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うろ覚え犯罪学~犯罪「者」対策から人と社会の相互作用へ~ [警察・刑事手続]

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犯罪の原因を究明し、その防止や減少を図る手がかりを得るために研究されている学問が『犯罪学』。

犯罪学や、そこで考えられてきた犯罪という現象について、自分の思考の整理がてらに、はなはだざっくりとではありますが、まとめてみました。うろ覚えであり、かつ、できるだけ専門用語を使わないようにこころがけたので、ところどころの記憶違いや不正確な記述については、平にご容赦くだされ。

さて、犯罪学の大きな流れを見ると、個々の異常な犯罪者にどう対処するかという問題からはじまりつつ、徐々に、犯罪が発生しやすい環境をどう変えていくか、という視点にシフトしているようです。

そんな、近代犯罪学のはじまりは、19世紀の欧州にさかのぼります。

1:犯罪者は、生まれながらに犯罪者?

近代科学によって犯罪を分析した最初の業績は、19世紀イタリアの精神科医、ロンブローゾの『犯罪人論』(1876年)といわれています。ロンブローゾは、解剖を通じ、犯罪者の容姿や骨格などを細かく分析し、犯罪者に共通するとされる特徴を抽出しました。例えば、「大きな眼窩」や「高い頬骨」などがそれとされます。

『犯罪人論』では、同時に、このような特徴の遺伝的性質についても言及されています。この研究によって、犯罪者は生まれながらにそうなりうる資質を持っている、と結論付けられました。これを、「生来性犯罪人説」といいます。もちろん、生来性の犯罪人とされる特徴を持った人が全て法律上の犯罪を犯すわけではなく、今ではこの理論だけで犯罪対策が考えられることはまずないと言ってもよいでしょう。

実際、一定の容姿や遺伝的特徴を持つ人を法的な犯罪を犯すリスクが高いとして何らかの対策を採ることは、大きな人権問題となるに違いありません。ただ、それまで宗教や哲学の問題とされがちだった犯罪問題に対し、近代科学の手法で犯罪を考えはじめた点、やはりロンブローゾの先駆性は失われないと思います。

2:犯罪者は「環境」によって生み出される?

遺伝や身体的な特徴だけが犯罪者を生み出すわけではないとしたら、いったい何を犯罪の要因と考えるべきでしょうか?

20世紀に入ると、生来性犯罪人説への批判や、再犯問題などで懲役や罰金といった刑罰の有効性についても、疑問視されるようにもなります。そこで、犯罪者の育った環境など、社会的要因がクローズアップされるようになりました。

ここで重要視されるのが、救貧対策などの社会政策です。この考え方の主唱者であるドイツの刑法学者リストは、「最良の刑事政策とは最良の社会政策である」との言葉を残しています。社会政策重視のほか、累犯と初犯の区別や、偶発犯罪・計画犯罪の区別など、犯罪者の個別事情に配慮した刑罰制度も主張されるようになります。

このような、環境=社会が悪いから犯罪者が生まれるという考え方や、個々の犯罪者に対応した処遇をすべきという理念は、現代の我々にとっても比較的分かりやすいものと言えます。実際、犯罪者矯正の実務では、犯罪の性質や、心理学などを応用した犯罪者の心理的特長なども考慮されているようです。

一方で、ある意味常識的に理解しやすい考え方であるが故に、我々の多くがそこで思考を止めがちです。ただ、現代の犯罪学は、もう少し議論を深めているようです。それは、犯罪者個人を相対化する試みといえるかもしれません。

3:そもそもだけど、犯罪って何?

20世紀半ば以降、アメリカにおける治安の悪化のように、犯罪者個人を巡る犯罪対策に限界が見られるようになったものの、新しい対策の考え方はまだ確立されていませんでした。そんな中、社会学から、犯罪に対する新しい視点がもたらされます。それが、「ラベリング理論」です。

1960年代、アメリカの社会学者ハワード・ベッカーによって提唱されたこの理論の最大の特徴は、犯罪などの逸脱行動を作り出しているのは、逸脱行為者ではなく、周囲や社会のレッテル張り(ラベリング)である、という考え方です。これを犯罪に即していえば、犯罪を作っているのは犯罪者ではなく、刑法でありそれを執行する警察等の法執行機関ということになります。

一般の常識からするとにわかには理解しがたいですが、確かに、我々がある行為を犯罪と認識するには、それを定めた法があり、それを執行する機関があるわけで、実体としては誤っていないでしょう。

このような理論によって、犯罪者を社会の異常者として考えてきた暗黙の前提が覆されることになります。犯罪になるかどうかは法執行機関の動き次第のところがあり(選択的法執行の問題)、そこには差別や暗数がありうるものであり、かつ通常の人々でも犯罪を犯しうるということです。

字面だけを見れば、警察が無くなれば犯罪がなくなるのか、という皮相な話になってしまいますが、もちろんそうではありません。犯罪対策におけるラベリング理論の貢献は、法執行機関にもいろいろな問題があるという事実や、犯罪の要因を犯罪者個人に還元するのではなく、社会との相互作用として考えるきっかけを与えてくれたことなのだと思います。

4:犯罪者を作らない仕組みづくり

犯罪を、人と社会の相互作用として考えた場合、犯罪者個人やその個人の周囲の環境だけでなく、社会の方からを変わっていくアプローチで犯罪を減らすことが考えられるようになります。90年代以降は、まさにそのような考え方に基づく犯罪対策がとられるようになりました。

中でも著名なのが、いわゆる「割れ窓理論」でしょう。繁華街のガラスが割れた窓を放置することによって、そこが人々にとって犯罪を起こしてもよい地域なのだと認識されて犯罪発生率が高まる一方、窓をきちんと修繕したり、清掃などを通じて地域の環境を改善したり、従来ならば被害が軽微だった犯罪をしっかり摘発することで、犯罪を減らすことができる、という理論です。

80年代、治安悪化に苦しんだニューヨークにおいて、ジュリアーニ市長が割れ窓理論に基づく治安対策を実施したことで、治安を劇的に改善させることができました。

割れ窓理論のほか、犯罪機会論として、犯行を行う機会を減らすため、防犯の観点からの街づくりについても知見が蓄積されています。例えば、子どもが通る通学路で見通しの悪い場所を作らない、とか、公園などでも必ず複数の出入り口を設け被害者が逃げやすいようにする、などです。また、犯罪が起こりやすい場所への防犯カメラも、犯罪抑止につながるでしょう。

5:犯罪対策の今後と犯罪学

どちらかというと、これまでの犯罪対策は、ひったくりや通り魔などの街頭犯罪が中心でした。そのような身近な犯罪の抑止は、もちろんとても重要です。ただ、安全な生活を掘り崩す犯罪は、街頭犯罪以外にも様々です。

特に現代は、ネットワークの発達で、犯罪組織とかかわりが無い一般人が組織的な犯行を行うことが治安の大きな課題になっています。また、薄く広く被害が拡散されてインフラに影響を与える企業犯罪も、解決の決め手にかけるといってよいでしょう。さらに、犯罪被害者の位置づけについては、まだまだ道半ばです。

街頭犯罪に加え、組織・企業犯罪にどこまで有効な対策を提供できるか、被害者をどう位置付けていくかが、これからの犯罪学の課題なのかもしれません。



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