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問われる「まっとうな政治」、どっちもどっちからの脱却を。 [政治]

与党批判の急先鋒たる立憲民主党は、スローガンに「まっとうな政治」を掲げている。この意味するところは様々であろうが、少なくとも、与党や政権が行っているような会見対応や国会対応などは「まっとうな政治」ではないという含意のもと、批判されるべき同じようなことはしない、という趣旨だと思う。

ただ、立憲民主党ないしはその支持層から聞こえてくる声を見た限りは、この「まっとうな政治」という言い方をきちんと理解しているのか、個人的には疑わしいと思う。

もし「まっとうな政治」というものが冒頭の理解でそれほど誤っていないなら、立憲民主党としては、現状の振る舞いに対し、かなりハードルを、というか、人々の期待値を上げてしまっているのではないかと懸念する。

実際、野党支持者ないしは与党の批判者は、与党による予算委員会での集中審議の開催拒否などに対し、「野党批判の理由となった行動を与党もしているのだから、与党支持者は同じように与党を責めるべきだ」と言う。それはそれで一理ある。

しかし、多くの消極的な与党支持者にとっては、「野党も与党も同じだよな」というマインドになり、かつ、積極的与党支持者の耳には届かないので、結局与党の支持は変わらず、野党の支持も上がらない。

なぜか。

簡単なことで、立憲民主党が「まっとうな政治」であり与党自民党がそうでないと語るなら、立憲民主党は自民党をはるかに超える「まっとう」さを言動で示さなければならないからだ。それが与党と同じようなレベルでは全く「まっとう」とは言えず、せいぜいどっちもどっちであり、与党の消極的支持層に対して、全くアピールにならないからである。

立憲民主党が政権奪取の中心となるには、当たり前だが、選挙で勝たねばならず、そのためには現状の消極的な与党支持層を野党支持層にひっくり返すべく説得を続けなければならないはずである。そうであるならば、消極的与党支持層にもすぐにわかるような「まっとうさ」を見せ付けなければ意味が無い。

どっちもどっちと見られるようでは、「まっとう」とは言えないのである。

だから、自民党が審議拒否をしてそれを批判するのであれば、立憲民主党は決して審議拒否をしない姿勢を見せなければならないし、与党議員の問題発言を批判するのであれば、立憲民主党議員が問題発言をした際には少なくとも党内において厳しい処分をしなければならない。与党の会見でのぶっきらぼうな応対を批判するのであれば、立憲民主党は自らの反対勢力からの質問に対しても懇切丁寧に答えなければならない。

現状、立憲民主党にこれらができているとはいい難い。理由はどうあれ審議拒否はするし、所属議員や公認候補者が自衛隊や原発に対し理解の浅い発言をしても処分どころか問題視すらしないし、SNS上を見る限り、別件では更新をしているにも関わらず、都合の悪い質問には応答すらしようとしていない。

もちろん、細かいところで違いがあるのかもしれないが、現状がこれでは、多くの人々にとって、自民も立憲も、どっちもどっちとしか言いようが無い。

自民党と比べれば支持率が低いとはいえ、立憲民主党には一定の固い支持層がある。また、与党への批判としての支持層もそれなりにいるはずだ。しかし、そんな既存支持層に甘えるだけでは、政権を取れないことは明らかである。

立憲民主党が真に政権奪取の中心となるために「まっとうな政治」を主張するのであれば、自民党支持層や無党派層、すなわち既存支持層の外へそのメッセージを伝えなければならない。そのためには野党支持層も驚くような「まっとうさ」を分かりやすく見せ付けなければならないのではなかろうか。現状、それがほとんど伝わってない結果としての政党支持率の調査結果なのではないかと思うのである。

政治改革により、自民党内の派閥抗争がかつての激しさを失った以上、与党自民党に選挙での敗北を意識させ緊張感を与えるのは野党しかいないし、野党第一党である立憲民主党の責任は重い。もし「まっとうな政治」を標榜するのであれば、ぜひとも、自民党と違う「まっとうさ」を分かりやすく示していただきたいものである。


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