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日本の報道の自由度は72位!自由を守る、身捨つるほどの覚悟はアリや? [国際]

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国際NGO「国境なき記者団」が先日発表した2016年度の報道の自由ランキングによれば、対象となる180か国中、日本は72位と報じられました。前年よりも11位も順位を落としたことで、改めて、日本の報道の自由が問われている状況ではあると言えるでしょう。

もっとも、日本の援助交際やAV女優の強制出演について、必ずしも事実に基づくとはいえない報告を行ってきた国連人権委員会のように、国際機関や国際NGOにおけるこの手の報告がどのような情報ソースに基づいているかは、大いに精査が必要なはずです。当然、72位という順位についても、ある程度冷静に観察する必要があるとは思います。

とはいえ、特定秘密保護法や、高市総務大臣の放送法に関する一連の発言などを背景に、報道の自由に対する危機感が国内外にあることは、事実と考えられます。報道の自由が、国民に多様な情報や選択肢を提供する上で、また権力の恣意を監視する上で、重要であるのは間違いないでしょう。

それでは、報道の自由をいかに守るべきでしょうか。

著名なジャーナリストや野党議員などは、現政権の報道への規制強化を志向する言動に批判を加え、この風潮を変えようとしているようです。しかし、個人的にはそれだけでは全く足りないのではないかと懸念します。そもそも現政権は、選挙で選ばれた結果として、議論はあれど制度上の民主的正当性を得ており、一定数の国民の支持があると考えるべきです。また、報道自体も、熊本地震の災害報道などで批判される対応を取っており、国民の信頼を損ねています。したがって、現政権の対応を批判するだけでは、多くの国民に、報道の自由に名を借りた、政権反対派の単なるキャンペーンとして解釈される可能性が高いでしょう。

また、規制によって萎縮して自主規制してしまうというのも、報道の自由を守るという意気込みに比べれば、分かりにくいところです。もちろん、強い法的規制下にある放送や、通常の株式会社とは全く異なる資本構成が認められる新聞社など、政権や国家権力の意向を忖度したくなるのも理解できないではありません。しかし、萎縮、自主規制があるから報道の自由が損なわれるというのでは、そもそも報道の自由は国家権力の庇護が無ければ立ち行かないものなのかと、首を傾げてしまいます。

結局、報道機関でしか提供することが出来ない良質な情報を国民に提供し続けることでしか、報道の自由の重要性の理解を広く浸透させることはできないと思います。そのためには、「報道の自由が危ない!」と抽象的に叫ぶだけでは、多くの国民には伝わらないでしょう。

例えば、どのような報道をするために、どのような取材活動が必要であり、それがどのような法的根拠や圧力によって妨げられ、報道が出来なかった、というような、報道の自由とその侵害を巡る具体的な葛藤を、報道を通じ、国民の前に明らかにすべきだと思いますし、場合によっては、法的に争うべきだとも思います。

もちろん、時の政権との軋轢は、報道機関にとって必ずしも望ましいとはいえないかもしれません。しかし、いやしくも報道の自由を重要というのであれば、政権と戦い、交渉し、その結果として基準を作っていく、そのような地道なプロセスを厭ってはならないのではないでしょうか。

奇しくも、日本国憲法第12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあります。日本の報道機関やジャーナリストが、単なる政権批判だけではない、報道の自由を守る覚悟と、そのための不断の努力を見せることを期待したいと思います。


【参考記事】
http://www.asahi.com/articles/ASJ4N0SHDJ4MUHBI02M.html


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