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【読書】承久の乱とかいう日本史上屈指の悲劇 [読書]

『承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 』(中公新書)読了。

面白かった。

院政期から承久の乱までを概説した本書、一般向けの書籍だけに専門的な要素は抑え、読みやすく仕上げてあるが、そこからは濃厚なドラマの匂いが立ち上るのをどうしようもない。

まず、主役である後鳥羽上皇からして傑出している。『新古今和歌集』の編纂をはじめ、優れた和歌を多く残した文化人としてはもちろん、源平の争乱で乱れていた宮廷の儀式を過去の事例をさかのぼって整えた行政能力に加え、武芸、蹴鞠といった身体能力にも恵まれた、能力と覇気と自負に満ち溢れる、まさしく帝王だ。

対する鎌倉幕府の将軍、源実朝。若年ながら、藤原定家を師としてすぐれた和歌を残した文人であり、かつ、北条氏をはじめとする武士の政治的介入から脱しはじめ、将軍親政の影響力を確立し、主導権を獲得しつつあったとき。

和歌を通じてか、後鳥羽と実朝の関係は良好であり、その流れのもと、親王を将軍に据え、実朝によるその後見が模索される。これにより、実朝は、朝廷の威力をもって幕府における主導権を確立できるとともに、後鳥羽も、鎌倉幕府への一定のコントロールを確保できることになる。朝廷と幕府の平和的な共存だ。親王将軍の誕生には、北条政子を通じてその下交渉が行われており、北条氏にも異存は無い。

しかし、その目論見はあっさり崩壊する。実朝の横死。

実朝の死をきっかけに不安を募らせた後鳥羽は、幕府への対応を硬化させる。親王を将軍とすることを拒否し、摂関家の子を充てることにとどめた。また、幕府の御家人相互の争いで大内裏が消失したことに幕府の御家人掌握力を疑問視する。さらに、大内裏の再建費用の調達に関し、武士からの抵抗があったことで、後鳥羽の不信感は最高潮に達する。

こうして、承久の乱の幕が切って落とされた。

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外交、安全保障、インフラ整備とかへの資源配分に関する一般論 [政治]

閣僚の外遊や軍事費やインフラ整備の話で、そんなことにお金を使うなら、もっと別のこと、例えば貧困家庭への所得や学生への学費といったより直接的な所得支援にお金を回せという声がちょいちょいあがる。確かに外交や安全保障やインフラ整備とかにかかる非日常的な金額を考えると、そう思う気持ちも分からんでもない。

ただ例えば、貧困支援の一環として、目の前の貧窮している人への炊き出しを考えてみよう。

まず炊き出しをする食べ物をも買わなきゃならんし、食べ物を買うにはお金がいる。お金を稼ぐには、働いたりモノを作ったり、作ったものやサービスを買ったり売ったりしなきゃならんし、モノを作ったりサービスを提供したりするには資源や原材料やエネルギーがいる。

働いたり、モノやサービスを取引したり、資源や原材料やエネルギーをやりとりするためには、道路や航路やパイプラインや通信整備といった、ヒトやモノや情報を運ぶ輸送や通信のインフラが不可欠だろう。また、国内で犯罪が頻発していたら、危なくて安心して活動できないから治安維持も必要だ。

外国から資源を輸入したり外国にモノやサービスを売るには、その国と日本が友好的でなきゃならないから、良好な外交関係も維持しておくべとなる。また、国内外でモノやサービスをやりとりするのに、途中のルートで国同士で戦争が起こったら輸送のが滞ってしまうから、日本国内だけでなくそのルートを含む国際関係も戦争が起こらないように、軍事的なバランスを維持するために近隣諸国の状況を見ながら武器を買ったりたりなんだリしなければいけない。国同士が仲良くても海賊や犯罪組織が跋扈してたらやはり輸送が滞るから外国と協同してそれらに対処しなければならない。

結局、貧窮してる人を助けるために炊き出し一つやるにも、インフラ整備や外交や安全保障にはある程度の資源配分は必要になってしまう。では、その資源は誰が提供すべきか。

困っている人にお金やモノをあげて助けるなら、政府だけでなく、篤志家や企業、そして非営利組織だって十分可能だろう。その一方、外交や安全保障やインフラ整備は、個々の篤志家や企業や非営利組織などが支出するには、あまりにも高額だしあまりにも長期に渡って投資が必要だから、実質的には不可能だ。

当然そこは、政府に任せざるを得ない。

もちろん、個々の支出や全体の資源配分が手続的、内容的に妥当かは議論と説明とコンセンサスが必要だけど、政府は政府にしか出来ないことにより注力した方が合理的であるとは言える。やはり、例えば貧困対策など、他の経済主体が行うことができる施策のために、政府でしか行うことができない外交や安全保障やインフラ整備への資源配分を振り替えるというのは、本末転倒のような気がしないでもない。

もちろん、政府支出の手続き・内容面へのレビューや全体的な資源配分の妥当性は議会や会計検査等を通じて常にチェックしなければならない。ただ、貧窮している人々を助けるのが目的なら、政府のお金の配分への注文だけでなく、篤志家や企業、非営利組織の活動を促した方が早い気もする。どうしたら、例えば貧困家庭の生活水準を向上させることが出来るか、もしくは、国民全体の教育水準を引き上げることができるかといった視点で、政府にできること・すべきことと民間ができること・すべきことの整理をし、知恵を絞らなければならないのだろうとは、思うんである。

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朝中華、龍門、辛口チャンポン麺 [新宿]

例えば、週末、新宿、ゴールデン街とかで飲んだとする。

飲むのはだいたい、夜から朝にかけてなのだが、そうすると当然ながら朝方に空腹を覚えることになる。心の中の井之頭五郎が騒ぎ始め、孤独の朝飯探しが始まる。とはいっても朝方の5~7時くらい、空いている店は限られてくる。

どこで何を食らうべきか。

丼なら吉野家か、松屋か。24時間開いている靖国通りの日高屋か、明治通り沿いのねこ膳も24時間営業していたな。蕎麦なら、区役所裏のいわもとQか、靖国通りの嵯峨谷か、あるいは、富士そばという手も無くは無い。

ラーメンなら、桂花ふぁんてんが確か4時から開いてたはずだし、神座も24時間だ、そうそう、遠くに行かなくても、ゴールデン街の凪は24時間営業じゃないか、早朝なら並んでないし。いっそ、靖国通りのバーガーキングでワッパーを食らうか。

こうして10店舗以上の情報が瞬時に脳内を錯綜する。悩ましい。

考えながらうろうろしているうちに、何となく、脳内に辛口チャンポン麺という選択肢が登場する。龍門でいいか。確か7時まではやっていたはずだ。

こうして、赤い看板の小さな中華料理屋に吸い込まれる。メニューが張られた店内、カウンターに座り、手持ちのメニューを見る。酢豚や青椒肉絲、空芯菜の炒め物、餃子や前菜など、一通りの中華料理はあるが、ここは辛口チャンポン麺一択の気分なんである。この時間だともう酒は要らない。

注文後、麺を打つ音(そう、ここの麺類は手打ちだ)や、具材を炒める音が耳を打ち、酒ではなく食い物を欲する胃袋が期待で蠢きだす。店内は基本中国語ないしは韓国語が飛び交い、何言ってるか分からないのがいい。BGM代わりに流れている朝のラジオも悪くは無い。

そんな店内に浸るうちに、辛口チャンポン麺が登場する。

第一印象は、(でかいな、、、)である。

大ぶりの丼には炒め具材が小山を無し、真っ赤な汁に浸っている。こちとらそれなりに腹が減っているので、そそくさと小山を崩しにかかる。

キャベツや何やらの数種類の野菜、きくらげ、エビ、イカ、タコなどがくんずほぐれつになっている具材を崩し、食らい、噛締め、雑多な素材を味わう。頃合を見て汁をすする。色に反して、そんなに辛くは無い。少し具材から隙間が見えたところで、麺を食いだす。手打ちの素朴な感じで、真っ赤な汁に絡んでこれはこれでよい。麺も丼にみっちりと入っており、炭水化物をガツンと食らっている感覚がたまらない。

若いときは喜び勇んで食えた辛口チャンポン麺、ときにはこれに餃子一皿を追加したり、さらにはチャンポン麺と炒飯のハーフ盛りなども食えたのだが、不惑を過ぎると一度に食える量がめっきりとはかなくなる。目の前のチャンポン麺との格闘で手一杯で、なかなか、井之頭五郎の食いっぷりというわけにはいかない。

自分の胃袋具合に応じて食い終えれば、確かに野菜と麺と汁を食ったという満足感にどっぷりと浸れる。文字通り、「食った、食った」という感慨。

機会があれば、辛口チャンポン麺以外の色んな料理を知人達とつまんでみたいという気も無いわけではないのだが、どうも龍門に知人を誘っていくのは面倒くさい。そんなわけで、行くときは常に一人、そして腹が減っているときは辛口チャンポン麺を食らい、そうでなく、軽く飲みたいようなときは、ビールと餃子を嗜んで帰るのだ。

僕にとって龍門とは、そういう店なのである。

≪龍門:食べログ≫
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13039026/


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