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うどんと大阪、はんなり [読書]

『きつねうどん口伝』読了。面白かった。

きつねうどん発祥の店である、松葉屋の二代目主人からの聞き書き。うどんを作るプロセスが詳細に語られるとともに、使う素材や道具が紹介され、加えて、かつての船場の思い出が語られる。

まず感じたのは、商売の合理性に基づく、徹底的なこだわり。

水の性質一つとっても、味、力、目方など、15通りのポイントで見分ける。塩の振り方は6種類を使い分ける。昆布や小麦粉、鰹節についてもそれぞれ産地や品質に一家言ある。うどんを作るプロセスにいたっても、微細に渡り紹介されている。道具だって自分の目で確かめるし、包丁などは鍛冶に教えてもらって自分で拵えてみたりさえしている。

それも、消費者無視、儲け無視の職人気質ではない。いいものを使った方が、きちんと手間をかけて作った方が、結果的に売れるし材料のロスや作り直しも少なく、商売のためになるという、商売に対する徹底的な合理性からきているのだから、面白い。

次に思ったのは、うどんが生まれた大阪における風土と文化だった。

うどんと言えば、讃岐うどんや稲庭うどんが有名だが、大阪のうどんはそれらとはまた違った来歴がある。江戸時代以降、まさに天下の台所と言われた大阪は、良質の小麦粉、昆布、鰹節などの材料が集まる土地だった。また、琵琶湖から流れる淀川の水、そして京都の豆腐にも恵まれていた。

そんな土地柄だから、自然と美味いものが集まってくる。商人の食べ物だったうどんだって、競争が激しい。きつねうどんをはじめ、おじやうどんやら、うどんの茶わん蒸しである小田巻きなど、様々な工夫を凝らしたメニューを出さなければ競争に勝てない。

大阪のうどんからは、そんな恵まれた地勢と厳しさを持つ大阪という土地の底力を感じるのである。

この手の本の厄介なところは、読み終えたら、その手のものを食べたくなってしまうところだ。大阪のうどん、そして、きつねうどん。大阪のうどんは、麺、だし、具材のどれもが単独での自己主張が強いわけではなく、全体として、「あっさり」「まったり」「こってり」で「はんなり」した味わいを目指しているという。

近所に大阪のうどんを食わしてくれるところが無いのが非常に残念だが、せめて大阪うどんの面影だけでもとうどんを食うたびに、しばらくは、まだ知らぬ「はんなり」のことを思い出してしまいそうなんである。


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「安全」と「安心」についての覚書 [事件]

2020年3月時点、中国は武漢に端を発し、日本、韓国、インドといったアジアそしてイタリアはじめ欧米にも猛威を振るう新型コロナウイルス。

医療及び防疫に加え、日本ではイベント等の自粛要請によって経済の大幅な減退が指摘され、トイレットペーパーやマスクの売り切れが続出している。政府は様々な対策を打ち出し、情報提供を行い、報道は連日状況を大きく報じている。

日本では、PCR検査を巡り、データを取るためないしは人々の安心のため検査数を増やせという主張と、重症者の治療を優先するために検査数を抑制すべきという主張が対立した。

そんな中、「安全」と「安心」について漠然と考えさせられたので覚書までに書いておきたい。

「安全」と「安心」、どちらも似たような言葉ではあるけれど、その意味は結構異なる。ざっくり言うと、「安全」が客観的な状態であるのに対し、「安心」は人々の主観的な問題であると言えるのかもしれない。

一見、客観的な「安全」が保たれてさえいればよいようにも見えるが、そこに「安心」が欠けているならば、社会の不安定化は避けられない。「安心」が無い人々の行動は、例えばトイレットペーパーの買い占めだったり、不要なドクターショッピングだったりと、容易にパニックにつながり、客観的な「安全」すら掘り崩しかねない。

結局、「安全」を前提としても「安心」は必要なのであり、むしろ、社会の安定化のためには、「安全」は無かったとしても、「安心」があるだけで足りるとすら言えるかもしれないくらいだ。

もちろん限界はあるけれど、医療や土木技術、その他様々な技術や専門知識によって、世の中はかなりの程度「安全」を手に入れることには成功したと思う。また、「安全」を追及する技術や専門知識は、文字通り日進月歩していると言ってよいだろう。

だが、皮肉なことに、そのような「安全」の進歩が、人々を「安心」から遠ざけてしまっているのではなかろうか。「安全」を確保するための技術や専門知識は、もはやそれらの領域にいない人々の理解からは程遠いものとなりつつある。僕も含め専門外の多くの人間にとっては、それらの知識や技術は、理解度において、呪術やまじないと区別できるものではないとすら思う。

一方で、人々の教育水準は上がっており、専門外の知識についても、自分が専門外であるにも関わらず、様々な情報源を基に、「自分は理解している、できている。むしろ自分の感情に沿わない意見を言う専門家が誤っている」という錯覚に陥りがちだ。ここに、「安全」と「安心」の乖離が大きくなるきっかけがあるのではなかろうか。

先に述べたように、「安全」に関する技術や知識は日進月歩している。しかし社会を維持していくうえでの問題は、「安心」に向けての技術や知識およびその進歩が、専門家や政治家、役人、そしてそれらに含まれない人々、言い換えれば社会全般に、あまりにも欠けていることかもしれない。

日本の歴史を大きく振り返ると、政治は、儀式と祭祀と宗教の歴史でもあったと言えよう。大仏建立しかり、様々な護摩や祈祷もしかり。それが果たしてきた意味は様々であろうが、一つの大きな役割として、疫病や天変地異などにおいて、「安全」が必ずしも確保できない限界があったとしても、どうにかして人々の「安心」を確保したいという試みであったのではないかと思う。

コロナウイルスだけでなく、原子力発電や、台風やその他天変地異や事故など、かつてに比べて「安全」が進歩したとはいえ、限界もある。またそれ以上に、人々の「安心」に係る知識や技術は、いわゆるリスクコミュニケーション等でその萌芽も見えるとはいえ、まだまだ発展途上のような気がする。

そう。

我々の時代の社会に必要なのは、「安全」だけではない、大仏建立や加持祈祷を超えた、「安心」のための技術や専門知識を磨いていくことではないかと思うのである。

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若者の飲酒に関する雑感 [食べ物系]

いっそのこと、30歳未満の若い人は高級酒しか飲んじゃいかんような法律にでもしたらどうかねと思うことがある。

甲類焼酎なんかもっての他で、ストロング系チューハイなど飲もうモノなら厳罰で実刑だ。スコッチウィスキーだって原則としてシングルモルトのみ。日本酒だったら、最低でも特定名称酒で、値段は一升瓶で3000円以上の酒ならOKとか。もちろん、スパークリングワインではなくシャンパンであり、ビールはプレミアムもののみ。

というのも、若いうちに酒を覚えるなら、やはりいい酒を飲むべきだと思うから。

そもそも、酒に入門編なんて無くて、そのとき飲める自分として最高の酒を飲むべき、なんて話をジャズの話と一緒にタモリもしていた気がする。全くもって同感。

完全に比例するとは言わないけど、やはり高い酒にはそれなりの手間がかかっている。また、酒は地域の風土や文化から離れては生まれない。金額におののきながら手間や文化や風土に思いを馳せてもらうなら、若い人に、健康に影響ない範囲で酒を提供するのは、そんなに悪いことじゃないと思う。

加えて、高い酒なら、そんなに量を飲むことは無いだろうし。

トリスハイボール甲類焼酎の茶割り、ストロングゼロ、カルピスサワー、大関ワンカップの燗酒、鬼ころしの紙パックなどでぐじぐじやるのは、あくまでも大人の特権であり、若者には早すぎるしもったいないではないか。

なんて、法律にはならんだろうなと思うが、雑感を一つなんである。

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3.11。9年前のある個人的な記録。 [事件]

以下の文書は、2011年3月12日の夜に書いたものです。


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昼過ぎに起きた休日、国立新美術館の「シュルレアリスム展」を見に行く。

六本木で降り、住宅地の合間を縫ってミッドタウン方向へ向かうと、頭上の電線がやたら揺れている。風もそんなに強くないのにといぶかしく思えば、近隣民家から、わらわらと人が出てきた。なんなんだ。

ふと頭がふらつく。素面だから二日酔いのはずは無い。
そうか。自分ではなく、地面が揺れているのだ。

しゃがみこんで揺れが治まるのをしばらく待ち、美術館へ。

一応、実家に東京で地震があった旨伝える。

美術館でも地震の影響は大きく、チケット売り場は一時閉鎖。館内に入場制限が敷かれているらしい。入場制限が解かれた後、「シュルレアリスム展」へ。

マグリット、ダリ、マックス・エルンスト、ミロなど既知の作家の他、アンドレ・マッソンやヴィクトル・プローネルなど、初めて見るものに目を凝らしていると、地面が動いた。マグリットの棺のオブジェを中心に、四囲に絵画のめぐらされた展示室、床には、自分を含めしゃがみこむ人々が。

その後1~2度揺れつつ、無難に鑑賞を済ませる。ヴィクトル・プローネルを知ったのが収穫か。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン)の文庫と、展覧会の図録を帰り際に購入する。

用があったので新宿に向かおうとしたが、地震の影響で、電車が止まっている。しょうがないので近所のファミレスでランチ。ミラノ風ドリアとほうれん草ソテーで、500円弱。

電車が動くまで時間がかかると踏んだので、持っていた本、「輝ける闇」(開高健)をファミレスでこってりと読む。

従軍記者としてヴェトナム戦争に参加した際の記録文学。大上段の思想や感傷よりも、冷静かつ的確な言葉が描く細部は、はるかに説得的に戦争を語る。半分ほど読み終えると、一時間半ほど経過。何がしかの動きがあろうと、駅に向かってみると、駅の階段に老若男女しゃがみこんでおり、構内も思い思いに座り込んでいる。

なんなんだ。

改札近く、メガホンを手に説明する駅員によれば、地下鉄は当面再開の見込みはないらしく、また、

「本日はJR線は運行停止を決定しました」

と預言者のごとくのたまう。まだ午後六時なのに。さすがに六本木から自宅は、徒歩では無理な距離。まいったなあ。

とりあえず、用があった新宿に徒歩で向かうことに。

青山から四谷方向を経由で向かったのだが、交差点などは、歩く人々の姿がひしめく。コートやスーツ姿で、会社帰りなのだろう。途中の公衆電話には、人々が長い行列。

そういえば兄からはけがはしていないとメールがきた。

途中信濃町で学会関連の施設を見に寄り道などしたものの、一時間半ほどで新宿到着。

用事があった店に入ってテレビを見ると地震のニュース。ここでようやく、地震が東北太平洋岸であったことに気づく。八戸とか、宮古とか、大船渡とか、気仙沼とか、仙台とか。

というか実家含まれてんじゃん。しかも震度7って。阪神大震災よりでかいんですけど。

モニターでは、津波が港を飲み込む映像が繰り返し繰り返し。王蟲の群れですか?これは。

遅まきながら事態のヤバさに気づく。実家にメール。電話はもちろんつながらない。

JRが動かなければ帰れないので、いささか途方にくれていたところ、都営新宿線が復旧したらしく、最寄りではないが近くの駅まで行けるので、そこから歩いて帰ることに。

で、都営新宿の改札にくれば、遅々と進まぬ数百メートルの行列。すぐ脇には同じレベルで大江戸線改札への行列が。どこのディズニーのアトラクションですか?

たっぷり一時間は並んでホームに乗れば、ラッシュアワー顔負けの混雑。たまたまドア横の隙間に滑り込むことに成功。

そこから出発まで、さらに15分ほど経過する。

時間調整等もあり、速度も通常よりは遅いものの、どうにかこうにか家路に向かうことには成功。

電車内のオブジェと化しつつ、「輝ける闇」の続きを読む。人いきれに蒸されつつ、ヴェトナムの湿気を思う。人々が銃撃から逃れ疾駆して小説が終わりしばらくすると、終点本八幡までたどり着いた。電車は惜しみなく乗客を嘔吐する。

都営の駅から部屋まで徒歩30分程度。

飲み物とおにぎりでも買おうと思い、駅近くのコンビニを覗くと、人がたくさんたむろっており、おにぎり、パン、サンドイッチ、弁当類は何も無い。無い。

5分ほど歩いて別のコンビニに入っても、事情は同じ。仕方ないのでスポーツドリンクとカニカマを買って、食べながら歩く。

深夜1時を回っているが、道を行き交う人は減らない。車道は車の長い列。おそらく、タクシーで帰宅するのも大変だったろう。

ようよう自室にたどりつき、メールを開くと翌日会社は臨時休業。まあ、しょうがないことだ。

しばらくすると弟と電話がつながり、惨状を聞く。家族に怪我人は無いが、ライフラインの切断が堪えているとのこと。

ネットニュースを見れば仙台市内沿岸部で2~300人死亡の見込みとのことで、あまりの多さに、数字が想像できない。

いやはや、シュルレアリスムよりシュールな出来事。

とりあえず、昨日の一個人の記録までに。

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春、別れと出会い、PHSとスマホ [生活]

とうとう、ピッチ(PHS)からスマホに買い替えた。

20年以上ピッチを使い続けてきたが、2020年の7月にPHSサービスが無くなるのと、PHSをどこかに落として紛失してしまったので、それらがきっかけ。

まあ、今の機種も7年くらい使っていたし、交換時期はとっくに過ぎていたのだけど。

PHSは電話とメールができる優れものの機械だったし、ここしばらく使っていた機種は、エアコンのリモコンよりも小さくて、ただただコンパクトにしてスタイリッシュであり、個人的には結構気に入っていたのである。

DDIポケット、willcom、ymobile・・・変遷はあれど、文字通り、おはようからおやすみまで暮らしを見つめてくれたPHSへの惜別の思いは尽きない。

紛失のため、連絡先や過去のメール等のデータが全て失われたのは、正直痛恨。ただ、メールアドレスも電話番号も変えずに済んだのは不幸中の幸いである。

聞くところによれば、スマートホンはPHSよりも便利らしい。

どこがどう便利なのかはまだよくわからないが、これから、スマホとの思い出をいろいろと作っていくことになるのだろう。

そんな、別れと出会いの話なんである。

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