人なんである。

15年くらい前だろうか。新宿ゴールデン街の「流民」の深夜、よく顔を合わせていた。当時僕はまだ公務員で、矢月さん、いや、やっさんは、小説の講師をしていたと思ってたがよく覚えてはいない。とまれ、お互い酒を飲んでは、くだらない話にうつつを抜かしていた。

あるとき酔ったやっさんが映画監督をやりたいと宣えば「ボンゴレ・ビ・アンコ監督」と名付けてもてはやし、またあるときには僕と二人で謎のダンスユニット「ヱグザ・イル」を結成。ちなみにやっさんが「ヱグザ」で僕が「イル」。当然我々、ダンスはうまく踊れない。

そうこうしてても、時は流れる。

僕は公務員をドロップアウトしてしまい生活の建て直しに汲々とし(これは今でもなお続いている)、やっさんの姿も酒場で見かけることが少なくなった。そんなあるとき、人づてに、『もぐら』ブレイクの話を聞く。

やっさん、やるじゃん。

それ以降、年に1~2回くらいだろうか、やっさんに会う機会が発生する。偶然のときもあれば、呼び出されたこともあった。酒の飲み方と言い、風情と言い、どこをどう見ても羽振りがいい。てやんでい、正直そう思わないでもない。

ただ、どう考えても困っていてそこからずーっと抜け出せないでいる僕に、一緒に飲んでも一銭の得にもならんであろう僕に、会ってくれた際はもちろん、SNSなどでも昔と同じように親身に声をかけてくれるのは、やはり、やっさんなのだ。

懇意にしている有名出版社の編集者さんを紹介してくれたことも、一度や二度ではない。やっさんは、僕に小説を書かせようと唆しているのだ。生活の建て直しにすら困難を抱える僕は、現時点まで、せっかくのご縁をまったくもって活かせていない。そんな不義理に対しても、

「俺はお前の能力を信じている。あきらめない限り負けはない」

と断じて、水割りをあおるのである。そんな侠気が一つ。

そんなやっさんと、先日また偶然に顔を合わせた。「NESSUN DORMA」で一人飲んでいた時、店のガラス戸に映りこんだ人影、やたらニコニコしてこっちを見ている。ラグビーワールドカップで観光に来た外国人でもあるまいしと思ったら、やっさんだった。

「おう、さかもっちゃん、会いたかったで!」

と言いながら、僕との会話もそこそこに、隣の席、一人で来ていたオーストラリア人男性にひたすら声をかける。僕も大したことはないが、やっさんの英語も壊滅的だ。その後どうにかメアドを交換したようだが、

「すまん!さかもっちゃん、俺、英語勉強のために英語でメールくれって、いうたってや!」

いや、別にいいけどさ。。。そんな田沢一号生ばりで中学生英語の似非通訳をすることしばし。

「英語、全然わかんないくせに、なんで外人としゃべろうとするんすか??」

「いやあ、俺、外人がいたら、声掛けたくなんねん!」

あまりに屈託のない笑顔に、完全に毒気を抜かれてしまうのである。そんな稚気が一つ。

河岸を変えて、「シャドウ」、そして8月にオープンしたばかりの「千華」へ。ちょうど外国人たちとほぼほぼ入れ替わりに、我々二人。椅子の無い立ち飲みの店で語るやっさん。

「俺はアクションが書きたいんだよ!こんな動き、マンガなら絵ですぐ描けるけど、これを文章で、なおかつリズムを失わないように書くのは、結構難しいんやで。ジャッキー大好き!」

と、語りを入れながら、ジャッキー・チェンとブルース・リーとサモ・ハン・キンポーの動きをそれぞれ一つ一つ実演して見せる。酔拳しかり、死亡遊戯しかり。腰の落とし方が巧い。椅子の無い店だからこそできる芸当だ。

そのしぐさと語り口は、ユーモラスでありながら、どこかしら、やっさんの創作の源泉のようなものすら感じさせる。酔った目は、ニコニコとこそしているが、その淵に表現への情念というか、ある意味、そこはかとない狂おしさを漂わせている。そんな狂気が一つ。

侠気であり、稚気であり、そしてかすかな狂気。

そんな感情を具体化して物語やらキャラクターやらと肉付けしていくと、矢月秀作という現代作家の文学そのものになるのではないか。

こちとらも酩酊しつつやっさんを眺めながら、頭ではそんなことを、つらつら考えてしまったのである。



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