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電通の過労自殺に関する、個人的かつ勝手な雑感。 [労働]

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広告代理店大手電通における過労自殺が話題になっています。

本件、辞めればよかった、逃げればよかったという本人の意思や行動に関する意見、過労やパワハラなどの状況を認知して適切な手を打たなかった会社の責任を問う声、そもそも月百時間程度の残業時間を過労ということにも問題があるのではないか、など、様々な見解が飛び交っています。

ただ、個人的かつ勝手な感想を付け加えるのであれば、長い人生における人々の反応を想像すると、自殺という選択肢は、主観的な自我を防衛するためのものとして、十分にあり得るのではないかと思っています。

仮に退職などを選択した場合、確かに、ご本人は亡くならずに済んだでしょう。しかし、ご家族をはじめ、周囲はその方をどう見るでしょうか。「過労死しなくてよかった」という声よりは、おそらくですが、「せっかく入った会社を辞めるなんてもったいない」「なんでもう少し頑張れなかったのか」「しがみつけば事態が好転したかもしれないのに」、そんな、いわば失敗者としての烙印を押す声を聴くことの方が、圧倒的に多いのではないかと推測します。

そして、そのような烙印は、その会社で働くことを上回る成功を周囲に認めさせない限り、いやそれ以後でも、彼女が生きている間ついてまわるはずです。

入試や就職において努力して成功してきた人間にとって、そのような汚名は、そしてその汚名が人生において続くことは、耐え難かったのではないでしょうか。彼女は、一時的にせよ失敗者としての烙印を押されるくらいなら、成功者として他人から評価される時点で、その主観的な自我を守り、自分の人生を終えたかったのではないかと、勝手ながら想像してしまうのです。

もちろん、そのような願望は、追い詰められた結果であり、心身ともに落ち着いた状況での判断ではないかもしれません。しかし、仮に落ち着いた状況であっても、失敗者という周囲からの烙印と自分への失望は、とても大きな心の傷になったでしょうし、その傷を乗り越えるのは、かなり骨の折れることであるのは間違いないはずです。

確かに死ぬことは悲劇です。ただ、生きていさえすればこの方が必ず幸せになれたと楽観的に考えることも、難しいのではないかと思ってしまうのです。企業の労務管理等の改善は当然必要ですが、自殺は優れて個人的な話であり、制度的な改善には限界があるのかもしれません。

さて、私は、亡くなられた方と面識がありません。したがってここに書いたことは、勝手な想像、妄想に過ぎないことをお断りいたします。最後に、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご家族の方には心よりお悔やみ申し上げます。

【参考記事】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000121-jij-soci


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