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上野、晴々飯店、人々 [食べ物系]

上野駅、入谷口辺りから徒歩数分にある『晴々飯店』。四川系の中華料理屋である。

知人たちが絶賛しており、何度か、一人ないしは友人と二人くらいで訪れる。全体的にちんまりした佇まいで、テーブルや椅子もシンプル。家庭料理という触れ込みで、いわゆる高級店ではない。だが確かに美味い。麻婆豆腐にはきちんと花椒が利いてるし、辛いものはきちんと辛く、炒め物もしゃっきりしている。辛めのタレで食う水餃子なんかもいけてる。後から花椒が効いてくる汁なし担々麺も佳品だ。

ただ、少人数では如何せん食える量がたかがしれていて、知人たちが絶賛するほど多くの料理を楽しめたわけではなく、いささか忸怩たるものを感じていた。それが先日、晴々飯店大好きなゴールデン街某店のマスターK氏に誘われて、自分含め9人で味わう機会ができたのである。

4200円。オーダーバイキング。食べ飲み放題。

上は60代男性から下は30代初頭の女性まで。男性7人女性2人。全員、敵だ味方だ騒ぐ必要のない、勝手知ったる少ない仲間だ。男性陣では40代前半の僕が最年少というアダルトなチーム構成であり、正直、食べ放題に耐えられるか不安が無いわけでもない。戦力として期待されている最年少人妻A女史は早速、「競技中華だね!」と意欲を露わにする。

乾杯のビールもそこそこに、頼んだものは以下の通り。

・よだれ鷄
・蒸し茄子四川風
・麻婆豆腐
・黒酢鷄
・ハチノスのクミン炒め
・パクチーロース(パクチーと肉の炒めもの)
・野菜とホタテのXO醤炒め
・覇王スペアリブ
・ブロッコリーの干鍋
・豆苗炒め
・エビマヨ
・青椒肉絲
・蟹チャーハン
・汁無し担々麺
・酸ラー湯麺
・杏仁豆腐

ちなみに、麻婆豆腐と黒酢鶏とスペアリブはもう一皿追加している。死なずの老兵ぞろいとは言え、やはり9人で行くと頼む品数と量が違う。そうこなくっちゃ。

個人的には、一品目のよだれ鶏のタレの鮮烈さ、ハチノスのクミン炒めの豪勢な香り、焼き揚げた覇王スペアリブの肉の旨味が大変に素晴らしかった。それぞれの料理は一見ラフだが、必要なところにはスパイスを惜しげもなく使っていて、作りも基本が押さえられている。良い。

ビールはいつしか切り上げ、紹興酒にチェンジ。紹興酒単体が美味いと思ったことはほとんどないが、中華料理と合わせると魔性のマリアージュであり、料理が美味くなり酒も進んでしまう。

それぞれの四方山話と紹興酒と美味い中華。プラトンの『饗宴』と比べて、哲学こそないかもしれないが、楽しさはそれ以上で、何ならプラトン達よりも酒と料理は美味いはず。夢見る頃は過ぎ、さすがに全ては食べきれず残してしまった料理もあったが、満足感が凄まじい。食った。飲んだ。

料理と酒を堪能し陶然となった心には、料理人とか料理評論家ならいざ知らず、美味いものの思い出というのは、ある程度の味覚は必要条件だとしても、それを豊かにするのは、一緒に過ごす人々だったり会話だったりするのだなあという感慨が、じわじわと滲みてくる。

決して上手く行っているとは言えないし、他人に迷惑かけっぱなしだし、これから劇的に改善する希望も何も無い我が人生。でも、こうして一緒に晴々飯店に行ってくれる知人たちがいるのは、そう捨てたもんでもないさと思った、ある日の夕暮れなんであった。

≪晴々飯店:食べログ≫
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13098240/

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ラジコンカー [フィクション]

男の子は、ラジコンカーが欲しかった。

クラスの男の子の話題は、ラジコンカーで持ちきり。
一人、また一人、ラジコンカーを買ってもらっていた。
ただ、ラジコンカーは、子供のおもちゃとしては、
とても高価だった。

男の子は粘り強く両親にねだった。

両親に話をするとき、それが何の関係のない話でも、
最後にラジコンカーの話をするのを忘れなかった。
雑誌のラジコンカーの広告を、
両親の目につくところにわざと置いた。
トイレには、欲しいラジコンカーの写真を、
ぺたぺた貼り付けていた。
などなど。
陳情工作の執拗さに、両親は辟易するほど。

両親はついに折れた。

だがラジコンカーはとても高価だった。
そこで両親は、ラジコンカーを買うに当たり、
一つ条件をつけた。

『ラジコンの組み立てはお父さんのいるときに限る』

男の子が組み立てに失敗しては大変と思ったのだ。

ただ父親は忙しかった。
男の子が寝てから帰ってくることもしばしば。
休みもほとんど取れなかった。
だから、ラジコンカーの組み立ては遅遅として進まなかった。

あるとき、一人でこっそり、少しだけ組み立ててみた。
そのことがばれたとき、両親にこっぴどく叱られてしまった。
それ以来男の子は、とてもとても歯がゆい思いをしたが、
条件を守って堪えた。

それでも、三ヶ月ほどして、ラジコンカーは完成した。

友達と一緒に走らせたときの爽快感といったら。
男の子はそれまでの鬱憤を晴らすかのように、
毎日ラジコンカーを走らせて遊んだ。

ところがあるとき、ラジコンカーが動かなくなってしまった。
男の子はバッテリーかと思ったが、充電しても動かない。
どうも、中の機械の様子がおかしいらしい。

分解するには、父親に見てもらわなければならなかった。
ところが、父親は仕事が忙しく、頼んでも頼んでも、
なかなか見てもらえない。
そのため、ラジコンカーで遊ぼうと友達に誘われても、
男の子は断るしかなかった。

父親はなかなか時間を割いてくれなかった。

『仕事で疲れているのに、なんで子供のおもちゃを見てやらなければならないのだ』

父親の正直な思い。
母親も、そんな父親を慮り、
ラジコンカーの修理を無理強いすることはできなかった。

いつしか、子供達の間で、別のおもちゃが流行るようになり、
ラジコンカーで遊ぶ子供は少なくなっていった。
男の子が父親に修理を頼む回数も、だんだんと減っていった。

そして、
ラジコンカーは、埃をかぶったまま、棚の中で眠っている。

両親は男の子の飽きっぽさにあきれてしまっていた。

男の子は、ラジコンカーを見るたびに、
なぜか、
両親に対し、
恨みに似た気持ちを抱くのを押さえられなかった。

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少子化対策、氷河期世代のエトセトラ [経済]

少子化の問題もそうだけど、現在の税制は、働き盛りの単身者に厳しい制度になっていると思う。「だったら結婚して子ども作れ」となるんだろうけど、結婚して子ども作ったとしても、現在より世帯としての生活水準が上がるほど税制や扶助で優遇されるはずもない。

当面の経済情勢と自分の能力では、今後子どもが出来たとして、今の自分が受けた教育以上のものを受けさせる金銭的余裕はないだろうし、であれば、子どもは今の自分より生活水準が下がる可能性が高く、縮小再生産なわけだ。

やっぱり、結婚や子育ては、ある程度余裕のある世帯じゃなければ難しいと思う。

話を少子化対策に絞ると、今の多くの施策は、未婚世帯や子どもを持たない世帯に、結婚や子育てのインセンティブを与えようとしているように見えるけど、もっと事態は差し迫っていると思う。

具体的には、
 ・適齢期である男女の所得水準の悪化
 ・低所得世帯の子どもの貧困
の2点ではなかろうか。

前者は、男性はもちろん、女性はもっとひどいのではないか。同一勤務先での昇給や昇格が抑えられれば、今の生活を維持するだけで手一杯であり、個人の生活水準が下がる子育てを選ぶはずが無い。

また、適齢期すなわち働き盛りの男女の所得が低い状態とは、生産性が低い労働に従事せざるをえない状態なわけで、貴重な働き盛りの労働力の成長機会を奪っていると言っても良いのではないか。

これは、5年~10年後に、成長する機会の無かった未熟練労働者が社会の中核になることを意味する。本来社会保障の負担や子育て負担をしてほしい世代が、社会的な弱者になり、公的な援助の対象となる可能性が高い。

いや、すでに氷河期世代として、この懸念は現実化しているといってよかろう。

後者も問題は深刻である。象徴的なのが、各自治体で把握不明の学童が少なからずいることであろう。多くは国外に行ったためとのことであるが、必ずしも裕福ではない家庭で、虐待の可能性も指摘されている。

もしこの子達が無事に育ったとしても、教育が十分でない状況で生産性の高い職につける可能性は低い。(もちろん、本人の努力で克服するという事例もあるだろうが)ここでも、将来、公的な援助を必要とする未熟練労働者層が増える蓋然性が伺える。

結局、政府によるインセンティブという下駄を履いても結婚や子育てのハードルには届かない世帯の方が多いのではないかと思う。

であるならば、給料は上がらないまでも自分の食い扶持はどうにか稼いでいる働き盛り層を没落させない仕組み、例えば教育の機会確保や労働法制の整備、そして貧困家庭への教育費援助などの施策は、福祉ではなく、国家戦略として、緊急の必要性があるものではなかろうか。

なんて、自分が属している層への利益誘導施策を打ってみたが、悲しいけどこれって、政治なのよね。。。政治に関心のある高齢者や子育て層には、氷河期単身世帯層は、到底勝てそうにもございません。

やんぬるかな。


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満州寸考 [読書]

『甘粕正彦 乱心の曠野』(佐野眞一 新潮文庫)読了。

内務省と陸軍との勢力争いの狭間で、大杉栄虐殺の汚名を刻まれた
元憲兵大尉は、軍から、ひいては国家から保護と使命とを与えられ、
満州で暗躍する。

甘粕の蠱惑的な汚名と卓越した実務能力、そして、破裂間近な風船のような
その張り詰めた人格は、満州で、多くの人間を引き付けた。

甘粕は、岸信介や東条英機など、いわゆる大物とのパイプを維持しつつ、
その周辺にどこか無頼な人間を置いて、縦横に活躍させる。

それにしても、満州。

人口増加、不況、戦争、統制経済にあえぐ本土をよそに、
満州という言葉の響きは、なんと広大で甘美なことか。

五族協和の実態は差別と官僚主義に彩られたキメラだとしても、
それは、大きな可能性を感じさせる大地だった。

満州の維持は華北進出、そして中国への特殊権益主張につながり、
中国への機会均等、門戸開放が国是の米国と対立。日米戦争に発展。
敗戦とともに、満州国は、ソ連戦車の轍に消えた。

満洲映画協会理事長の甘粕は、青酸カリで大日本帝国に殉じる。

ところで、満州への希望と挫折は、日本人に何を残したのだろうか?

閉塞感ただよう令和の日本、新たな「満州」が必要なのかもしれない。

しかし、満州がもたらした昭和日本の高揚と、その挫折が生んだ
様々な悲喜劇を想うと、「満州」を求める声がどこかか細くなってしまう。

これが、衰退なのだろうか・・・
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中流意識への戯言 [その他]

戦後の日本という国家における共同幻想(=物語)は、「中流意識」だったのかもしれないな。

しかし「中流意識」ってのも不便だよ。

中流以下の金のないやつは、不相当な生活のために背伸びせにゃならんし、金のあるやつも「中流」的な発想に縛られて中途半端な金の使い方しかできないし。

巷間懸念されているようにこれから経済的格差が広がっていくのなら、むしろ皆、「中流意識」から開放されて楽に生きられるのではないかな。

なんてのは楽観に過ぎるか。

負け組の鬱屈せるルサンチマン及び勝ち組の解き放たれた傲慢を昇華させる、新しい物語が必要になるのだろう。

そう。

日本は、物語を必要としているのだ。

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